I love you

利居 茉緒

白亜の君

 白亜の君。我が麗しの貴女。


 きみと随分長い時を過ごした。ぼくの傍にいるきみは、やはりいつだって美しいね。

 真っ白い肌。完璧な曲線。たおやかな指にちいさなくちびる。優雅かつ大胆なその姿は、いつまで経っても見惚れることをやめられないよ。頭のてっぺんから足の先まで、きみはぼくの誇りだ。


 さて、マイ・デアリスト。ここがどこか知ってるかい。いや、知らないなんてことはないね。だってぼくはきみに、4時間もこの場所の魅力を語って聞かせた。いや、少し熱が入り過ぎたのはわかってるよ。すまなかった、でも来てよかっただろう?初めての旅行なんだ。とっておきの場所にしないとって、実はぼくは何年も悩んでいたんだ。家で頭を抱えているのは、何も必ず仕事が行き詰まってるからじゃない。むしろ、最近はこのことを考えている時間の方が長かったかもね。はは、実にしあわせな悩み事だ。

 ──うん、少しさむくなってきた。ちょっと寄らせてもらうよ。きみの温度を分けてほしいんだ──ありがとう。ぼくが身を寄せるのは珍しいことじゃないけれど、外でこうやっていると、なんだか照れてしまうね。最も、ぼくらを見ているのは明るい曇り空と、粉砂糖みたいな雪だけなんだけど。


 ああ。白いね、ここは。どこを見渡そうが僕たち以外何もなくて、現実に帳が降りてしまっているようだ。きみを見ていると、世界と同化して消えてしまんじゃないかなんて、そんなことを考えてしまう。まあ、それがあり得ないことはぼくが一番知っているけど。うん、やっぱりばかなことを言ったよ。返事はしなくていい。

 きみと出会ってから、ぼくの人生は変わった。ぼくはきみという理想の存在を手に入れて、ようやく完璧への道を見出したんだ。

 そう、きみはぼくの全てなんだ。人生そのものさ。追求の道筋でありながら、そのゴールでもある。

 何度も失敗してきた。愚かな間違いを繰り返して、繰り返して、その延長線に今もいる。でも、もう切るべき舵は切ったんだ。もう、刀を滑らせる軌道を間違えたりはしないんだ。あとは辿り着くを待つだけ。始まりと終わりがある、線のようなあり方を超えた、メビウスの輪のような永遠へ。切符はもう買ってある。もちろん、ひとり分。きみはもうたどり着いているから。


 さあ、ぼくがきみに追いつくまでに、昔話でもしようか。


 きみとの邂逅は、冬の寒い日。外では突き刺すような空気が漂って、締め切った室内さえ恐ろしい温度だった。でも、窓から見える空は灰色の雲とは程遠い、ひどく澄み切った青い色をしていた。

 何度も言うけど、本当に寒い日だった。でもそれはあくまで「寒かった」というぼくの頭の中の記録に過ぎない。どんな風に寒かったのか、どれだけ自分が凍えたのか、そんなことは全く思い出せない。もちろん、きみのせいさ。一目見て、そんなことは吹き飛んじゃった。

 雷に打たれたとか、全身が沸騰したとか、そんな陳腐なものじゃない。ぼくはその瞬間、全くの無になっていた。心臓の音も、肌に触れる温度も、自分が生きていると言う感覚さえ、何も無くなった。

 ただ、ぼくはきみを見ていた。魅入っていた。恍惚としていたわけじゃない。間違いなく一瞬できみを愛したけれど、そういうことじゃない。波ひとつたたない水面のような、とっくに死に切った後の星のような凪いだ静けさ。無感情。無機質。究極の美しさを見た。答えを。行くべき道を、ぼくは発見した。

 ──その日のうちに、ギリシア神話の本を全部焼いた。だって、ピュグマリオーンは本物の馬鹿だ!


 ちょっと、大きな声を出し過ぎた。生きている肌が痛い。全身が冷たい。寒い。寒いね。すばらしい。

 さあ、そろそろだ。しゃきっとしないと。せっかくの一張羅を台無しにしないように。ナンセンスなトラックを彼方に退けて、ぼくの比類なき最高傑作であるきみとの舞台を整えたことを無駄にしないように。


 ぼくのきみ。愛しのきみ。ぼくはきみをガラテイアにしたりはしないよ。

 息をしないきみ。決して答えないきみ。それを、その在り方を、愛しているよ。



 雪が降っている。石灰の破片にひどく似ている。

 体はもう動かない。空気を吸い込む喉が、冷たく麻痺していくのがわかる。凍える呼吸は食道を超えて、肺までも凍らせてゆく。


 僕は人をやめる。決して動かないモノになる。

 白亜の君。もう少しだけ、待っていてくれ。


 もうすぐ、君と同じになれるから。

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