第13話
……まさかここに来て筆の速度が途端に落ちるとは。
まぁ、考えてみれば当然なのかも知れない。私の人生で恐らくは最初に訪れた最も辛く、陰鬱な時代だと思えるから……。だが、そうだな。これは備忘録であり、私の一人語りのようなもの。たとえ辛くて苦しかったとて、今は昔の物語。人生の分岐点ではあったけれど、それを悔いては居ないし、恥じても居ない。
――五十年以上も生きれば、その程度「かすり傷」に出来るのだ。
1985年、私は定時制の高校へと入学し、産まれて初めて「社会人」として、仕事に就く事になった。中学時代に「手伝い」のようなバイトを熟した経験はあるが、月極で働き、月給というものを受け取ることが出来たのはこの時からだった。
さて。私のようなまだ箸にも棒にもかからない、しかも「クソ」が頭についた坊主が、どうしていきなり社員などとして働けるようになったのか。それは勿論、入学したこの定時制高校のお陰である。
元来定時制高校とは、元々義務教育を卒業した者や、事情により高校に行けなかった者(ハッキリ言えば経済的困窮者や、時代背景もある)が、学ぶ為の学舎として設立された制度である。(色々端折って申し訳ない)昭和五~六十年代、中底所得者にとっては大学まで行ける人間は少なく、私のような母子家庭には高校の授業料ですら、厳しいのが現実だった。
そんな所謂、「訳あり」の者たちが通う高校では有るが、それ故の「コネ」と言えばいいのか、伝手というのも存在する。在校生達が働いている職場、学校自体が今で言うハローワーク等と連携しており、様々な口利きを持っており、私のような「半端者」ですら、担任教師とともにその工場に面接に向かえば、少しの「会話」を受け答えできれば、合格できたのだ。
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朝、七時前に起き出し、母が作っておいてくれた弁当をカバンに詰め、妹はまだ寝ているので起こさないように、朝食のパンを食べて家を出る。自転車に乗って工場までの道のりを三十分掛けて向かい、八時前に出社する。更衣室で制服に着替えると、誰かが声を掛けてくれるが会釈と「おはようございます」の挨拶だけでやり過ごし、敷地の隅へと向かって一人、煙草を吹かして始業時間を待つ。始業のチャイムと同時に担当場所に向かい、淡々と作業を熟す。
私の初めて勤めた会社はとあるプラスティックの成形工場だった。ペレットと呼ばれる原材料を射出機に投入し、射出されたものを裁断、加工し、梱包して別工場へと送る。そんな工場での私の担当は「破砕再生作業」だった。それはプラスティック射出の際、不良品や色違いなどで出た在庫品を機械で破砕粉砕し、またペレット状態に戻して再利用するというもの。この機械に不良プラを投入するのが私の仕事だった。
破砕機に不良品を一定量投入し、隣にあるスイッチを押すと、中で刃のついた羽が回転し、プラスティックを細かく磨り潰して行くのだが、このときの音が凄まじい。ガラガラゴキバキと、プラスティックを金属で只々破壊していく。……耳栓や防音ヘッドホン等、そんな物は当時、勿論なかったし「労働環境」の意味すら当時の私は知らない。ただ、日々積まれていく不良の袋を睨みつけ、破砕機に放り込んではスイッチを押して轟音を聞きながら、途中飛び散ったカスを常に掃除する毎日を約半年間続けた。
日中はそうして四時まで就業し、四時半には退社する。その足で帰宅し、シャワーを浴びて一段落つけると、六時に高校へ登校する。
定時制高校での授業……と聞いて皆さんはどんな授業を想像されるだろうか? 今の高校、所謂全日制や通信制等と同等なのか私は分からないが、選択、単位制等だと考える方が多いだろう。
……がしかし。私が在籍していた当時は、中学時代と同等の教育課程で進んで居た。教科は英、社、国、化(理)、数と五教科だったし、体育授業すら普通に存在していた。流石に校庭に出て運動、ではなかったが、体育館で毎回、ミニサッカーや、バレーボール、バドミントンにバスケットボールと、日中働いて疲れた身体に本気か?! と叫びたくなるような授業だったのを覚えている。……ただ、それと同時に私の入学した高校は工業高校だったことも有り、それとは別に電気科の座学と実技があった。……そして何より、この当時はまだ、定時制高校は四年制が当たり前だった。
平日は当然、月~土まで仕事と学校があり、学校が終業するのは午後九時過ぎ。日曜はほとんど寝て過ごすことになり、昔からの友人との付き合いは激減していく。高校での友人は二人ほど居たが、皆年上で、私が十六の頃、二人は既に十九と二十歳の大人だった。
――ここでまた、私はバカな選択をしてしまう。
ある日の夜中、目が覚めると体調がおかしい事に気がついた。
……少し前から耳鳴りが酷く、よく頭痛を起こすようになっていたのだが、その日の朝は違った。耳鳴りがしない……。というより、耳になにか膜が張られたような、音が少し聞こえにくい。ボワンボワンとした耳の音に平衡感覚が揺さぶられ、立とうとすると頭が揺れる。気持ち悪くなり、トイレに這いずりゲェゲェしていると、母が何事かと声を掛けてきた。事情を話すが、母の声が遠い。そして響き渡るエコーのような音。それが頭の中で何度も反響し、また気持ち悪くなっていく。そうしてゲェゲェしていると、遂にはその場で気を失った。
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