第14話
――突発性難聴。
市立病院のベッドで、医者から聞かされた診断結果はそういうものだった。
「……そうですか」
実際、言われて思った感想はそれしか無かった。実感も畏れもなく、唯言われた病名を心の中で反芻し、難聴と言う言葉はなんとなく理解できても、突発性の意味は分からない。医者が母親と話を続ける中、目を真っ赤にした妹が私の顔を見つめている。ぼんやりと窓の方を眺めると、薄い雲がずっと続き、太陽の光は見えなかった。
昭和六十一年、ロシア、チェルノブイリで世界最悪の原子炉爆発事故が起こり、進む円高による輸出不況や、三原山の噴火に、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故。様々な世界情勢の中、日本は『バブル景気』と後年呼ばれる異常景気へと歩を進め始めていた。
私の難聴はかなりの初期段階だった為、またその後の処置も早かったお陰で、寛解状態にまでは落ち着いた。……ただ、その所為かどうかは分からないが、偶に耳鳴りが酷くなることが今もある。
……結局、そう言った事情から、私の初めての就職は依願退職で幕を閉じた。当初、母は会社や学校とかなり揉めたそうなのだが、この時代、弱者はやはり守られない。……それでも、入院費用や『お気持ち』程度の慰謝料を、受け取ることが出来たのは僥倖だと思う。
「働き先、お母さんが聞いてみる」
そう言った母が見つけてくれたのは、母の弟である叔父の友人が経営していたガソリンスタンド。……そう、当時まだ『ワル』が抜けきらないガキの憧れバイトの一つ。十六歳になったばかりの私、当然だがその前から、ハッキリ言えば中学二年生辺りからだったろうか。「積木くずし」と同等に爆発的人気を誇っていたのが「ヤンキー漫画」であり、その中にはオートバイを乗り回し、喧嘩に明け暮れるいわゆる「暴走族系」の漫画もあったのだ。実際、先輩連中はどこかの暴走族に所属している者も居たし、兄や姉からそう言った知識と現物を譲り受けている者たちも居た。それまで自転車のハンドルを跳ね上げて「鬼ハン」等と言って乗り回していた小童が、鉄の馬に乗れるのだ、興奮しないわけがない。私自身にそんな兄弟は居なかったが、夕方を過ぎてダレかの家に集まると、ダレかが派手な音をさせて来てくれた。
……ところで、原動機付自転車。所謂原付き、もしくはスクーターと呼ばれる、50CC以下のオートバイをご存知だろうか。古くは1920年代まで遡るが、ここでそんな昔のことを言っても仕方ない。ただ皆さんがよく知る所謂「スクーター」が日本で再燃したのは、ホンダが1976年に発売した『ロードパル』通称ラッタッタ、翌年にヤマハ発動機から『パッソル』と言う「誰でも簡単に」乗りこなせるソフトバイクが、世の主婦層にバズったのだ。その理由には諸処あるが、最も大きな理由に上がるのが「ヘルメット着用」が努力義務だった事。故に自転車のような気軽さで、ペダルを漕ぐ必要もない、スカート履きでも乗る事が出来る。そんな乗り物が日々買い物かごに一杯の荷物を載せ、自転車を漕ぐ彼女らには両手を上げて歓迎された。
――この年の夏までは。
昭和六十一年七月、原動機付自転車のヘルメット努力義務は、着用義務へと変更され、髪型を最も気にする彼女たちは、あっという間に
そんな美味しい『獲物』を『ワルガキ』が放って置くだろうか? 勿論、そんな訳がない。お陰で夜な夜な出歩くと、数人の悪ガキが徒党を組み、灯りのない駐輪場では物音がしょっちゅう聞こえて来たりしていた。
……そんなある種、無法化した地域のガソリンスタンドでバイトをしていると、面白いことが起こる。店の敷地に突然歩きで現れるどう見ても中学生程度の子供達。そんな奴らが手に持っているのは何故かペットボトル。当時のペットボトルと言えば、コカ・コーラなどの1,5リットルサイズで、底部分に別のプラ部品がついたあれだ。そんなペットボトルを持った奴らがキョロキョロしながら、少し小声で聞いてくる。
「……あの、ガソリン1リットル……これに」
現在で考えれば、考えられない事である。ガソリンは特定危険物であり、自動車やオートバイ、又は専用の携行缶にしか入れることは出来ない。(勿論だがポリタンクも駄目である)……だが昭和のある意味おおらかな時代、ガソリンスタンドの敷地内で喫煙すら行っていた時代(当然、注意はしたが)だ。所長はその使用目的は十二分に理解していたが、敢えて聞こうとはせず、彼らに「……気をつけて扱えよ」とだけ話して、販売していた。
――何しろ所長も、結構「ワルガキ」だったので。
そんな、何とも理解の有る店でバイトをして居たのだが、もう一つその店には特徴があった、立地である。その店は国道に面しており、尚且つすぐ隣に大きな神社があったのだ。その神社は大阪ではかなり有名で、特に夏の祭りは大きな行事としてだんじり祭りが行われ、昔ながらの「喧嘩だんじり」で、岸和田の曳き廻しとはまた違った意味で有名だった。……昨今は事故の頻発や、町内会同士の喧嘩などもあって、そう言った物は行われなくなって久しいが。
ただ、そう言った意味もあり、このガソリンスタンドも「ある意味」では大変有名だったのである。何しろ祭りになると人が犇めき、国道は封鎖されてしまうほどなのだ。理由はその国道側に大鳥居があり、だんじりの
「……お兄さん、バイトせんか?」
ガソリンスタンドであるが故に、国道が封鎖されれば、店に来る車やバイクは当然ゼロである。所長達は昼前から屋上での準備に掛かり始め、私達も店仕舞を始める。そんな時、テキ屋の一人がそう言って私達バイトに声を掛けてきた。どうして良いか分からず、所長に声を掛けると「ええぞ! 臨時収入になるやろ?! 頑張れ!」と既に赤くなり始めた顔で笑って言う。
あぁ、勿論では有るがうちの店も出店をしている。所長がどこからか借り受けた、ドリンク用のショーケースを置き、氷と水を張って缶ジュースやビールを並べて、ぼったくるのだ。氷は交差点の向かいにある氷屋さんから直接買い、店に運んで普段は店の隅に有る自販機のジュースを並べる。ビールはいつの間にか店の奥に積まれ、それを夕方になる頃には入れ始める。……正直、普段なら絶対買わないほどの値付けにも関わらず、祭りの熱気と人の多さで浮かれているのだろう。暗くなり始める頃には国道は人で埋まり、店の周りにはとんでもない数の人が押し寄せる。そんな中で「ジュースいかがですかぁ?! ビールキンキンですよぉ!」と叫ぶだけで、笑ってしまうほどに売れていくのだ。声を出すのには慣れている。何しろ、当時のガソリンスタンドでは、大きな声での挨拶と、接客だけは叩き込まれたから。
……あぁ、思えばこのガソリンスタンドでバイトしたお陰で、私は人とのコミュニケーションが取れるようになったのだと今更ながらに思い出せた。
結局、その日のノルマの飲み物は売り切り、だんじりが神社に集まり始めた頃、テキ屋の手が回らなくなったのか、私達に回ってきたのは、腕に巻き付けて光るサイリウムや、光るヨーヨー等、普段なら絶対目もくれないような物の販売を任された。
「……二割でええよ」
そう言ったテキ屋の悪い笑顔は今思い出しても「あくどい顔やなぁ」と思ってしまう程。早速とサイリウムを首に巻き、光らせて「オネェさん! これどう?!」と声を掛ける。皆笑いながら「えぇ?! ぼったくりやろぉ?」「いやいやいや! オネイサンにはおまけもするで! このビールとセットでポッキリ!」とどこから見ても高校生くらいの女子たちグループに声を掛ける。
「こら! ジュースやろ?!」
鉄板のボケやらツッコミを同僚たちとワイワイしながら話している……。
――昭和のおおらかな時代。まだ十六になったばかりの私に訪れた、暗い青春時代の中の少ない楽しかった思い出だ……。
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