第5話


 

 ――空はどこまでも高く澄んでいて、雲ひとつも見当たらず。


 ――まさにその日は『ハレの日』だった……。



 校門の前には大きな看板が立てかけてあり、人が並んで写真を撮るために順番待ちをしている。女性は皆着飾り、男性陣は大きなカメラを両手で支え、順番のたびにパシャパシャと「もっとこっちだ!」と指示してみたり「すいません、撮って頂けますか?」と順番待ちの人に頼んでいたりと、そこはまるで『聖地巡礼』の様相だ。校門前にデカデカと立て看板が立ててあり、そこには綺麗な文字で大きく「入学式」と書かれている。


 私が通う小学校には制服がなかった。……というか、当時の記憶では小学校時代から制服制度がある学校というのは私立か、余程名の通った名門校くらいだったと思う。故に皆今日のこの日だけは、小綺麗な服を着たり、中には私のように子供用のスーツを着て真新しいランドセルを背負った坊っちゃん嬢ちゃんが溢れていた。……人生を通してあの日、生まれて初めて真っ赤な蝶ネクタイを付けたのはいい思い出だ。スーツと言っても子供用の半ズボンタイプで、全身「サ模様(千鳥格子)」の今見返すとゾッとするようなだったが。


 兎に角、そうして大きな団地地帯の中で小学生時代の私の人生は始まった。団地地帯と言ったのは過言ではない。何しろその地域は四十棟以上の団地がひしめき、未だ増築中という、団地の何棟かで一つの地区が余裕出来るほどの大きさだったのだ。商店街は勿論、病院や果てはバスの営業所までもその団地内に存在し、日常生活の殆どがその団地地帯内で完結できていたのだから。……まぁ、それでも地域には電車が通っておらず、繁華街に出掛けるためにはバスで揺られて中心街まで出て行かなくてはならなかった。


 小学校時代の私は奔放だった幼稚園時代とは少し違った性格になっていた。なんでも思い通りになっていたあの頃のような発言は鳴りを潜め、どちらかと言えば人の顔色を窺う様な、少し影の薄い、暗い少年になっていた。友人は出来たが、自分から誘うことはせず、いつの間にかその場に居るという様な、居ても居なくてもいいような存在……。


 友人だと思っていた者たちに突然そっぽを向かれ、誰にも相手にされないというトラウマは幼心に大きな疵として残り、それを克服するにはかなりの時間と自身の努力を要した。小学校低学年はそれに加えて拒食気味だったことも有り、痩せっぽちのちびっ子で今とは似ても似つかない程……。


 ――可愛い顔をしていた。


 ……いやマジで。目はクリクリとしてはっきりした眉、なのにほっそりした手足。私を見た近所のおばちゃん連中は必ず「お人形さんみたい」と私をからかったのだから。大人しく、何時も団地の周りを走り回っている子どもたちとは一線を引き、まだ小さな妹と一緒に団地の公園にある砂場で大人しく遊んでいる私を見た親たちはそう言って母に「面倒見の良い優しい子やねぇ」と言われて「あんたが優しい可愛いなんて、今の姿見たらどこのやと腰抜かすやろな!」母は笑っていた。


 そう。私が大人しく、影の薄い生活を送っていたのは小学校低学年までの話……。


 ……いや、正確に言えば父がと言えば良いのか。


 先述の通り、我が父は九州の博多生まれ、十五までを博多で暮らし、その後大阪で就職。未だにと博多弁で「しぇからしか! 喰らわすど!」と口と同時に手が出る親父殿だ。そんなおとこが、可愛い私を見てどう考えるか。食の細い、線も細い。暴れるなんて以ての外で、しょっちゅう図書館で借りた本ばかり読んでいる……。


 三年間で我慢の限界が来た。


 それまで、私は父とたった二人で食事に行った記憶は無い。家族ででかけた時に当時出来始めたばかりのファミリーレストランや、百貨店などには昼食でレストラン等には連れて行って貰っていたが、その日初めて父は私を「焼肉屋」へと二人だけで出掛けた。それまでの私は肉料理と言えばハンバーグやウインナー、食べても豚肉の生姜焼きやカレーに入った牛肉程度しか知らなかった。家では魚料理がメインとなっていて、家で肉料理はあまり食べてこなかったのである。


 産まれて初めて入った「焼肉屋」の匂いは今も忘れない……。脂の匂いとなんと言えない炭の香り……臭くて堪らなかった。のに、そんな臭い場所で食べた『ハラミ』の旨さをどう表現したら良いのか、当時の私はうまく出来なかった。


 それからは月に一度、何故か父は私をボートレースに誘ったあと、毎回『ハラミ』を食べに連れ回った。母には内緒だと言われていたが、私のズボンのポケットに突っ込んだハズレ舟券を見た彼女は多分、気づいていたと思う。


 そうして気づくと私はいつの間にやら、体だけは綺麗にし、頬肉がふくよかになってなんとも睨みの効く良い『男』に戻っていた。……何しろ運動はせず、いい肉ばっか食ってたのだから。そうして私の図体が戻った頃、母と父は『話し合い』をしたらしく、ボートレースに連れられる回数も減っていった。


 そんな離婚の危機もなんとか乗り越え、妹も機嫌良く幼稚園に入った頃、私は初めて学校で喧嘩をした。


 きっかけは些細なことだった。友人同士のじゃれ合いで押し合いをしてした一人が私にぶつかったんだと思う。それを見たソイツが私に「豚にぶつかったから痛くないやろ」と笑った瞬間、ソイツをひっぱたいたのが始まり。教室内で暴れ、相手は鼻血を出してしまい、あえなく私は教師に捕まり、お説教。今まで大人しかった私が急に暴れたのを見た皆も、その時を境に見る目が変わった。


 ――暴れん坊再爆誕。

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