第4話


 時に昭和五十一年の春、四月八日に私は小学生としての人生を歩み始める。通うことになった小学校は団地の密集地の南隅に位置し、団地内の全ての児童がこの校区に含まれた。それも当然である。何故ならこの小学校は元々近隣に所在した別の小学校から、分校してできたからなのだ。時代背景からも察せるとは思うが、第二次ベビーブームとこの団地ムーブが同時に起きたこの地域では、所謂当時の子育て世代、特に小学生程度の兄弟姉妹が多い低中所得者がこぞって団地に集中したのである。故に校区内に在った小学校だけでは足りず、未だ開発中だった団地の端にこの小学校は建てられた。ただ、私が入学した時点では、そのマンモスぶりも幾分落ち着いたのか、一クラス四十人程の五クラス程度になっていたが。


 ……おっと、ここで失念していた事を思い出してしまった。この時期の私自身の身体的特徴の事だ。


 産まれた当時は健康優良児、幼児期はよく食べ、外で走り回る生活を送っていた私は、それなりに大きな体格をして周りの同年代の子供達より一回りは大きかったと言う。……だが、卒園手前の頃には大人しい……いや、引っ込み思案な性格になり、食事の量も極端に減った私は、気づけばガリガリに痩せた周りの同年代と然程変わらぬ体格に変容していた。


 ――悲しい出来事があったのだ。


 外であまり遊ばなくなった私は当然、家にいる機会が増えた。母とまだ産まれて間もない妹が居る家……。家の用事をしながら乳飲み子の面倒をみる母は当然だが何時も疲れていた。だが子供である私にそんな母の心情まではわからない。故に何かに付けては母に構ってもらいたくて妹にちょっかいを出して泣かせてしまい、結果母には怒られてばかりの毎日……。妹が離乳食を始める頃には、ほとんど私は放任されてしまうほどに放って置かれることもしばしば。父は夕食時には偶に在宅していたが、そんな父が私の面倒を上手く見られるはずもなく。大好きだった食事がいつしか、とても辛いものに感じるようになってしまった。そんな中で起きたのが、ある種未だに残る私のトラウマになった出来事。


 その頃の我が家の食事情はとても和風な家庭だった。まぁ、母がそんなに料理上手ではなかったというのもあるかも知れないが。とにかく、家の食事のメイン料理はなんといっても魚だった。煮付け、焼き、炊き……。バリエーションは様々だが、夕飯のメインは必ずと言ってもいいほど、魚料理が並んだ。これには先述したのともう一点、母が肉、特に鶏肉が駄目だと言う難点が存在したためだ。幼い頃、彼女の実家では鶏は自宅でて料理をしていたそうで、母はいつもそのシメた鳥の羽を毟るのが仕事だったそうだ。その為、目の前で首を切られるシーンが目の裏に焼き付いてしまい、鶏を食すことが出来なくなってしまったらしい。


 現代ではスーパーに並ぶ『鳥肉』……、勿論それが生きていたことを皆は知っているだろう。だがそれらがどの様に屠殺され、捌かれてあの白いトレーに並ぶかはあまり知られていない。私はヴィーガンを主張や養護もする気はないが、今の飽食には少し自戒しなければと思うところではある。


 ――閑話休題。


 そんな魚料理が何時も並ぶ我が家だったが、当時の私はまだ幼稚園児。骨の付いた魚をそのまま出されても、綺麗に食べられるわけがない。中骨、小骨を取り除き、身をある程度ほぐして貰われなければ、魚を食べることは出来なかった。故に母はいつも自分の魚を食べながら、その骨を取った部分を取り分けて、皿に小分けてもらった分を食べていた。……だが妹が離乳食を食べるようになると、母はそちらに忙しくなり、自分の分の食事すら後回しにして妹の面倒を見なくてはいけない。結果、目の前で一人晩酌を嗜みながら、悠々と食事を摂る父に母が頼んでしまったのは仕方がない事なのだ。目の前にある大きな鯖の煮付けを、私がそのまま頬張る瞬間すら見ていなかったとしても。


 それは尾の身ではなく丁度腹の部分、十分に炊かれ、煮付けられた身はホロホロと崩れる。骨はすっと外すことが出来、そのまま口に運べば醤油で味付けられた身が芯まで染みて、生姜の風味と相まって米が進むこと間違いないであろう。……その工程を知る大人ならば。


「……ウグッ!」


 その激痛は口に入れてすぐに喉で起きた。息もできないほどに何かが喉に突き刺さり、すぐに目の間がチカチカするほどに痛みで涙が溢れ出る。その様子に気づいた母が「どうしたの?!」と慌てるが、声を発せず呻いていると「なんや?」と初めて父が面倒そうに私と魚の乗った皿を見て「あ?! コイツ骨外す前に食ったんちゃうか」と言う。すぐに母が「ご飯! ご飯飲みなさい! 噛まずに! はよう!」と言って、口に無理やり米を持ってくるが、それを飲み込むどころか息すら出来ず、私はそのままのたうち回る。次第に苦しさがピークに来た頃、失神仕掛けた私を父が足首を掴んで持ち上げて、逆さ吊りのような形で揺さぶリ始める。「おい! 吐け! 吐き出せ!」と喚いているが、気分は悪くても吐けず、口からだらりと何かが垂れだした頃、母が口を覗き込み、まさか喉に刺さった中骨を見つけた。すぐさまそれを取り除こうと指を突っ込むが、当然そんなことでは骨に届かず、最終的に母が私を逆さ吊りにし、父が台所から持ってきた菜箸を使ってその骨を抜くという、今思い出しても身震いするような荒業で骨を取り出された。不幸中の幸いか、骨は深く刺さっておらず、傷も浅かったのか、翌日の朝にはなんとか粥を食べられるほどには体調は戻っていた。当然翌日病院に連れて行かれ、くっそ苦い喉薬を直接綿棒で塗られてゲェゲェ言ったのは、嫌な想い出の一つになっている。


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