第2話



――家族が増えた。


 我が家に新たな同居人、妹御がやってきた。その日の朝はそれはもう大騒ぎで始まったという。……しかしながらその辺の記憶は哀しいかな殆ど覚えては居ない。何しろ50年も前の事で、しかも当時は母も病院に居た為、父だけでは小さかった私の面倒を見られるわけもなく……。年の近い子供が居る近所の家に預かってもらっていたからだ。母は近所の知り合いの車で自宅には午前中に帰ってきたらしい。当然だが父は仕事で不在、結局私自身も自分の家に帰宅したのは夕方になって全てが落ち着いてからだったと母に聞いた。


 


 ――とにかく小さい。

 何もかもが小さなサイズ。手の指なんかはまるでふにふに動くイモムシのよう。口を開ければ歯もなく、その日の殆どを床に敷かれた小さな布団の上で過ごしている。目を開ければ泣き始め、その都度母は甲斐甲斐しく世話を焼いている。……そうすれば、私の事など構っていられない。それでもじゃれつく私に母は、遂に言ってはならない言葉を発した。


 ――アンタはもうお兄ちゃんなんやから。



 ……なぜだかこの言葉だけは幼心に強烈な言葉として残っている。

 確かに。確かに私は眼の前に居る、小さな何も出来ない赤ん坊に対して兄なのだろう。


 だが、それが何だと言うのだろう? 私にとって、母は母である事に代わりはないし、父もほとんど家には居ないが父なのだ。私は息子で二人の子供であることに代わりはないというのに、何故、妹と言う存在が出来た途端、母からの愛情を受け取れなくなってしまったのか? 全く理解が出来なかった。ただその言葉がきつく、胸に深く突き刺さり、結果、私はその後、数ヶ月ほど幼児返りしてしまったと聞いた。隙を見つけては母にしがみつき、夜寝る際には母と布団を共にしないと眠れなくなり、挙げ句、母乳すらも吸っていたと。


 そんな暗黒歴史の時期もあったが、5歳になると、流石に私も幼稚園に入園させてもらえた。昭和の時代、幼稚園に1年保育というのはザラで、逆に保育園からという子供のほうが殆ど見かけたことはなかった。……まぁ、うちが貧乏世帯だったのも原因であるが。ただ、幼稚園での思い出といえば、先生と言う存在が自分にできたこと、そして何より今までとはまた違う、沢山の同年代の友達が増えた事だろう。母以外の若い女性の保母さんの胸をもみまくり、走り回って同年代の子供達と意味もなくはしゃぎまわっていた。今のようにキチンきちんとした時間割はなく、お絵かきの時間やお外遊びの時間、読み書きやお話を聞く時間など、緩く時間は進んでいった。当時の私は発育がよく、皆よりも少し大きかったせいで、目立ったこともあって、しょっちゅう園長先生や、他の保母さんに怒られたのをぼんやりと覚えているし、母にも聞かされた。



 ――そんな傍若無人に拍車がかかっていた頃、遂に産まれて初めて警察のお世話になる事件を起こしてしまう。



 自身としての記憶は既に曖昧で、どうしてそんな事をしようと考えたのかは覚えていない。


 ただ思い出の奥を探ってみれば、その「目的地」に向かいたかったと言う事柄だけが見つかった。


 切っ掛けは些細な事だったと思う。同年代の友人達と、家の近所を走り回って遊んでいた時「どこか」に誰かが行きたいと話したと思う。他の友人が電車に乗って家族でどこかの百貨店だったか、遊園地だったか……。とにかく楽しかった思い出を話してくれた。それを聞いた友人の一人が羨ましがり、行きたいと駄々をこね始めた。


 昭和50年代、鉄道といえば「国鉄」が主流で線路は地面を走り、柵なども簡易な場所が多くて、線路内への侵入など容易にできた。私達の住んでいた文化住宅も、線路から数分の場所にあり、良く線路の敷石を拾いに入っていたものだ。(今考えると、それだけで十分捕まっていたかも知れないが)


 とにかく、友人は羨ましがり、目と鼻の先に件の線路はあった。……かくして、私達はあの有名な映画の様なシーンを幼稚園児時代に敢行していた。





 夕焼けが色濃くなり始め、住宅街のあちこちから夕飯の匂いが漂い始めた頃、母たちは違和感に気づく。


 普段なら必ず聴こえていた、子供たちの声が全く聴こえない。


 少しすると、誰かが子供の名を大きな声で呼んでいるが、返事が聞こえない……。ふと時計に目をやると、時計は既に5時半を過ぎていた。



 ……辺りが暗くなり始め、線路の上を歩き始めてどのくらいの時間が過ぎただろう。友人たちは既に飽き、歩き疲れたのかぐずり始めた者も出始める。不幸中の幸いか、列車は私達の隣の線路を走っていた。


 暫く後、日も暮れて流石に不安が募りだした時、不意に隣を並走する道路に赤色灯を回転させて、サイレンを鳴らさず近づいたその車から、真っ黒な制服の大人たちが駆け寄ってきた途端、私も遂に堪えきれなくなって、その場でわんわんと大声を上げて泣き崩れた……。



***



 ――と、物語風に書いてみるとこんな状況だった。


 まぁ実際には、線路を歩き始めたのは小一時間も経っていなかったらしく、しかも実際に歩いた距離は一駅分も無かったそうだ。母たちは気づいてすぐ警察に駆け込み、巡回のパトカーに連絡を入れた瞬間に私達は発見され、無事保護されてパトカーに乗せられ、警察署に連れて帰ってもらった。


 ……何故かは分からないのだが、そのシーンだけは脳裏に今も残っている。


 皆と一緒に署の会議室のような場所に連れて行かれると、母たちがその部屋に居て、私達を見た途端、大きな声で泣き叫びながら抱きついてきた。その声はとても大きく、泣きながらだったのであまり意味は分からなかったが、抱きしめてくる力はとても強く。それでいて何故か苦しくはなかった……。

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