エッセイという名の備忘録

トム

第1話



 さて題名は決まった。先ずはどこから書き始めるか――。


 そうだな、やはりここは最初に予防線という言い訳を、先ずはつらつらと書き連ねておくとしよう。


 タイトルにもある通り、これから書くことは総て私の備忘録である。


 最初にエッセイと銘打ったのは自分の思いが……想いが多分に入っているから。それは記憶の整理でも有るし、妄想の産物も混じっているかもしれない。何しろ私の足跡をここに置いておこうと考えたから。故に思いつくまま思い出したことや思っている事を書き連ねていく。……因みに私の人生は既に50を過ぎている。どれだけ長くなるかは私にすら想像できない。冗長に思われるかもしれないし、共感を得られるとも思ってはいない。


 ただ、切っ掛けが有り、こうして物を書くという喜びを覚えてしまった。まともに書くようになったのは1年ほど前とまだ初心者にもなれていない、新参者。定石やルールなど当然知りもしない、そんな初老の手慰み。良ければ暫しのお付き合いを。



~*~*~*~*~*~*~



 私は先述の通り、既に初老と呼ばれる50を過ぎた男性である。遠く記憶の奥を漁ってみれば、最古の記憶は幼稚園に上る前。約50年前の記憶が断片的だが思い出せる。それ以前は親に聞いた話や、当時を切り取った写真だけが、私の姿を見せてくれる。


 私は1970年の生まれ。大阪市内で祖母が営む、助産院で産声を上げた。当時としては健康優良児で3200グラムほどの大きな赤子だったそうだ。祖父母はとても喜んでくれたそうなのだが、母の兄弟はそうでもなかったらしい。母は、見合いを勧められていたにも関わらず、私の父と出来婚するという、当時としては珍しい奔放な人だった。その為、援助は殆ど受けられず、相当苦労したと聞く。二人が暮らすアパートは、文化住宅と呼ばれる、長屋の連戸で2階建てだった。トイレは有るが風呂はなく、ベランダすらも付いていない。洗濯機は表の共用廊下に置き、物干し竿も廊下の手すりの前に提げていた。


 世は高度経済成長期の真っ只中で、世間は所謂スーツ族で溢れ、工場地帯では光化学スモッグと言う汚染物質を撒き散らし、第2次ベビーブームにより、日本の人口は1億を超える。そんな時代背景の中、私の家は父と母、そして生まれたばかりの私の3人。今や第2の都市と呼ばれる大阪市の真ん中で、風呂のない二間続きの小さな家で、貧乏暮らしを満喫していた。


 

 父は九州の博多生まれの男だった。大阪には集団就職で上京し、大手電力会社に就職した。そんな父は根が真面目な性格で、出世欲だけは持っていたが、人付き合いが超がつく下手くそだったという。若い内に田舎から出てきた父にとって、大阪のきつい物言いは癪に障ったのだろう。何しろ父も九州男児、16やそこらで世渡りなんて出来るはずもない。上長や周りの人間とすぐに揉め事を起こした結果、電力会社から飛ばされ、その子会社である工事会社へ出向となった。……だが捨てる神あればなんとやら。行った先の工事会社はほぼ土工に近いものがあり、言い合いよりも手数のほうが多かった。変な所で水が合い、父はそこで腰を据えられた。酒や煙草、パチンコに飲み屋街……。全て会社の先輩に連れ回され、父の奔放ぶりは開花していく。



 ――何故こんな父の黒歴史を知っているのか。まぁ、魚心あれば水心。酒を酌み交わせばいくら父でもその口は軽く、緩くなっていくのだ。



 当時としては、父は結構な高給取りだった。にも関わらず、家は貧乏暮らしを満喫。……それは父の散財癖の所為である。毎日毎日、汗水垂らし、本当に真面目に働くのだが……その半分以下しか家には入れなかった。付き合いだと言っては、先輩連中や同僚と飲み屋街を練り歩き、よく痣や口周りを切って帰宅していたそうだ。



 だが、そんな父であっても、家族を蔑ろにまではしなかった。お宮参りや七五三参り。様々な行事などにはキチンと一緒に居てくれたし、休みの日は殆ど寝ていたが、私の面倒もそれなりには見てくれたという。


 そんな家庭環境の中、私はのびのびと地域で育てられた。父は朝から夜遅くまで家にはおらず、母は専業ではあったが、手伝いなどをして小銭を稼いでいた。乳飲み子の頃は母の背で、ある程度育つと、同じ様な子がいる家で交代制で面倒を見てもらえたのだ。当時、幼稚園は有ったが、うちの近所に保育所はなく、またベビーブームのせいもあって、今で言う待機児童が沢山出来た時代でもあった。当然だが保育料もそれなりに高価で、所詮貧乏人であった私の家では、通わせるにしても1年保育が精一杯だった。


 そんなまだまだ貧乏だった4歳頃、母のお腹は大きかった。元々ぽっちゃり系では有る母だったが、そのお腹はどう見てもパンパンに張っていたのを記憶の隅に覚えている。そしてその頃、どう言う訳かは知らないが、母の実家とは絶縁状態になっていた。その為、二人目の赤ん坊は祖母に取り上げられることはなく、どこかの産婦人科で産まれたのを覚えている。


「……いもうと?」

「そうや! お前兄ちゃんになるんやぞ!」


 病院からの報せで父が仕事場から帰り、近所の家に居た私に、父が嬉しそうに言ってきた。ちょうど昼寝をしていた所を連れ出され、タバコの匂いが充満する軽トラックで病院へと到着すると、私の歩幅に我慢できなかった父はそのまま背におぶり、母の病室へと階段を駆け上がっていった。



~・~・~・~・~・~



「……ほら、見てみ。あのちっこいのが妹や」


 乳児室の前に嵌ったガラス窓に張り付くような態勢で、私を背に乗せてはしゃぐように話しかけてくる。どうも父は娘が欲しかったらしく、そのはしゃぎ様は看護師が「少し声を控えてください」と注意されるほどだったという。


 ――なんか、猿みたい。


 私の記憶に残る、妹のファーストインプレッションは、確かそんな想い出だ。



 時に昭和49年の夏。私の家族は両親、私、妹の4人家族となったのだった。


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