湖畔のさんかく

彼岸りんね

出逢いは白息立つ白の湖畔で

第1話 溺れる鳥に掬う人あり


 こなれた坂を自転車で下る。

 重力と等速直線運動……だっけ。そういうのが身に沁みて感じた。


 今年の冬は、今日の冬は、特に寒くて、あと少しの春がだいぶ先に感じた。


「俺の自転車テクに敵うと思うなよ……?」


 カッコつけているが、内心バクバクで、ほぼ反射神経に任せてハンドル捌きを熟している俺17歳。


 ばしゃん!!


「んおっ!?」


 坂の隣にある湖から、凄い、もう、破裂音と似たような水面を叩く音が聞こえた。

 左手を軽く握ってから右手を握る。後輪の車輪から前輪の車輪へ、ゆっくりとブレーキが掛かる。


 この単純なように見える手順。しかしこれを間違えたら今日、俺は凍ったアスファルトに顔面キスの日確定だ。


「……やめとこ」


 考えるのが怖くなった俺は、坂の横にある平地に自転車を止め、湖の様子をガードレール越しに見てみた。


「!!………おいおいおい、嘘だろ!!」


 薄い氷が張っていたはずの湖は水面を顕にする。

 流石に氷を割った張本人ではないと思うが、ちょうどど真ん中には、人が浮いていた。


 どっから落ちた? なんであそこに。こんな真冬に湖に浮かぶなんて……! てか裸!?


 冗談抜きで焦った俺は、急いで自転車まで戻り再び漕ぎ、坂下まで下った。


 坂下に無事転ばず着いてからは、自転車をかなり華麗に放り投げ、湖の入口、今の時期はとっくに閉鎖されたボート貸し場へ急いだ。


 ボートで湖の真ん中まで行こうにも、がっちりと南京錠とその取り巻きみたいな鎖が邪魔で、ゲートは開く気配がしない。


「くそっ……行くしかねえのかよ……」


 俺は重りになるだろうことを予測して手袋マフラー、コートにジャケット、ズボンを脱ぎ捨てた。


「くぅう……っ!!!」


 クソ冷たい水を少しずつ体に掛ける。もうすでに手がかじかんできた。


 だがここでこれを止めたら、それこそ死!! いきなり入ったら心臓が飛び跳ねて死ぬ!!!


「……覚悟を決めろ悠太郎ゆうたろう、俺は男だ!!! お、おとこっ、男、だぞっ? おと、おおおと、おと………


うわぁぁあ!!!!」


 ………バカ、バカか俺!!? なんでダイブしてんだよ!!! う、心臓が…………でも、でもなぁ!! ここまでやって死ぬつもりはねえぞ!!!


 俺は硬直して縮こまりたいと叫ぶ筋肉を伸ばしに伸ばし、全力で浮かんでる人まで泳いでいく。


「ぷ……ハァ!!! あ、あぁあやべぇこれ!! やべぇってこれ! おい! アンタ大丈夫か!!」


 肌が白すぎて死んでんのか生きてんのか分かんねえ……!


 とにかくここから脱出したい一心の俺は、意外にめちゃくちゃ長い、この人の髪に腕が絡めとられないよう背負って岸へ、クロールと犬掻いぬかきを混ぜながら死物狂いで泳ぐ。


「生きててくれよ……?」


 なんか心音聞こえなかったけどさぁ……こんなことまでして背負ってんのが仏様とか、嫌だよ? おれぇ……。


「っ……よし゛! おい!! ほんとに死んでるのか!?」


 岸についてから慌てて、背中からずり落ちたその人を仰向けにした。耳を胸に近づけ、俺は改めて心音を確認する。


「う、動いてない!?」


 案の定といえば案の定だった。


 だって音からしてかなり勢いが良かった。急に冷水に身体浸したりなんてしたらそりゃ止まるに決まってんだ。


「お、おい!!」


 俺は叫んだ。本当に怖くなって、大声で叫んだ。


 人は来る気配がない。

 じいちゃんとばあちゃんが気づいてくれることを祈りもした。


 でも、じいちゃんとばあちゃんの暮らす家から、長い坂の下からじゃ聞こえるはずもなかった。


 死なせたくない。そう思った俺は、中学で習った浅い知識で胸骨圧迫。蘇生を試みた。


「っ……頼むよ! 起きてくれ!!」


「……________!! ゲホッ!! ゲホッ、ゲホ……!」


 蘇生が成功したのか、その人は急に目を開いて口から水を吐き出した。


「つ、強く押しすぎたか?」


 その人はぼんやりとした淡い瞳で俺を見つめた。黒が俺を優しく。それから





「…………そ…………はは」





「おい!?」


 俺をちろり、と見て、見飽きたのか。そう言ってまた倒れてしまった。


 取り敢えず水を吐き終えたから息はちゃんとしてる。気を失っただけだったが、まだ俺の心臓がうるさい。

 取り敢えず俺は下着を脱ぎ、あったかさの残る制服や防寒具を着ようとした。


「あ」


 俺の着替えが終わったのは凍え死なずに済むとして、問題はたすけた人だった。


 まさかの素っ裸。


 コートはこの人に貸そう。そう決めてコートで身を包んでから、抱える。


「……………軽ぅ゛ッッッ!!?」


 とんでもなく軽い。てかスイカよりも軽いんだけど!!? こんなの荷物持ったときしか味わわない感覚なんですけど!?


 混乱した俺は、少し大きめの、小包み程度の重さしかないその人を抱えて家に帰えることにした。


「………どだなごどがわがんねぇえ!!!」


 と言って俺はツルツルを越えてガリガリな坂道を、ザリザリと氷を踏みながら駆け上がった。

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