第2話 襲来

御井葉縁は魔法使いである。


その事実を蕾が知って以降も、二人の関係には何ら変わりはなかった。


以前と同じように会話し、生活する。


何も無いのは、蕾が敢えてその真実に触れなかったからだ。


蕾は迷っていた。


縁を信じるべきなのか。


或いは敵視すべきなのか。


縁は味方なのか。


敵なのか。


魔法使いなのに、どうして矯魔師をしているのか。


相反する二つの立場を共有している理由。


少なくとも明るい理由ではないことは、蕾でも分かる。


惨く、悲しく、耳を塞ぎたくなるような理由や過去がある筈だ。


今よりも更に深い部分にある真相を知るということは、則ち縁の裏の顔を知ることと同義である。


別に、裏があることが駄目だとは蕾は思っていない。彼女の性格はそこまで清廉潔白でないし、現実が白黒はっきりと単純明快に色分けできるなんて幻想も抱いてはいない。


中途半端で世界は溢れている。割り切れるものなんて、抽象的な要素で固められた数式くらいなものだ。


人は、他人見せる顔、見せない顔、そんないくつもの顔を持っている。どれかが本性という訳ではない。全て合わせて一つの性になる。良い部分もあれば、悪い部分もある。子供でも知っている当たり前の真理だ。


だから人は罪を犯した人を許すことが出来るり、失敗した人間を慰めることが出来る。


しかし、その真理を言い換えると、縁の隠しているかもしれない「ひどく汚い御井葉縁」が、蕾の知っている「恩人である御井葉縁」と切り離すことが出来ないということを、また意味してしまっている。


黒を薄められるだけでなく、白を濁らせてしまう。


正に諸刃の剣。


縁の真実が善であろうと、悪であろうと。またどちらでもない灰色であっても。


重要な真実であることだけは分かる。そうれなければ、縁はここまで隠していない。


だから、全ての真実を知った後、二人の関係は決定的に変わってしまう。これまでのような関係には戻れないだろうと、蕾は予感していた。


蕾はそれを恐れている。


今、彼女は欺瞞で成り立つ優しく甘い泡沫の関係に縋っているのは、最後の現実逃避である。いつまでも縋ってはいられない。


姉の道を追って蕾が矯魔師になったように。


蕾が魔法使いの全てを憎めなくなったように。


真実は何れ白日の下に晒される。


自分から縁に聞くのか。時間が解決してくれることを待つのか。どちらを選んでも後悔は残るだろう。


蕾は選択を迫られている。


(早いか遅いかの違い。なら一層――――――)


蕾は月灯の照らす深夜の街を一人徘徊していた。


最近の蕾はこのようにして、矯魔師の業務の一つである見回りの最中に今後の選択について思考を巡らせることが多くなっていた。


一夜で街の全てを回るには、どうしても二手に分かれるしかない。


都合よく一人でいられるこの時間が、誰にも―――特に縁に聞かせられない考え事をするには打って付けであった。


「お姉さん。考え事?」


道の真ん中に現れた人影は、まだ暑さが目立つ気候であるにも拘らず、身体がすっぽり入るサイズの、身体の線が全く見えないぶかぶかのジャンパーを、チャックの上まで閉めた状態で身に着けており、フードを目深に被っていた。


(顔が見えない。背は低く、声は高い。女の子でしょうか?)


「無視されると悲しいなあ」


「……人に話せる内容では無いので」


「その悩みはお姉さんに対して?それとも他の誰かに対して?」


「話す気はありません」


しつこく聞かれるので、より明確に拒絶の言葉を口にする。


「ああ、誰かに対しての悩みなんだね」


その人影はまるで気にする様子無く、軽い調子で話し続ける。しかも核心を突いた言動は、蕾の心を揺さぶった。


「お姉さん優しそうだもん。他人の好意を無下には出来ないよね。さっきみたいに直ぐに突っ撥ねるってことは、自分の為にしにくい。誰かの為に、お姉さんは強く追及を拒んだ。つまりお姉さんの悩み事は、誰かのプライベート…………他人に聞かれたら困る秘密に関係するもの。あ、そっか!だからこんな所で一人で考え込んでいたんだね!」


心を覗かれているように、影は蕾の心情、行動をことごとく看破する。

図星をつかれて驚愕している間に、蕾の表情を読み取った影は「あ!当たりだった?」とまるでクイズに正解した子供のように、手を打って無邪気にはしゃいだ。


「もう一つ当ててあげようか。お姉さんが悩んでいるのは、『御井葉縁』について、でしょ?」


その名前が出たということは、もしかして。


蕾は一気に影への警戒を上げた。


「矯魔師なのに、魔法使い。聖職者の癖に、魔の使い。半端者。復讐者。意味不明な存在。そりゃあ、お姉さんも困るよねえ?」


「貴女は、一体何者ですか?」


「そんなことどうでもいいでしょ?今はお姉さんの話をしているんだよ?お姉さんはとても可哀そう。可哀そうなお姉さん。答えの無い迷宮に一生彷徨う。なんて哀れなお姉さん。お姉さんの憂いを晴らすには、真実を知るしかない。お姉さんは、御井葉縁がどっちだと思う?」


「どっち、とは?」


「魔法使いか。矯魔師か。はたまた人間なのか。化物なのか。お姉さんが知りたいことは、つまりそういうことでしょ?決して明かされて来なかったブラックボックス。開けてみないと、中身は分からない。お姉さんはどっちなのか、知りたいんじゃないの?何だったら、私が教えてあげる。知ってしまったら、もう戻れないかもしれないけど、ね。いや、戻れないよ。聞けばきっと、お姉さんは御井葉縁と同じ位置にはいられない。対極の存在になる」


「例え先輩の過去に何があっても、私が先輩から離れることはありません」


善でも悪でも、灰色でも。関係が変わってしまっても。無くなることはない。


それだけは嫌だ、と蕾は強く思っていた。


「本当に?だったら、どうして悩んでいるの?悩む必要が無いよね。本当はお姉さんも予感しているんでしょう?御井葉縁と決別することを。御井葉縁が、自分とはかけ離れた、共感や共存の出来ない、住む世界が違う存在であることを。皮肉だよね。そうなるように仕向けたのは、御井葉縁自身なのに」


「貴女はどこまで知って…………何故、私達のことを知っているんですか?」


「魔法だと思った?残念。ただの推測だよ。御井葉縁の過去を知っていて、お姉さんのこれまでを伝聞して、それだけの情報があれば、この程度の解は誰でも導ける。お姉さんが本当は分かっているのに、分からないふりをしているんだ。そのままでいていいよ。それが一番幸せで、楽しいよ?今は特別。今を楽しまないと損だよ」


影の言葉は、要領を得ないものだった。


話が通じていないというか、影の中だけで自己完結してしまっている。


何を考えているのかが、決定的に分からない存在に、蕾は不信感を募らせる。


「私達はみんな、何にだってなれる。善人でも、悪人でも、灰色にだって、ね。あらゆる面を内包するのが人。どうしてそんなに曖昧な存在なのか?心が不明瞭だからだよ。誰も、他人の心を掌握することは出来ない。完璧に覗き見ることは叶わない。だから確定しないし、流動的になる。無限の可能性がある。見たいものだけを見れる。とっても素敵でしょう?」


真実をすれば、決定的に何かが変わる。


住む世界が隔たれてしまう。


つまり、縁は敢えて自分の住む世界から、蕾を遠ざけていた?


縁が蕾に禁じていたこと。


「ああ、駄目だよ」


十メートル以上離れて会話していた影は、一瞬にして両者の鼻が付くほどの距離まで肉薄していた。


突然のことに、蕾の思考は中断される。


「それ以上は駄目。いらない、いらない。今が一番素敵で、幸せなんだからさ、それで良いじゃない。わざわざ苦しむ必要は無いよ」


逃避の肯定。


どこまで知っている?どうしてそこまで、自分に介入してくるのか?影の意図を蕾は測りかねていた。


「貴女は一体―――」


「いや、魔法使いだろ」


どこからか。そう吐き捨てられる。


「面倒くさい。後ろに飛べ」


言われたままに、蕾は後方へ飛んだ。


それと同時に、彼女の目の前に何かが振り下ろされた。


とてつもなく速い、そして重い何か。巻き起こる風圧に身を屈める。


影も蕾とは反対方向に飛ぶことで頭上からの攻撃を何とか避けていた。しかし、着地して次の回避行動を取る前に、二人の間に突然割って入った白髪の男は、道路のアスファルトに突き刺さった槍を抜き、斜め上方向に薙ぎ払った。


影のジャンパーがパックリと裂け、中から一部が破損して水が漏れた水道管のように、血液が勢いよく吹き出し、路上に大きな血痕を残しながら倒れた。


男は色の抜けた白髪を腰に掛かるまで伸ばしており、手入れをしていないのか髪質は遠目で見ても分かる程に荒れていた。


男は振り向いて、蕾を見下ろす。


実に人相の悪い顔立ちで、左目を眼帯で覆っている。街中で見掛けたなら絶対に目を向けないし関わりたくない、と多くの人は断言するだろう。


しかし、関わらないという選択肢は蕾には無かった。


彼が持っている槍は、蕾の持つそれとよく似ている。


影の事を「魔法使い」といった。そして、躊躇なく殺した。


彼もまた蕾と同じ矯魔師なのだ。


「まだはっきりしていませんよ。一般人かも…………」


「こんな時間に、普通の人間が赤の他人に長話吹っ掛けて来るかぁ?仮にそうだとしたら、別の意味で危険人物だろう。大体、疑いがあれば確証は無くてもそれで十分なんだよ。疑わしは罰する。俺たちの組織なら当然だろ?そんな当たり前のことを木式は教えてないのかよ」


ぶっきらぼうに男は答えた。


理不尽な物言いだった。


「でも、もし魔法使いじゃなかったら…………」


「甘いんだよ。人間だから殺さない?そんなんだから、灰かぶりの魔法使いに好き放題されたんだろうが!こっちの連中は本当に抜けてやがる!これは戦争なんだよ。その意識がまるで足りねえ!」


「貴方は、海外の人ですか?」


男の見た目は明らかに日本人ではない。


「俺はロシアの人間だ。キリル・ミハイロヴィッチ。主の義体の、左腕。こう言えば分かるか?」


主の義体。


その単語に蕾は目を見開く。


委員会の最高権力。木式と同格の矯魔師。


「そのような方が、何故ここに?」


「魔法狩りだよ。俺たちが存在するのは、それしか理由がないだろ。お前に聞きたいことがある。御井葉縁はどこだ?」


「っ!先輩に何か御用ですか?」


「分からねえのか?先の事件で、裏切り者が出ることの被害はよく分かっただろ。一分の隙でも、組織は崩壊に追い込まれる。不穏分子は徹底的に排除する。そもそも俺は、最初からあいつの加入は認めてない。もっと早くから殺しておくべきだった」


苛立ちを隠しきれずに、キリルは髪をわしゃわしゃと掻き毟りながら答えた。


「魔法使い、御井葉縁を殺す。だから大人しく場所を教えろ。宇津花二等官」

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縁と蕾の魔法狩り 哀畑優 @rrrrrrrrrrrrrrr

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