主の義体

第1話 主の義体

「……はあ」


日本での魔法狩りを終え、現在拠点としている委員会所有のアジア支部の一つに帰還した木式春雨は、自身の机に積み上げられた報告書の山を見て思わずため息を零した。


木式が日本にいる間も、こうして仕事は増え続けている。自分が幹部である以上仕方がないことではあるが、この現状を見せられるとため息の一つもつきたくなる。


「近年減って来ているとはいえ、これまた随分な量だね」


「仕方がありません。世界全体で見れば魔法使いの目撃件数自体は減って来ているとはいえ、アジア圏に限って言えば、ヨーロッパや北米とは異なり目撃件数は多くなっているのですから」


魔法使いの活動の中心がヨーロッパであったことは、もう二百年ほど前のことだ。委員会の成長と共に魔法使いたちは分裂、淘汰されていき、本当に一部の強者達と、愛郷心の強い者達を除いて、その殆どがヨーロッパを追われることになった。


逃げた魔法使いたちの進路は、西と東に分かれる。西は北米、東はロシア、中東。魔法使いの勢力が弱まっているということは、有象無象の弱き魔法使いたちがヨーロッパを中心として、より世界の端に集まっているということでもある。


そのような歴史的な背景が手伝って、ヨーロッパ、北米、ロシアと比較して、アジアはまだまだ委員会の手が及びきっていない領域である。新設されたアジア支部の唯一の主の義体である木式に仕事のしわ寄せが来るのは、情勢的に当然であった。


アジアではここ百年で潜む魔法使いの数が増加している。さらに近年では弱い者だけでなく、名有りの目撃件数も増えている。それは名有りという強者も委員会に押されて住処を変えざるを得ないということで、ある意味では委員会としては喜ばしいことでもある。しかし、そんな未着手な広大な土地を任せれ身としては堪ったものではないだろう。


「これ……今やるの」


「勿論です」


「僕、今、凄く、疲れてる」


「さあ、弱音を吐いていないでキビキビ働きましょう」


「……はあ」


有無を言わさず働かせてくる部下に、木式はもう一度大きく嘆息する。


しかし文句は言えない。この部下はとても優秀な補佐官なので、自分で処理できるものは全て彼方が事前に処理してしまっている。


つまり、木式に回ってくるものは木式にしか決定権が無いような案件のみなのだ。


矯魔師の配置転換の最終確認。魔法使いの討伐報告最終審査。名有りの目撃記録に、討伐の見通し。全て木式が対応せざるを得ない。


「貴女にしか出来ないことは見ての通り山のようにあります。何せ貴女は「主の義体」の左腕なのですから」


「……分かってるよ」


聖罰委員会が誇る最大戦力にして、最高権力。


『主はやんごとなき事情によりこの世を去ってしまった。多忙な主の役割を肩代わりする為、魔を正す使命を課せられた七人』


それが「主の義体」である。


「貴女の判断が無いと組織の動きが滞ります」


「……私一人が動けないと立ち行かない組織なんて、構造自体に欠陥があるように思うがね」


「では民主制にでもしますか?それこそ組織の動きが鈍重になってしまいます」


「個々の裁量に任せて良い時だってあるでしょ」


「構成員の自由は縛られるべきですよ。こんな組織、独裁的にまとめ上げないと一息で瓦解します」


「……そうだねえ。それは良くない」


聖罰委員会に所属する人間は、大半が魔法使いに対して強い憎しみを持っている。


縁のようにお金の為に魔法狩りをするのは少数派。それも公言しているのは彼女くらいだった。


復讐心に取り憑かれた人間全員に好き勝手行動することを許せば、各々が個々の心情を優先し、組織人としての自覚は薄くなる。


魔法使いを排除するという目的のみで辛うじて形を成している集団は、暴走の果てに対消滅してしまうだろう。


木式にもそれは容易に想像出来た。


結局のところ、このやり取りは木式のガス抜きなのだ。


泣き言を吐くのは、合理的な助言を求めているからではない。愚痴を言い合って、「そうか。お互い大変だね」と自身の苦労を共感して欲しいだけだった。


しかし、相手はこの堅物で優秀な部下である。生産性の無い話には一々取り合ってくれない。


(もうちょっと優しくして欲しい……ああ―面倒くさいなあ。もういっそ矯魔師辞めちゃおうかな。でもここ、給料良いんだよなあ……)


あの部下にしてこの上司あり。木式もまた自他共に認める守銭奴だった。


人類に仇成す魔法使いという悪魔ち制裁を与える。そんな大義を委員会は掲げている手前、その最高幹部の席に君臨する、主の義体である木式は本性を表には出さない。が、本質は御井葉縁と変わらない。


命第一。お金を第二に。


縁と違う点は、今の生き方が彼女にとって唯一の道という訳ではなく、また矯魔師になる以前から人を殺して生計を立てていた、という点である。


(これまでの仕事の中ではダントツで割りが良いし、手放すのも惜しい……)


相手をするのは常人ではない化け物。だが思考や癖、弱点は人間と比べて大差ない。人殺しの経験が活きて、さらに普通の人間を殺すよりも高額な報酬を得られる。この職は彼女にとって天職だった。


(それでも命には代えられない。過労死で死んだら、それこそ笑えないな。笑い話にはなるだろうけど……)


木式は横目で書類を積み上げる部下を見る。


彼女は木式より多くの仕事を抱え、裁いているだろうことから、木式も気安く休ませろ、と声高には言えずにいた。


(自分よりも働いている人間がいるから仕事を断りづらい……あれ、何だかすごくブラックな職場じゃない?おかしいなあ、天職の筈なのに……何?洗脳?僕は彼女にいつの間にか傀儡にされていたのか?一応僕、彼女の上司の筈なんだけど)


「……はあ、休暇が欲しい」


部下に聞こえないように、机に突っ伏しながら、そう小さく愚痴る。


部下は冷たい眼で木式を見つめていた。その視線に居たたまれなくなった彼女は「よしっ」と気合いを入れる一声と共に起き上がり、現在進行形で増え続ける書類の山と対峙しようとした正にその時、彼女の携帯の着信音が鳴った。


「ん?失礼……もしもし」


「Добрый день, Косики」


「……せめて英語でお願いできるかな?」


「ああ、これは失礼しました。つい」


流暢な日本語に変わる。


何が「つい」だ。出来るなら最初からやれよ、と思うが文句をぐっと飲み込んだ。


「シャトロイゼ……何かようかい?」


「少し気になる事がありまして、貴女にも一応、伝えておこうと思ったのです」


「?」


「キリルが昨日、ロシアを発ちました。行先は―――日本」


「それは……」


「十中八九、貴女のお気に入りが目当てでしょうね」


「……だろうね。報告どうもありがとう」


「いえいえ。それでは」


用件が済むとすぐに電話は切れた。


木式は報告書の山から目に付いた一枚を手に取った。


『討伐報告。空腹の魔法使い』


その報告書の送り主は御井葉縁である。


彼女が委員会に所属してから5年。その間に討伐した名有りは先日の灰かぶりの魔法使いと、この空腹の魔法使いを合わせて7人だ。


(これ程の成果を上げた矯魔師は主の義体を除くとそうはいない。彼女の能力に疑う余地はないだろう)


信頼はしている。だが万が一があっては困る。優秀な部下が一人失われることになるからだ。


何より、この一件は自分にとって、とても都合が良い。


木式は勢いよく立ち上がった。


「どうかしましたか?」


「林ちゃん。ちょっと任されてくれる?」


「……どこに行く気ですか?」


「日本だよ」


「またですか……」


「そう怖い顔しないでよ。これは僕にしか出来ないことだ。主の義体として。適材適所ってやつだよ」


「……はあ、分かりました。お気を付けて」


「流石林ちゃん!愛してる!」


「はいはい」


部屋から飛び出していくのを、林はやれやれといった様子で見送った。


ふざけているようで、割と切羽詰まった状況であることを、長年木式の下で働いている林は感じ取っていた。故に、強くは止めなかった。


「それにしても、ハリル様……ですか」


ハリル・ミハイロヴィッチ。


ロシアを本拠地に活動している、主の義体の右腕。


木式と同じく、委員会での最高権力者の一人。


そして――――――委員会内部での、御井葉縁の処刑を主張する派閥の筆頭である。


「くれぐれも面倒事は―――いえ、無理なんでしょうね」


林は上司同様、無意識にため息が零れた。




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