閑話 三人目

帽子を目深に被った少年の矯魔師は、今日初めて名有りと対峙した。


士気も勝算も十分にある。そう思っていた。


これまでの魔法狩りとは比べ物にならいくらい、事前準備と訓練は怠らなかった。見たことの無い数の部隊を編成し、敵の情報も一言一句、頭の中に叩き込んだ。ここまでやれば、打倒できないものはない。


そのような綿密な大討罰計画だったにも拘わらず、いざ戦いが始まると決戦前に抱いていた自信は一瞬にして崩れ去った。


自分のこれまでの数年間は無駄だったのだと思い知らされた、脳裏に映る走馬灯は幼少期の魔法使いに家族を殺された記憶から、今の名有りに自分たちが一方的に蹂躙されている記憶まで、一瞬の内に駆け巡った。


走馬灯が終わり、正しく現実を直視すると、そこには地獄が広がっていた。走馬灯の景色の方が幾分かましである。数十人いた部隊は既に半壊している。全壊するのも時間の問題だ。


少年は半身を切りつけられ、肩から腿にかけてぱっくりと深く服と肌が割れ、中から血がドクドクと流れていた。この惨状でもまだましな方で、少年の周りにいた仲間たちは全員殺された。少年が生きているのはただただ運が良いだけだった。


ああ、自分ももう終わりか。


出血による貧血で視界が暗くなり、意識を手放そうとした次の瞬間。目の前で嵐が吹き荒れた。


ドンッ、という重厚な音と共に、ジェットエンジンが噴射したかのように周りの空気が揺れ、強風が巻き起こった。木々を荒ぶらせ、木の葉どころか地面に転がる死体すら宙に放り上げてしまう風は、魔法使いも巻き込んでさらに風速を上げた。


意識を失えば飛ばされる。少年は必死に目を見開いて意識を繋げ、目の前で何が起こっているかを確認しようした。見ようとしても風の強さに目が塞がり、細目にしか捉えられない。


この風は一体何なのか。嵐としか表現できないが、実際に嵐が吹いている訳ではないだろう。ここら一帯。魔法使いのいた場所を中心にして巻き起こる、限定的な台風。


風の擦れる音と同時に、生物由来の震えた悲鳴が聞こえて来た。断末魔だ。自分たちを蹂躙した魔法使いのものと、よく似ていた。


風が止み、痺れが残る瞼を開けると、 仲間たちの死体は端に飛ばされ円の弧のように散らばっており、円の中央には二つの影があった。


一つは地面に伏しており、既に人の形を成してはいなかった。手と足が辛うじて見分けられる程度だ。もう一つの影は、足元に転がる肉塊を黙って見降ろしている。


自分より小柄で、丈よりも長い槍を肩に乗せる少女。


この中でも誰よりも小さく、若く、そして強い少女。


鮮血で塗れた戦場において、彼女だけが立っている。


「ああ――――――」


少年がそれを見て感じたのは畏怖や憧憬―――ある種の感動であった。自分達が束になっても敵わなかった相手を葬った、その佇まいに少年は一瞬にして心を奪われてしまった。


少女が何者なのか。何をしていたのか。そのような些細な事を考える余裕は今の少年には無く、視界が霞むと共に少年は徐々に意識を失っていく。


後年、少年は目の前の少女が御井葉縁であると知るが、彼の人生において彼女との邂逅はこの瞬間が最初で最後のものとなった。



※※※




縁は屈みこんで、少年の容態を確認していた。遅れて到着した木式は、胡乱な視線を少女に向ける。


「何をしているんだい?」


「木式。この子、まだ生きているみたい」


「へえ…………こりゃあ、虫の息だね。魔法を使うところは見られなかった?」


木式は全滅したと判断し、縁を戦線に投入した。目撃者がいるとなれば面倒なことになるのは明らかだ。


「大丈夫。人が見られるものじゃない」


あの風の中では常人は目を開けることすらできない。


木式と、木式に並ぶ委員会の幹部連中。主の義体でもない限りは大丈夫だろうと、縁は高を括る。実際、その考えは正しい。少年は何が起こったのか理解できないまま、意識を手放した。


「そうか。事後処理はこちらでやっておくから、君はもう休みなさい。君の傷も……浅くは無いだろう?全く、無茶な戦い方をする」


少女は魔法使いの返り血と自分自身の出血により、血まみれだった。治癒魔術で血は止まったが、痛々しい傷跡は少女の覗く肌の至る所に確認できる。


「でも、あいつは殺せた」


「君が死んでは元も子も無い。先程の戦い方はあまり薦めないよ。命がいくつあっても足りない」


「…………むぅ…………」


結果を出したのに。縁は不満げに首を垂れた。縁がこのような怪我を負ったのは、縁が今回の戦いにおいて新しい戦法を試したかったからである。


縁は触れたものの加速度を操るが、その魔法にはいくつかの制限がある。操れる対象は一つであり、また一度自分の手から離れてしまうと「少し間をおいて帰って来る」、「少し進んで左右に方向転換する」、などの事前に定めた単純な操作しか出来ないという点が、特に戦いにおいて不便であると、縁は常々思っていた。


今回、彼女は自分の身体と握った槍の加速度を操り、音速を超えた速度で槍と一緒になって飛ぶ……投擲された槍に乗るような形を取ることで、槍の加速度を適宜調整することを可能にした。


先程の台風は槍が縦横無尽に飛び回り空気を回した、まるで水槽の水をかき回して渦が生じるようにして、起こしたものだ。


「その戦い方は、君自身が鉄砲玉になっているようなものだ。早すぎて敵が見えないということは、君も自分がどこを飛んで、相手がどこにいるが分からないんだろう?見えない敵に対してがむしゃらに突撃する、諸刃の剣。そんな戦法を繰り返せば、身体が保たないだろう」


「私じゃあ……正面から戦っても名有りには勝てない。こうでもしないと…………」


縁はこれまで二人の名有りを不意打ちで殺した。しかし、誰かのサポートも無く、相手の対等の条件で殺し合えば、縁は歯が立たないだろう。


「名有りなんてそうそう出会わないだろう。どうしてそこまでする?」


「万が一出会った時、取り逃したら駄目でしょ」


名有りは討伐すれば、大金が委員会から支給される。矯魔師として食べている縁は、その機会をなるべく逃したくはないのだ。


「確かに、メタルスライムに逃げられると腹が立つね。その気持ちはよーくわかるよ」


「…………本当に分かってる?」


勝手に妙な納得の仕方をした木式は、うんうんと頷いた。


「でも、相手は反撃をする魔法使いだ。無警戒に攻撃を続けられる訳じゃない……ゲームみたいなボーナスステージではないんだよ。どこよりも危険な死地に向かっていることを、君は分かっているのかい?」


「生活する為だから当然だよ。死と隣り合わせの生き方をしている人間は、世界中にいる。この国では珍しいのかもしれないけどね」


「生活のため―――ねえ?君は無用なリスクを負っているだけのように私には見えるがね。する必要のない過酷な生き方を自分に強いている。まるで―――」


自分自身を罰しているように。


木式のその発言は、彼女すら気付いていない心理の奥底を除かれたようで、縁の心をざわつかせた。


「…………そんな訳、ない」


私は守銭奴なだけだ。誰が言おうと。


縁は逃げるように、血だらけな身体を構わずに早足でその場を立ち去った。


そして、今日自分が編み出し、成果を上げた槍と一体化して飛び回る戦法を、彼女はこの戦い以降使うことは無かった。


また今日の様に。自分の裏側が暴かれることを恐れて、蓋をした。

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