ヤミーとぼく

桐原まどか

ヤミーとぼく



黒猫を飼い始めた。

といっても、一緒に生活をはじめて、もう五年になるが。

名前は<ヤミー>。

美味しい、の<yummy>と日本語の<闇>をかけてある。本人の―いや<本猫>―というべきだろうか、希望で、である。


「飼い主、おはよう」しっぽをぱたぱた振りながら、彼女が挨拶してくれる。

定位置の窓辺に彼女はいる。

最初この声が<頭の中>に響いてきた時は仰天した。頭がおかしくなった、と思った。しかし、違った。これはヤミーの声なのだ…正確には<思念波>だそうだが…。

ヤミーが言うには「あたしの<声>が聞こえる、飼い主が稀有なのよ」との事。

おっと、自己紹介をしよう。ぼくは木田隆きだたかし。ごく平凡な大学を出て、ごく平凡な会社に勤務するサラリーマンだ。

昨今、世間を賑わせている流行病のせいで、いまはほとんどリモートワーク。

故にヤミーと過ごせる時間が増えた。ぼくは嬉しいが、ヤミーがどう思ってるのかは謎だ。

ただ、パソコンとにらめっこしていて、疲れたな、と思うと、さりげなく寄ってきて、「飼い主、機嫌が良いから、肉球触らせたげる」などと言って、そのフニフニを味わわせてくれたりする。それだけでぼくは大満足なのだ。


「まぁた、このおっさんのせいで、景気が悪くなるわねぇ」ニュースを観ながら、ヤミーが言う。彼女が睨みつけている画面には、果たして現総理大臣が映っている。

「飼い主、あたしのごはんの質、落とさないでよ?」と言う彼女にぼくは笑いながら返す。

「そんな事しないよ。もちろんおやつだって、減らしたりしないよ」

「よろしい」しっぽをぱたぱたさせるヤミー。

こんなやりとりが出来る日々の平和に、ぼくは感謝している。


ヤミーがいつだったか、話してくれた事がある。

「飼い主、あたしたちの秘密を話したげる。特別よ?」

彼女が言うには、ぼくたち人間が家猫、と呼んで飼っている猫のほとんどは、大昔、地球に逃れてきた異星人の子孫なのだそうだ。

最も繰り返された交配により、自分たちが地球の生物ではない事を忘れてしまっている、と。「でもね、<先祖がえり>っていうの?たまーにあたしみたいな、大昔の記憶持ってるのが産まれるの」彼女が語ってくれた、彼女の先祖の話はこうだ。

先祖たちは、ここ、地球とよく似た環境の星で、争いもせず、日がな日向ぼっこをしたり、草をはむはむしたり、…まぁ、ごくごく平和に過ごしていた。

ある日、他星から攻撃を受けるまでは。彼らは自分たちの星の寿命を悟り、生き延びる為に、<猫の星>を乗っ取ろうとしたのだと言う。もちろん、猫たちに、抗う戦力はない。だが一部の有志たちが、万が一に備え、脱出用の宇宙船を秘密裏に建造していた。

ここ<猫の星>と似たような環境の星の場所も特定してあった。

先祖たちは命からがら…この地球にやってきた。そうして人間の庇護下に入る事で、種の存続に成功した、そうだ。ちなみに<ヤマネコ>と呼ばれる種のものたちは「隷属はごめんだ」と離反したものたちだそうだ。

「まぁ、最も<記憶>を持ってるのは、ほとんどいないでしょうがね」カラカラ笑って、続けた「飼い主、あたしはあんたの事が気に入ってるの。だから話したげたの。内緒の秘密よ?」ぼくはヤミーとの約束を生涯守るつもりだ。


流行病は次々と新しい型が出て、人間を翻弄した。

更にはある大国が戦争をしかけた為、ほとんどを輸入に頼っている日本は不景気の波に飲まれていた。

物価が上がるのだ。給料は上がらないのに。

更には日本各地で地震が―それも震度五強クラスの強いものだ―頻発した。

ヤミーに促され、ぼくは防災グッズなるものを用意した。「備えあれば憂いなし、よ」と彼女は言った。

ある夜の事だ。

ヤミーが妙にそわそわしていた。「どうしたんだい?」と聞くと「あたしにもわからないけど、落ち着かないの。飼い主、今夜は念の為、枕元に靴置いといた方がいいわよ」と言われた。ぼくは了解、と言って、言われたとおりに準備して床についた。

それは真夜中、スマホで確認したので二時過ぎだった―緊急地震速報の音で叩き起されたぼくは、おろおろしていた。そのうち、グラッときたかと思うと、強烈な縦揺れがきた。

まるでバーテンがシェイカーを振っているようだ。

「ヤミー!ヤミー!どこだい?」と、ぼくは靴を履きながら叫んだ。

揺れは続く。

果たして、彼女はいつもの窓辺にいて…しっぽをぱたぱたさせている。あれは、怒りか警戒のぱたぱた、だ。

「飼い主…いえ、隆」ヤミーに名を呼ばれ、そんな場合じゃないのに、ぼくは一瞬、胸が踊った。

「隆、揺れが収まったら、避難なさい。○○小学校の体育館よ」

「ヤミーも一緒に!」揺れが落ち着いてきつつあった。

ヤミーはにゃあ、と鳴いた。彼女は滅多に鳴かないので驚いた。

「来る…ヤバいのが…」ヤミーはこちらを振り返ると「あたしはちょっと行ってくる。あとで合流しましょ。窓、開けて」

そう言われて、ぼくは嫌だったが、言われたとおりにした。

ヤミーの身体はたちまち闇と同化し、見えなくなった。


あれから半年近くが過ぎた。あの後、避難所に行ったが、震度五強レベルの余震が続き、とても帰宅出来る状態ではなかった。

やっと落ち着いたのはひと月後ほどの事で、<激甚災害>に指定された。

ぼくたちの住んでいたアパートも半壊の憂き目に遭い、ぼくは新たな住まいに居を構えた。

日々の生活は戻りつつあったが、ヤミーだけが帰ってこない。

ある晩の事だ。ガラス窓をコンコン、と叩くような音が聞こえた。

奇妙に思い、カーテンを開けてみると、果たして、痩せてはいるが、毛並みは乱れているが、ヤミーがいた。口に何かくわえている。

「おひさ。飼い主」と彼女の声が頭に響く。「これ、お土産。しょぼくてごめんね」それはネズミだった。内心ちょっとビビったが、「ありがとう」と言った。

「入ってもいい?」と言う彼女の問いに「もちろんだよ!」と返す。

家の中に入ってきたヤミーは毛づくろいを始めた。「飼い主、あったら、ミルク」以前と変わらぬ口調にぼくは苦笑した。

ミルクを用意するとのんびりと飲み始めた。

そのあいだにぼくは、ぼくの身の上にあった事を話した。オフィスが半壊してしまった事。でも仕事は続けられている事、ヤミーの事を心配していた事。

「あの時の<ヤバい>のがって、なんだったんだい?」

ミルクを飲み終えたヤミーは目を細めて、喉をゴロゴロ鳴らした。

「アイツら、だったの。大昔、あたしたちの星を乗っ取ったアイツらが、今度はここに来たのよ」

「ええっ!?」ぼくは仰天した。ヤミーは続ける「大丈夫。追っ払ったから。もう二度と来ないでしょうよ」

いったいどうやったのか、知りたかったが「それは内緒」と言われてしまった。

「本当はすぐに帰ってきたかったんだけど、あたしは、あんまり鼻が効かないもんだから手こずっちゃって…おかげでネズミと小鳥捕りが上手くなったわ」

ヤミーは言った

「またあたしと住んでくれる?」

「もちろんだよ!」

ぼくはヤミーを抱っこした。軽くなったなぁ。

明日から美味しいもの、たくさんあげるからね。

そうして、またぼくとヤミーのささやかで楽しい生活が始まった。



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ヤミーとぼく 桐原まどか @madoka-k10

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