すべて夏のせい。〜雨実side〜

「じゃあ、ぼくが雨実うみちゃんのお兄ちゃんになってあげる」


 そう言って手を伸ばしてくれたのは、保育園で仲良しになった男の子のお兄ちゃん。


悠人ゆうとお兄ちゃん」


 口に出してみると、恥ずかしいけど、悠人お兄ちゃんがきらきらして見えて、ほわほわした気持ちになった。

 


 二つ違いのふたごの弟がいるからか、物心がついた頃には『姉』であり『小さなお母さん』になっていたあたし。 

 保育園で仲良くなる子たちには、なぜか兄や姉がいることが多かった。

 友達から、きょうだいの話を聞くたび、うらやましい、という気持ちが膨らむのも仕方がないことだろう。

 

 もしも、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいたら、あたしは我慢しなくていいんじゃないの? 

 お菓子だって、おもちゃだって、お父さんの膝の上だって、弟たちに譲ってきた。それは『お姉ちゃんだから』

 

 どんなに願っても、どんなに強請っても、今さら血の繋がりのある姉や兄はできない。

 今ならそんなの当たり前のことだとわかるけれど、小学校に上がる前の子供が理解出来るわけがない。 


  

 保育園で仲良くなった男の子──隼人はやとは、いつもニコニコしていて、落ち着きがなくて、よく転んでいた。

 今もそうだけど、なんだか放っておけないなぁと、つい世話を焼いてしまう。あぁ哀しき長女のさがよ……


 必然的に母親同士も会話するようになり、母は男の子の子育てについて隼人ママに相談するようになった。話しているうちに、年も近く、同じビジュアル系バンドのファンだということがわかり、ママ友以上の仲になったふたりは、十年以上経った今でも仲が良い。


 ある日、母たちが好きなバンドが初めてこの町でライブをすることになった。詳しいことは忘れてしまったが、たぶんデビュー何周年だったかのアニバーサリーツアーだったと思う。めったにない機会だからと、どうしても行きたい二人は周囲を説得。

 母たちが出かけているあいだ、父親たちは隼人の家で子供たちにアニメ映画を観せることにした。とりあえず子供に人気のアニメでも観せておけば大人しくしてるだろうという作戦だったのだろう。

 弟たちと隼人は映画に夢中になっていたが、正直あたしは飽きてしまっていた。何度も観たことがある映画だったからだ。

 ふと、隼人のお兄ちゃんと目が合った。

 

 その隼人の兄というのが、悠人お兄ちゃんだ。


 悠人お兄ちゃんは、あたしを手招きすると、こっそりと奥の部屋へ連れて行ってくれた。そこで本を読んでもらったり、キッチンからこっそり持ってきてくれたお菓子を食べた。


 お兄ちゃんがいるって、もしかしたら、こんな感じなのかな。


 あたしがお兄ちゃんがほしいと思ってることを言うと、悠人お兄ちゃんは優しく微笑んだ。


 

「じゃあ、ぼくが雨実ちゃんのお兄ちゃんになってあげる」



 ずっと欲しかった存在を手に入れたあたしは浮かれた。

 本当の家族ではないけど、ずっと、ずっと一緒にいてほしい。

 悠人お兄ちゃんに手を繋いでもらうことが、とても嬉しかったから。

 

 二歳年上の悠人お兄ちゃんは当時小学一年生。保育園児からしてみたら、とても頼りになる、オトナに見えた。保育園の男の子たちなんてコドモね〜。あたしは本気でそう思っていた。


 悠人お兄ちゃんのおよめさんになりたい。


 幼い女の子がそう思ってしまうのは、仕方ないことだろう。

 

  

 だけど、今ならわかる。

 あたしは『あたしを甘やかしてくれる存在』が欲しかっただけなのだと。


 だから、あたしはいつまで経っても『妹』だったのだと。

  


 

 

「あーあ……今年も彼女出来なかった……」

「それ何回目?」

 隼人の独り言をさらりと流し、あたしは短いため息をつく。


 なぜか今でも隼人はあたしの側にいる。

 隼人は去年、高校生入学したくらいから、色気立つ周囲の影響を受けたのか「彼女が欲しい」と言い始めた。

 優しいし、背が高く、顔は……特別良いわけでもないけど悪くもないのだから、ちょっと積極的に行動すれば、すぐに彼女くらい出来ると思う。

 でも隼人は何もせず、じっとしてるだけに見えた。彼女が欲しいというのは、単なるポーズ? ちょっと苛々する。

 


 明日から二学期。

 あたしたちは、無計画に夏休みを過ごしたことを後悔していた。

  

 隼人の家の一階の奥の和室。

 ここは、悠人兄さんに「お兄ちゃんになってあげる」と言われた場所だ。

 今は隼人とふたり、テーブルを挟んで向かい合っている。

 お互い得意科目が異なるため、手分けして問題を解いているのだが、正直言ってあたしの分の進捗状況は、あまりよろしくない。ちょっと気を抜くと余計なことを考えそうになってしまうからだ。

  

  

 あぁ、夏が、終わってしまう……

 無性に名残惜しくなってきた。

 

「夏らしいこと、しなかったな……」

「そっかぁ? あちこち遊び歩いてただろ」

「そうだけどさぁ……」


 麦茶を一口飲む。氷はすっかり溶けていた。

 

「……なんか、足りないんだよね」

「ほら、それだよ!」

 隼人はテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「なに? どれ?」

「足りないもの!」

「たりないもの?」

「そう、ラブが足りない!」 

「……そんなこと言って、恥ずかしくないの?」 

「うるせー。俺はラブが欲しいの!」

「……だから、彼女が欲しいと?」

「そう!」 

「……あっそ」

 あたしは頬杖をついて、窓の方を見る。

 言うだけで、何の行動も起こしてないくせに。

 

 閉められた網戸の向こうの空には雲が増えていた。ここ数日は夕方に通り雨が降るので、今日も降るのだろう。

 

「早く降ればいいのに……」

 残り少ない麦茶を飲み干した隼人は、名残惜しそうな目でコップを見ている。おかわりをキッチンに取りに行くの、ダルいなぁとか、そんなことを思っているのだろう。


  

「兄貴がこっちいる間に、どこか誘えばよかったのに」


 何を言い出すかと思えば……!

  

「出来るわけないでしょ。彼女持ちだよ?」


 隼人を睨みつける。

 あたしは略奪するような女ではない。それに、悠人兄さんを女の敵である浮気者なんかにしたくない。

  

「兄貴、雨実に誘われたら何処だって行くぞ」

「それは……わかってるよ。でもそれは、あたしを妹として見てるからだよ」

 

 思わず冷たい声が出てしまった。

 実の妹ならともかく、妹として見てる幼馴染なんて『彼女』からしてみたら不安材料、下手したら警戒対象だろう。悠人兄さんの選んだ人を不安にさせたくない。

  

「ごめん」

「ほんっと、デリカシーないよね」 

「……本当にごめん……」 

「いいけどさ」

「いいんだ?」

 

 目を丸くして隼人はあたしを見た。

 わかってる。隼人は気遣ってくれているつもりなのだ。

 あたしは視線を落とした。畳縁をなぞるように。

 

「……うん。もうずっと前からわかってたもん。悠人ゆうと兄さんがあたしのこと、妹としてしか見てないってこと」 

「雨実……」

「だから、彼女出来たって聞いたとき、実はちょっとホッとしたんだよね。これでちゃんと諦められるって」

 

 そもそも、本当にあれが恋だったのか、あたしにはわからない。

 それが、とても苦しい。



 

 悠人兄さんの優しい言葉も、あたしを見る瞳の温度も、隼人おとうとを見る時と変わらないのだ。

 だから、悠人兄さんから見たあたしは、そういう対象ではない。

 それはわかっていたけど、悠人兄さんが「一番甘やかす女の子」があたしでありたいとも思っていた。

 でも、甘やかすだけの女の子は、恋愛対象ではない──というのも、わかってる。

 

 

「それにね、あたし……最近、別の人が気になってる……かもしれない」


 ……あぁ、言ってしまった。

 落ち着かなくて、二つ結びしている髪を弄ぶ。

 隼人の視線を感じる。


 本当はこんなこと言うつもりなかった。

 だって、こんなの、軽い女みたいじゃないの。

 それに、まだ自分でもよくわかってないし。


  

 蝉の鳴き声がきこえる。

 残り少ない命を嘆いているようにも、残り少ない命を精一杯燃やし尽くそうとしているようにも聞こえて、胸が痛い。


 

『幼馴染だからって、この年になってまで家族ぐるみで付き合いがあって、互いの家に行き来もしてるなんて、それってちょっと、普通じゃないんじゃない?』

 

 高校で仲良くなった麻耶まやの言葉が、あたしの心を乱した。

 

『しかも、あいつ社交的でノリが良いように見えても一本、なんか線引いてるっていうか、踏み込ませない感じするしさ。でも、雨実に対しては明らかに距離感おかしいと思う。雨実のこと、好きなんじゃない?』



 そんなことは……


 いや、どうだろう……

 全面否定できない。


 たしかに、好意は持っているのだろう。

 でもそれは、友達というか、家族ぐるみで付き合いがあるからで……


 でも、ふとした時に、隼人から感じる視線が、もしかしたら、そうじゃないのかもしれないと思わせる。

 悠人兄さんがあたしに向ける視線とは違う、優しいけど、優しいだけではない、何か別のものを帯びたような……


 今も、そういう視線を感じる。


 むずむずするような、じわりと熱くなるような。

 でも、不快感を覚えるようなものではなくて、むしろ──

 


「……ごめん、今の聞かなかったことにして。あーもう、暑くておかしくなりそう」

 

 あたしは耐えきれず、テーブルに突っ伏した。

 顔が、身体が、熱い。 


 

 午後三時を知らせる寺の鐘の音。

 原付が走る音が通り過ぎていく。

 そろそろ祖父母たちが帰ってくる頃だ。


  

 どんな顔をしたら良いのだろう。

 もしも、隼人があたしのことを恋愛対象として見ているのなら、あたしは……

 

  

「あのさ……俺、彼女ほしいんだよね」

「……知ってる」


 そんなこと、何度も何度も聞いてるから知ってるよ。


 

「だからさ、俺たち、付き合わねぇ?」


 

「…………」

「…………」


 

 長い沈黙。


 あたしはゆっくりと頭を上げた。


「……なにそれ」


 ハッキリ言ってよ。

 あたしのこと、好きなの?

 それとも、単に彼女が欲しいだけ?

 本当のことを言ってよ。

 思わず睨みつける。

 

 

「あ、いや、その、ごめん、暑さでおかしくなった。今のは、その……」

 慌てて弁解し始める隼人。

 

 もしもあたしが、いいって言ったら、隼人はどうするの?

 

「いいよ」

「へ?」


 隼人は目を丸くしている。

 もっと自信持ってよ。


「いや、もう、暑さであたしもおかしくなったっていうか……」

 じゃあ、あたしも暑さのせいにするから。

 

「雨実?」

「いいよ。付き合っても」


 まっすぐに隼人の目を見つめる。


 今、追求しても隼人は肝心なことは言わないだろう。いや、言えないのだ。

 きっと隼人は『雨実はまだ兄貴のことが好き』だと思っている。


 

 やっぱり、悠人兄さんとは違う目で、隼人はあたしを見る。

 気がついているのか、いないのか、わからないけど。

  

「……いいのか?」

「うん……夏だしね。ちょっとくらいおかしいことしても仕方ないでしょ」


 髪を弄りながら、あたしは視線を逸らした。



「そっか、そう、だよな……」

 自分を説得するように隼人は呟いている。


「……じゃあさ…………その、き……キス、していい?」 

「はぁっ?」

 

 色々な段階をすっ飛ばした隼人の発言に対して思わず大声をあげると、隼人は肩を揺らした。いや、これ怒っていいことよね?


「あ、いや、その……」

「なにそれ。単に彼女欲しいだけじゃん!」


 さっきまでの、実はちょっとドキドキしてた、あの気持ち返して!


「ち、ちがう! 単に彼女が欲しいわけじゃ……」

「じゃあ、なんなのよ!」


 隼人は「それはその……彼女は欲しかったけど、でも、誰でもいいわけじゃなくて……」と、もごもご言いつつ、視線を彷徨わせている。

 ふーん……

 まぁいいか。

 今日のところは、勘弁してあげる。

  

「いいよ。しても。冬になっても、付き合ってたら、してもいいよ」

 放り投げるように言う。さあ、どう返ってくるか。

 

 ぽかんと口を開けている隼人は、顔が真っ赤だ。

 いや、キスしていいかって聞いたの、そっちでしょ。そんな反応されたら、こっちも恥ずかしくなってくる。


「ま、まじで〜?」

 なにその、心底嬉しいっていう笑顔は。愛いやつめ。今してもいいかなぁとか、一瞬思っちゃったじゃん!


 

「今じゃないから! 冬になっても、付き合っていたら、だから!」



 

 その頃、あたしたちは、どうなっているだろう。


 隼人もあたしも、はっきりと言葉に出来るようになっているだろうか。


 

 早く涼しくなってほしいのに、まだ暑いままでいてほしいとも思う。

 頬の熱さも胸の奥にあるものも全部、夏のせいにできるから。


 

 明日の予想最高気温は三十六度。


 今年の夏は、まだ終わらない。終わらなくていい。

 

  

 

 

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【完結】終わらない夏。やり残したことを幼馴染と。(旧題「終わらなくていい。〜夏休み最終日。やり残したことを幼馴染と〜」)【短編 全2話 約7000字】 小絲 さなこ @sanako

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