終わらない夏。やり残したことを幼馴染と。【短編 全2話】

小絲 さなこ

終わらなくていい。

 夏が終わる──はずなのに、いまだに三十度を超える日が続いている。


 お盆が明けた数日後には二学期が始まるのだ。

 畑仕事を手伝うために秋休みがあった名残と、寒冷地だからという理由で夏休みが短いらしいが、この夏の気温を見てくれ。よーく見てくれ。これのどこが寒冷地なのだと言いたい。県の教育委員会は、早急に我が県の公立学校の夏休み期間の見直しをすべきだ。どうか今すぐに今年の夏休み延長の決定をお願いしたい。本気でそう思う。


 

「あーあ……今年も彼女出来なかった……」

「それ何回目?」

 俺の独り言に冷たく言い放つ幼馴染の雨実うみは、短いため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだ。


 俺の部屋は二階の西向きのため、日当たりが良過ぎるので、最近は一階の奥の和室で過ごしている。

 庭に植えた木の陰になり、ある程度の日差しが遮られているため、家の中で一番快適に過ごせる部屋だ。

 強にした扇風機が不快にならない程度の音を立て、首を振りながら風を起こしている。


 明日から二学期。

 俺たちは、エンジョイしたり、堕落しまくったりした夏休みのツケを今、払っている。


 幸運なことに、雨実とは得意科目が異なるため、こうして手分けして問題を解いているのだ。

  


「夏らしいこと、しなかったな……」

「そっかぁ? あちこち遊び歩いてただろ」

「そうだけどさぁ……」


 雨実は麦茶を一口飲んだ。氷はすっかり溶けてしまっている。

 

「……なんか、足りないんだよね」

 雨実は物憂げに呟いた。


「ほら、それだよ!」

 俺はテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「なに? どれ?」

「足りないもの!」

「たりないもの?」

「そう、ラブが足りない!」

 

 俺の叫びに雨実は顔をしかめる。

 

「……そんなこと言って、恥ずかしくないの?」 

「うるせー。俺はラブが欲しいの!」

「……だから、彼女が欲しいと?」

「そう!」

 

「……あっそ」

 雨実は頬杖をついて、窓の方を見た。

 

 閉められた網戸の向こうの空には雲が増えている。ここ数日は夕方に通り雨が降るので、今日も降るのだろう。

 

「早く降ればいいのに……」

 呟いて、コップに手を伸ばした。残り少ない麦茶を飲み干す。おかわりをキッチンに取りに行くの、ダルいな。


  

「兄貴がこっちいる間に、どこか誘えばよかったのに」


 雨実は俺の兄貴に長年片思いをしている。

 

 雨実の気持ちにはすぐに気がついた。もしかしたら本人が自覚するよりも早かったかもしれない。

 

 この春に東京の大学へ進学した兄貴は、今月初めに帰省したが、バイトがあるからと昨日東京に戻ってしまった。

 こっちの方が東京よりも快適に夏を過ごせるはずなのに、早々と戻ってしまった理由がバイトだけではないことは、俺も雨実も知っている。


 

「出来るわけないでしょ。彼女持ちだよ?」


 軽蔑したような目で雨実は俺を見た。いや、なぜ浮気者を見るような目で俺を見る?


 

「兄貴、雨実に誘われたら何処だって行くぞ」

「それは……わかってるよ。でもそれは、あたしを妹として見てるからだよ」

 

 冷たく言い放つ雨実。

 思わず謝罪の言葉が口から出た。

  

「ごめん」

「ほんっと、デリカシーないよね」 

「……本当にごめん……」 

「いいけどさ」

「いいんだ?」

 

 俺は瞬きをして雨実を見つめた。

 雨実は視線を落とす。畳縁をなぞるように。

 

「……うん。もうずっと前からわかってたもん。悠人ゆうと兄さんがあたしのこと、妹としてしか見てないってこと」 

「雨実……」

「だから、彼女出来たって聞いたとき、実はちょっとホッとしたんだよね。これでちゃんと諦められるって」

 

 眉を下げて雨実は笑った。



 雨実の言うことは、どこまで本当かわからない。


 本当に諦められるって思っているのか。

 

 俺には女心なんてわからない。


 

「それにね、あたし……最近、別の人が気になってる……かもしれない」


 二つ結びしている髪を弄びながら言う雨実。ちらりと一瞬目が合う。


 

 俺は息を呑んで雨実を見つめた。


 

 雲が切れたようで、じりじりと太陽の光が部屋に入ってきた。この時間になると、庭の木でも遮れなくなってくる。

 遠くでミーンミンミンミンミン……蝉の鳴き声がきこえる。

 


 

 雨実の恋路に関して、ただの幼馴染である俺には何も言う資格は無い。


 無いのだが──



「……ごめん、今の聞かなかったことにして。あーもう、暑くておかしくなりそう」

 

 テーブルに突っ伏した雨実の言葉が、俺の体内をぐるりと巡る。


 雨実の耳が赤い。

 


 

 寺の鐘の音が聞こえてきた。

 午後三時を知らせる鐘の音。

 それを遮るように、原付の走る音が通り過ぎていく。


 

「あのさ……俺、彼女ほしいんだよね」


「……知ってる」


 そんなこと聞き飽きたと言わんばかりの雨実は、微動だにせず、気のない相槌を打った。


 

「だからさ、俺たち、付き合わねぇ?」


 

「…………」

「…………」


 

 長い沈黙。


 後悔の海に飲み込まれそうになった頃、雨実は身を起こし、呆れたように口を開いた。


「……なにそれ」


「あ、いや、その、ごめん、暑さでおかしくなった。今のは、その……」



 雨実は慌てて下手くそな弁解をしようとする俺をじっと見つめる。


「いいよ」


「へ?」


「いや、もう、暑さであたしもおかしくなったっていうか……」


「雨実?」


「いいよ。付き合っても」


 雨実は、まっすぐに俺の目を見ている。

 俺が目を見開いて雨実を見つめると、みるみるうちに耳まで赤くなった。マジか。


 

「……いいのか?」

「うん……夏だしね。ちょっとくらいおかしいことしても仕方ないでしょ」


 髪を弄りながら、雨実は視線を逸らす。




 明日から二学期だが、気象アプリによると、予想最高気温は三十六度だ。



 今年の夏は、まだ終わらない。終わらなくていい。


 

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