第三話  どっちも違ってどっちも良い。(あ、ヨダレでた)

 夏麻引なつそびく  宇奈比うなひをさして


 とり


 いたらむとそよ  下延したばへし




 奈都蘇妣久なつそびく  宇奈比乎左之弖うなひをさして

 等夫登利乃とぶとりの  伊多良武等曽与いたらむとそよ  

 阿我之多波倍思あがしたばへし




夏麻引なつそびく)宇奈比うなひを目指して飛ぶ鳥のように、あなたのところへ行き着こうと、あたしは密かに想っていたのです。



 ※夏麻引なつそびく……枕詞まくらことば

 ※宇奈比うなひ……未詳の地名。

 ※下延したばへ……人知れず想い続けること。想いを下に、下にこめて。






     万葉集   作者未詳




   *   *   *





 翌日。

 之伎美しきみとの初夜をむかえた。


億野麻呂おのまろさま、いくらでも之伎美しきみをお好きになさってください。あたし、億野麻呂さまの為なら、何だって……。どんなことだって……。」


 恥じらいつつも、そう嬉しそうに述べた之伎美しきみは、姉よりもたわわな胸、柔らかくふんわりとした下腹、大きめのお尻、むちっとした太もも、華奢きゃしゃな足首と手首を持っていた。

 もちろん、肌はきめ細かく、……姉妹ゆえか、二人の肌の手触りは似通っている気がする。えへへ……。


「あぁ……、これで良い、ですか……。」


 と顔を真っ赤にしながら、億野麻呂の求めのまま従順に、大きなお尻を高く掲げてみせた之伎美しきみの、お尻から背中にかけての眺めは、


 ───一生この眺めを見続けても見飽きることはあろうか。いや、無いっ!

 オレは幸せだなぁ。


 と億野麻呂にしみじみと思わせた。


 之伎美しきみは大きな蛙聲あせいをあげ果てたあと、億野麻呂の手枕たまくらで静かに泣いた。

 久君美良くくみらのこと? と訊くと、泣きながら頷いた。


「久君美良姉さまが黄泉渡りしてから、随分、世界が変わりました。

 阿耶売あやめ姉さまは、すでに婚姻の約束をした相手がいらっしゃったのに、相手からいきなり、この縁談はなかったことに、と言われて、木簡もっかんを送ったのに、返事もこなくて……。

 あの時、お姉さまが泣き腫らした目で、あたしにぽつんと言った言葉が、今でも忘れられません。

 ……これまであんなに優しくしてくれていたのに、この仕打ち。

 信頼できるおのこというものは、この世にいくらもいないものなのね、と、阿耶売あやめ姉さまは言ったのです。

 あたし、お姉さまが傷ついているのに、何もできなくて。

 久君美良くくみら姉さまが黄泉渡りしたという事も、にわかに信じられなくて。

 これから、阿耶売あやめ姉さまも、あたしも、どうなってしまうんだろう、婚姻相手なんて見つからない、って思って、怖かったんです。」


 億野麻呂おのまろは、優しく之伎美しきみの細い肩を抱いた。


 (可哀相に……。二人とも傷ついて……。

 きっと、久君美良くくみらが、この同母妹いろもたちとオレの婚姻を、導いてくれたのかもしれない。 

 優しい娘子をとめだったから……。)


 億野麻呂は目をつぶる。


(安心しておくれ。久君美良くくみら。)


「もう、怖くない。オレが側にいる。つまであるオレが、どんな怖いことからも、之伎美しきみ阿耶売あやめを守る。」


 之伎美しきみは柔らかい頬を億野麻呂の胸に擦り寄せてきた。


「億野麻呂さま……。

 やっぱり億野麻呂さまは、素敵なお方。

 前に、久君美良姉さまと話をなさっていた億野麻呂さまは、久君美良姉さまがどんな態度でも、穏やかに接してくださっていました。

 あたしと阿耶売あやめ姉さまは、素敵な方ねって、ずっと話していたんです。

 それだけでなくて、久君美良姉さまが黄泉渡りしてから、億野麻呂さまは、木簡もっかん久君美良くくみらの花を添えて、母父おもちちに贈ってくださいました。

 あたしも姉も、木簡を見せていただきました。




 臨泉路娘子 怛艱難凄愴 我此為歔欷 


泉路せんろのぞみき娘子をとめ 艱難かんなんいたみて凄愴せいさうす われため歔欷きょきす)


 


 伎波都久乃 乎加能久君美良 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓


伎波都久きはつくの  おか久君美良くくみら  花咲はなさかば  つねにやひむ  いやとしのはに )


 意味は……。」


 億野麻呂は続きを引き取った。


「意味は、黄泉路よみじを行った娘子をとめは、すさまじくいたましく、我はこの艱難かんなんうれなげき、この為にすすり泣く。



 伎波都久きはつくの岡に久君美良くくみらの花が咲いたら 恋しくてたまらなくなるだろう。この想い、ずっと忘れ得ず、新たな年が来るたびに、いっそう強くなるだろう。


 久君美良くくみらに想いを受け入れてもらえなかったおのこが、何を図々しく、と思われるかもしれないけど。

 オレは、久君美良とちゃんと会って、どんな人か見ていたから。

 久君美良が、罪に問われるような事をしたとは信じられないし、今でも信じていない。

 それを、伝えたかったんだ。

 ……ちょっと恥ずかしいな。

 ただ、木簡と、花を贈っただけだ。何も、価値のある金目のものを贈ったわけでもない。」


 億野麻呂は苦笑し、自分の頬に赤みがさすのを感じた。

 之伎美しきみが、ぎゅっと億野麻呂に抱きついた。

 億野麻呂のはだかの胸に、温かい涙がつたう。


「いいえ! いいえ!

 姉の不名誉な死に、我が家から、さーっと人波が引いていくなか、あのような心のこもった贈り物をしてくださったのは、億野麻呂さま、一人きりでした。

 どんなに、あたしの家族が心救われたか。感謝したか。言葉に尽くせません。

 しかも、久君美良姉さまは、あんなヒドイ返事を億野麻呂さまにしたのに……。

 あたし、できることなら空をはばたく鳥になって、億野麻呂さまのもとに行きたかった。

 でも、当家から、佐味君さみのきみへ、久君美良姉さまの婚姻を断ってしまった手前、あたしも、阿耶売あやめ姉さまも、佐味君へ婚姻を願い出るわけにもいかず……。

 諦めて、でも、ずっと……。

 億野麻呂さまを覚えていたんです。

 あの日、たまさかに(たまたま)市で会えて、あたし達がどんなに嬉しかったか。うあ……!」


 之伎美しきみは大泣きしはじめた。

 ああ、あああ、わああ……、と、何もかも絞り出すように、之伎美しきみは泣いた。

 億野麻呂はその涙を受け止めた。

 しばらく泣いたあと、之伎美しきみは赤い目で、


「億野麻呂さまこそ、あたしと阿耶売あやめ姉さまが渇望していた、信頼のおけるおのこです。

 どうか、あたしと……、阿耶売あやめ姉さまを、大事にしてくださいませ。

 あたしたち姉妹、心から億野麻呂さまに仕えますわ。」


 そう言って、可愛らしい顔でにっこり華やかに微笑んだ。


「もちろん、大事にするよ。之伎美しきみも、阿耶売あやめもだ。だから安心してお眠り。恋しい妻。」

「はい!」


 安心した顔の之伎美しきみを抱き寄せ、億野麻呂は背中を、ぽん、ぽん、とたたいてやった。









 婚姻して、二十日ほどは、同じ屋敷の別の部屋に住む、阿耶売あやめ之伎美しきみの部屋を、一日ごとに交互に訪れ、億野麻呂おのまろは眠った。


(幸せが過ぎる。オレ、こんなに幸せで良いのかなー?)


 と呑気に思う日々であった。



 しかしある晩、阿耶売あやめの部屋に向かうと、布団の上、澄まし顔の阿耶売あやめの隣に、之伎美しきみがちょこん、と並んで正座していた。

 おみな二人とも、薄桃色の夜着姿である。


「ど、ど、どういう事でしょうか……。」


 つい億野麻呂が丁寧口調になってたずねると、阿耶売あやめは愛らしい顔を、ちょっとだけ傾げてみせた。








↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330665872501408



    *   *   *



 ※読み飛ばしていただいてけっこうですが、気になるよ、という方のために。


 臨泉路娘子せんろにのぞみきをとめ 怛艱難凄愴かんなんをいたみてせいさうす 我此為歔欷われこのためにきょきす 


 ・泉路せんろとは黄泉路よみじ

 泉路せんろのぞむ……黄泉路を行く。

 ・いたむ……心を痛めて、憂え、嘆く。

 ・凄愴せいさう……すさまじく痛ましいこと。悲しくいたましいこと。

 ・歔欷きょき……すすり泣くこと。

 

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