第二話  姉・阿耶売、同母妹・之伎美

 よしゑやし ひじとすれど 


 秋風あきかぜ


 さむは きみをしぞおも





 忍咲八師よしゑやし  不戀登為跡こひじとすれど

 金風之あきかぜの  寒吹夜者さむくふくよは  君乎之曽念きみをしぞおもふ




 もういいわ、恋なんてしない。

 そう決意するのに、秋風が寒く吹く夜は、あなたを想ってしまう。





     万葉集  作者不詳




     *   *   *




 億野麻呂おのまろを泣かせた二回目と三回めは、それぞれの初夜だ。


 之伎美しきみが十六歳になり、開かれた婚姻の宴は、規模が大きいものであるから、姉妹二人ぶん同日に行った。

 初夜は、まず、姉の阿耶売あやめと、夜を過ごした。


 億野麻呂おのまろ、二十歳。

 阿耶売あやめ、十七歳。

 

 おずおずと、顔を赤らめながら恥ずかしそうに身体を開く阿耶売あやめは、名家の娘らしく、滋養のあるものを食して生きてきたのであろう、きめ細やかな肌がなんとも触り心地が良く、立派に前を向いた乳房と、蜂のくびれのように、きゅっとくびれた腰、掴むと億野麻呂の手を押し返す弾力に富んだお尻、健康的な足を持った、魅力的な娘子をとめであった。

 

 ───このようなおみなを妻にできて、オレは幸せだなぁ。


 億野麻呂おのまろはしみじみとそう思う。

 たどたどしく足を開き、


「億野麻呂さまっ。」


 と自分に抱きつきながら果てた阿耶売あやめを愛おしく思いながら手枕たまくらをしていると、阿耶売あやめは静かに泣きはじめた。


 きっと、億野麻呂のせいではない。

 億野麻呂は思い当たることを、口にした。


「……久君美良くくみらのことを思い出してた?」


 久君美良くくみらとは、悲しい死を迎えた、阿耶売あやめの上の姉である。

 阿耶売あやめは、びくり、と白い肩を揺らして、


「……ええ、そうです。大好きな姉でした。あたし達、三人、いつも一緒に育ったんです。

 ……之伎美しきみは昔っから、怖がりの甘えたがりで、響神なるかみ(雷)が来るたび、怖い、怖いって泣く子でした。

 あたしと久君美良くくみらで、そんな之伎美しきみを、ぎゅーと抱きしめてあげて、怖くなーい、怖くなーい、ってしょっちゅう言ってあげてました。

 姉が黄泉渡りしてしまい、あたしは姉のぶんも之伎美しきみを守るって決めたんです。久君美良くくみら姉さまが黄泉渡りしてから、之伎美しきみは泣いてばかり……。

 どうして……、人は黄泉にいってしまうの。」


 といつもの凛々しい顔ではなく、弱々しい、儚げな様子で涙をこぼした。


阿耶売あやめ。安心しろ。

 これからは、つまであるオレが、おまえと之伎美しきみを守る。

 たとえ、響神なるかみ(雷)が鳴ろうとも、オレが追い払うよ。どんな怖いことからも、二人を守る。」


 そう、億野麻呂が阿耶売あやめの肩を抱くと、阿耶売あやめは嬉しそうに、


「はい。億野麻呂さまは、本当に素敵な方です。

 阿耶売あやめは、億野麻呂さまほど立派な心ばえのおのこを他に知りません。

 億野麻呂さまの妻になれて、阿耶売あやめは幸せです。」


 と返事をして、億野麻呂の胸に顔をうずめた。


「褒められすぎだなー。」


 あおむけの億野麻呂は照れて笑う。

 褒められて悪い気はしないけど、億野麻呂はいたって普通のおのこだ。

 まあ、名家の生まれではあるけどさ……。

 それだって、池田君いけだのきみ佐味君さみのきみは、家柄の釣り合いが同じくらいなのだから、自慢にはならない。


「こっちこそ、そこまで慕ってもらえて、嬉しいよ。阿耶売あやめ。愛しい妻。大事にするからね。」

「はい。」


 億野麻呂は、阿耶売あやめの解き髪を指でくしけずる。

 手入れの良く行き届いた、黒く艶のある髪の感触が、さらさらと指に楽しい。

 阿耶売あやめは億野麻呂の手に身を任せ、目を細め、幸せそうに、ふふ、と笑う。


「……こうしてもらうの、好きです。億野麻呂さまの手は、とっても気持ちが良い……。」

「そう、じゃあ、沢山、いてあげるね。」

「はい、お願いします……。」


 そうして、億野麻呂はたくさん阿耶売あやめの髪をくしけずる。


 しばらくしてから、ぽつっと阿耶売あやめが口を開いた。


「……はじめ、億野麻呂さまは、久君美良姉さまを望んでいらっしゃった。

 几帳きちょうで隠れて、億野麻呂さまを見ていた之伎美しきみも、億野麻呂さまに惹かれているようでした。

 ……あたしは、億野麻呂さまに恋をする立場じゃない。

 あたしに許されるのは、億野麻呂さまは素敵な方ね、と、之伎美しきみと話す事くらい。そう、きちんとわかっていたんです。

 ……それが、辛い事があって。

 もう恋なんてしない、と思った時期もありました。

 でも……。」


 阿耶売あやめが億野麻呂の腕にすがりついてきた。


「ずっと、心のどこかで、億野麻呂さまをお慕い続けていました。

 億野麻呂さまは、素敵な方だから……。

 夜、風の強い音に目が覚めると、一人ぼんやり、億野麻呂さまの面影を思い出す時があったんです。

 不思議ですね……。

 億野麻呂さま……、触らせてくださいまし。」


 阿耶売あやめは億野麻呂の、もうすっかり良い子で大人しくなった角乃布久礼つののふくれに、白い柔らかな手を伸ばす。


(ちょっと恥ずかしいなぁ。)


 やめてくれよ、と本当は言いたかった億野麻呂だが、なんだか、阿耶売あやめの様子が真剣なので、好きにさせてやった。

 阿耶売あやめは神妙な顔で、角乃布久礼つののふくれをそっと手で押し包んだ。


「これが……、あたしの身体と繋がったなんて。あたしが、こうやって、億野麻呂さまの隠されたモノを、手で触れる日が来るなんて。思ってもみませんでした……。億野麻呂さまのこれは、あたしと、之伎美しきみのものなんですね……?」


 野暮は言うまい。


「そうだよ。」


 億野麻呂は優しく肯定する。


「嬉しいです……。夢みたい。」

「それにしては、オレは二年待たされたね?」


 くすっと笑いながら、億野麻呂がちょっと意地悪を言うと、阿耶売あやめはさっと目を伏せ、


「……それは、お許しください。億野麻呂さまを恋い慕っていなかったわけではないのです。

 むしろ、あたしの心は、億野麻呂さまから求婚されて、舞い上がっていました。

 でも、どうしても之伎美しきみを放っておいて、あたしが先に億野麻呂さまに嫁ぐわけにはいかなかったのです。あの頃、之伎美しきみは不安定で、良く泣いて……。

 お怒りでしょうか?」

「そんな事ないよ。」

「あ。」


 阿耶売あやめは億野麻呂の角乃布久礼つののふくれに驚き、声をあげた。

 億野麻呂はにっこり笑いながら、阿耶売あやめの腰に手をやり、くるりと阿耶売あやめの身体を下に組み敷いた。

 阿耶売あやめの手は、当然、角乃布久礼つののふくれから離れた。

 ぽふ、と上等の綿の布団に、阿耶売あやめの身体が沈み込む。


「ちょっと言ってみたくなっただけだ。

 まったく気にしてないよ。

 阿耶売あやめは、之伎美しきみが大事なんだね?

 同母妹いろも思いのそんなところ、オレは好きだよ。

 阿耶売あやめの美しいところだ……。」

「億野麻呂さま……。」


 感極まったように、阿耶売あやめは眩しい笑顏を浮かべた。

 億野麻呂は、その形の良い柔らかい唇を、己の唇で塞ぐ。


「ん。」


 とろんとした目になった阿耶売あやめに、


「あのね、あまりおのこのここは、いじってはいけないんだよー。こうなるからね。」


 と、初夜にして二度目のさ寝に持ち込む。


「はい。」


 と恥ずかしそうにした阿耶売あやめは、笑顏のまま億野麻呂を迎えた。



 そして、二人で朝まで幸福な眠りについた。






↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330665872172404


  




 

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