第五話 素敵なお方
いちしの花(
あの日は本来、書を
「
と小声で唄を口ずさむのを聴きながら、紙に書をしたためていると、筆の穂先が、なんでか、次々と割れた。
取り替えた四本目の筆も使い物にならないとわかった時、
「いいわ、
あの頃……、十四歳の
「ええ、行きます。」
と、あたしに向かって笑ってくれたのを覚えている。
市を歩いて、物陰で何やら
楽しそうな気配に、遠くから
気分を悪くしたのならいけない、と、若い
それが億野麻呂さまだった。
優しい声音。爽やかで
あたしも、
* * *
なにしろ、
(ふっふっふ〜。まだお腹は平らだけど、そこにいるんだよ〜。オレの子がっ!)
にこにこ笑顔で、
「帰ったぞ〜。」
と屋敷に帰ると、そこには真っ赤な顔で憤怒する
「なっ、なに? なんなの?! どうしたの?」
「ごめんなさい、
と、はらはらと涙をこぼした。
* * *
(まったく、なんて
「あたしのお腹に
このままでは、何ヶ月も、
億野麻呂さまの家柄なら、あと一人、二人、
この機会に、
億野麻呂さまの愛が、あたし達二人から離れてしまうかもしれない。
そんなの嫌。
せっかく、素敵な
何より、どんなに
自分が
そんなの絶対、嫌!
そんな
「
何を怒って……?
待て、まず、
と問う。
「はい、お腹に、億野麻呂さまの
とうつむいたまま言った。
億野麻呂さまが、かっ、と怒りで目を見開き、あたしに、
「
と怒鳴り、
あたしは、その初めて見た
「
めでたい事だ、嬉しい事だ、
おまえは、
その気持ちは消えたのか?
何のために、あたし達二人いるか、などど……。オレはそのような
億野麻呂さまが本気で怒っている。
怒ると、こんなにも怖いのか。
億野麻呂さまは、腕のなかの
「
と言った。
「ふ……。」
億野麻呂さまが、きっ、とあたしを睨みつけ、冷徹な声で、
「
と言った。
あたしは、どうしても億野麻呂さまに確認しておかなければならない。
ぶるぶると震えながら、
「ふ、ふ……、二人ともさ寝のお相手ができなくては……。」
となんとか言った。
きっと、顔から相当、血の気が失せていたのであろう。
億野麻呂さまの怒りの気配が、ふっと緩んだ。
「
「本当ですか!」
億野麻呂さまはため息をついて、
「本当だよ。あのね、二人とも、オレがどんなにケダモノだと思ってるんだい……。」
と、なぜかぐったりした顔をした。
「億野麻呂さま、お姉さまをそれ以上、叱らないで下さいまし。
謝罪なんて良いんです。
いらないんです。お姉さまは、いつだって、あたしのことを考えてくださっています。大切なお姉さまです。
億野麻呂さま……。
あたし達の父上は、
母刀自は、
だから……、姉を責めないでくださいまし。」
億野麻呂さまが、ふ───っ、と長いため息をついた。
「
(あ……!)
あたしは息を呑み、
「億野麻呂さま……! わあああ……!」
大泣きをしはじめた。
あたしは、
「
父上と、億野麻呂さまは、違う。
思い込みを謝罪いたします。
こんなあたしを、お許しいただけますか。」
と静かに謝った。億野麻呂さまは優しく笑い、
「もちろん、許す。恋しい
オレも怒りすぎた。怖かったろう? ……おいで。」
と、
「はい。」
あたしは、ゆっくり億野麻呂さまに身をすりよせた。
億野麻呂さまに優しく抱きしめられ、
(億野麻呂さまは、なんて素敵なお方なんだろう…………。)
胸に込み上げてくるものがある。
あたしは噛みしめるように、
「億野麻呂さま、恋い慕っております。」
と言った。
「うぅ、あたしも、恋い慕っております!」
と涙声で言った。
二人とも億野麻呂さまの腕のなかで、至近距離。
体温の温かさが、伝わる。
億野麻呂さまの、温かさ。
温かさにすっぽりと包まれる。
心に安らぎが満ちる。
もう、昔の───。
友人だと思っていた
「ほほほ、鼠がお似合いですのよ、寝ずの
と十四歳の
「
と怒鳴り、動けない
「あたしが
あたしがそう言って抱きしめると、
それから、
いつも泣いてばかりだった。
もう、あんな辛い日々は、来ない。
もう、あたしが一人で守るのだ、と、気負わなくて良い。
億野麻呂さまが、守ってくださる。
億野麻呂さまを、頼って良い。
億野麻呂さまを、二人で思う存分、愛して良い。
「オレも二人を恋い慕っているよ。
大事な、オレの妻たち。
二人とも、元気な
億野麻呂さまの、いつもの穏やかな、優しい声がする。
「はい!」
「必ずや。」
あたしと
* * *
※著者より。
「お姉さまのせいよ!」
「なんですってぇ! あたしは何も悪くないわよ!」
と姉妹で取っ組み合いの喧嘩をすることになります。やれやれ。
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