七つの夜の先に

七海 司

本文

 密書ミッションの確認。


 [勝利条件 王妃の説得

  敗北条件 王妃の死亡]


 仕事など抜きにしても彼女に生きていてほしい。何百、何千と見た文字を確認してから閉じる。

 靴底が硬い石階段を下り踏みつけるたびにコツ、コツ、コツと音が生まれる。靴音は狭い地下牢へ続く通路に反響してはつぶやきと共に消えていく。歩く度に手にした燭台の火が不安を具現化したように朧げに揺れて気化した蝋の臭いを鼻腔に送り込んでくる。

 私──クロウドは、蝋燭の火を見るのは好きだが、どうしてもこの匂いだけは好きにはなる事ができなかった。冬至の日に兄が命を落としたと聞いた時の匂いであり、思い出してしまうのだ。日も沈んだばかりで、火を灯し始めた時間帯のどうしようもなく暗い室内にいた時のことを。


 牢獄の前で傅く間も無く、声が落とされた。

 声の主は、嘗ては優雅にして可憐な賢姫ディアーナ。今や傅いた女神すら処刑する悪逆非道の悪姫ディアーナ。牢屋の中から声を投げるのは、二つの顔を持つ王妃──私の婚約者だった女性だ。

 それでも私の体は敬意を払う為、自然に動いた。片足を後ろに引き、スカートの裾をたおやかに引き上げる屈膝礼を絡繰人形の様に完璧な所作で行う。

「懐かしいですわね。姫姉様。処刑前夜だというのにお変わりなく」

 機械仕掛けの如く定められた言動を無意識に執り行う。

「七度目だがいまだに慣れぬ。怖くて怖くて堪らぬ。夜の匂いは思い出してしまう──いや、それよりも時間はないのであろう? 確か一刻の猶予しか無かったと記憶しているが」

 嘆息するように呟かれたディアーナの声が言葉以上に生存の諦めを語る。

「はい、仰せの通りにございます。ここから脱して頂くには時が十分だとは言えません」

「ならぬ」

「何故ですか。貴女の処刑は本来なら不要なものだとお分かりのはずです。いえ、政治的な理由など抜きにしても私は貴女に生きていて欲しい──」

 ──婚約者であるディアーナを幸せにするのが一目貴女を見た時から変わらぬたった一つの願いなのです。

 声に出したはずが、声帯により震わされた空気は口からでる前にその振動そのものが呪いの力によってなかったものとなる。私の思いは決してディアーナに届くことはない。


 離別の呪い。


 未来永劫、愛しい人に本人と認識されなくなる忌々しい呪い。前国王を王座から引き摺り下ろそうとした際に掛けられたものだ。愛しいディアーナに言葉も文も届けられなくなり気が狂いそうだった。その上で前国王は嫌がるディアーナを娶り、私は冤罪により処刑された。思い出しただけで胃の中身が溢れ返りそうになる。

「私の婚約者、ロイ様の名誉のためです。彼の罪は全て私の罪と告白し冤罪を晴らすのです。何度試行しても彼を救えないのならば、せめて名誉だけでも……」

 私の名誉などどうでも良い。それよりも今を生きる貴女の幸せが大事なんだ。頼むから伝わってくれ。

 聡明な貴女よ気づいてくれ。今、目の前にいるのは容姿も年齢も違う別人に見えているだろうが私なのだ。

「ロイ様は確か、王妃様に命を救われたことがあるとおっしゃていました。子供の頃に戯れに王妃様が教えた女性としての嗜みにより窮地を脱したことがあると」

 匂いは記憶と強く結びついていると聞く。ふわりと柑橘系香水の匂いを陰気臭い地下牢に漂わせ、記憶を呼び起こす一助となる事を願う。

 聡明な貴方よ気づいてくれ。今着ているドレスも身に纏った香水もその時のものだ。屈膝礼は貴女が私に戯れとは思えぬ気魄で叩き込んだものだ。できぬのなら、私は舌を噛み切って死にますからね。と脅された記憶さえある。

「ああ、懐かしいわね。彼は顔だちが中性的で可愛かったから黄色いドレスが似合うと思ったのよね」

 険のある口調が柔らかくなり、王妃は幼き日々を思い返し懐かしそうに頬を緩ませる。やはり貴女には眉間に皺を寄せているよりも微笑んでいる方が似合っている。

 私は幼い頃に人攫いにあったことがある。その時男児のほとんどは殺されたが、女児のふりをした私は殺されずに済んだ。その後、私の証言により人身売買を行なっていた貴族は粛清された。

「王妃様は、平民貴族の貴賎なく全ての子女が同等の教育を受けられるように裏から手を回して、スラムの子たちに仕事と教育を与えたと聞いています」

「ああ、そうしなければロイ様が勘当されそうだったのだもの」

「もしや、子供のためではなくロイ様お一人のためでございますか?」

「そうよ。平民が入れば教師陣は説明を噛み砕いて分かり易いものにしないといけないわ。そうすればロイ様でも理解できますもの」

 しれっと宣う彼女を明かり取りの窓から差し込んだ蒼月の柔らかな光が照らし出す。

 そっと自分の眉間を揉みしだく。いくつか繋がってしまった。学業に向いていなかった私は父に今度最下位を取ったら勘当すると言い渡されていた事もあった。しかし、その日の内にスラムの子たちが教育を受けられるようになり、私の下位に勉強をしてこなかった子たちが増え、私は最下位ではなくなり、死ぬまで貴族でいることができた。あの時はなんたる幸運と浮かれていたものだ。

「あの時間帯は何度やり直しても幸せでした。けれどもそれ以降は何度やり直してもロイ様をお救いすることができなかった」

 彼女は目を逸らし俯く。それは感情を抑えきれず流れる涙を隠す時の貴女の癖だ。

 鉄格子が邪魔で彼女に差し伸べた手が届かない。

 離別の呪いが邪魔をして目の前にいるというのに言葉が生まれない。

 悔し紛れに鉄格子を握り込む。

「私を賢姫のように語りますが、ご存じかしら? 今私の中には悪逆非道な王の血が流れていることを。けれど、この血は明日の処刑で絶たれるの」

「王妃様は悪逆非道ではございませんっ聡明で誰よりも国のため民のためになる改革を行なってきたではありませんか」

「それは生きる理由にはならないわ。私はただロイ様のためだけに7度の洛陽を迎え、私の中に流れる前王の血を絶ってきたの。それでもダメだった」

 貴女は語る。自分は7回人生をやり直していると。やり直しているのだから過去においての未来は全て知っている。起こりうる厄災は全て見たわと。私が死ねばまた幼少の頃からやり直し。人生が振り出しに戻る。ロイ様は何度も何度も私の目の前で死ぬことになる。前国王によってだけではない。親、学友、誘拐犯、貴族、戦争、疫病ありとあらゆるものがロイ様を殺そうと迫ってくる。死を跳ね除けるために打てる手は全て打った。けれどロイ様のありとあらゆる死に様を見てきてしまった。戦争を回避するために唾棄すべき前王に娶られた。それなのにアイツはロイ様を殺してしまった。

「愛する人を救うために娶られ、王妃の勤めとしての夜に耐えている最中に、最愛の人の死を告げられる屈辱が貴方には分かるかしら? その時にできたゲスの血が今、私と繋がってお腹を流れているの。ああ、すぐにでも腹を裂いてしまいたいっ」

 下腹部を鷲掴みにするように、さすっていた手に力を込める。腑を引き摺り出せないことを嘆くように絹が悲鳴を上げている。

 何度もやり直していると言うのはよく分からないが、嫌な予感がする。

 やり直しは分かりかねるが、絶望はよく分かった。鉄格子を握った手が怒りで震え、自分の力不足を行動の遅さを呪う。

「ならばなぜ、聡明な王妃様まで悪逆非道の限りを尽くすのですか」

「何を知りたい? 処刑器具を作り有力貴族の首を飛ばし王宮に飾った事か? 西の村の鏖殺か? それとも東の街を水底に沈めたことか?」

 声だけは挑発的だが、表情は思い出して泣きそうになるのを堪えている。悔いが刻まれている。そんな顔を見たら二の句が告げなくなる。やりたくてやった事ではない。けれどやらざる終えない理由があった事が容易に読み取れてしまう。

 黙っていると彼女は言葉を続ける。

「彼を殺した王と救わなかった国へのささやかな復讐以外に何があろうか。その為に私は悪女として国を終わらせ、前王を史上稀に見る暗君とする鍵になったのだ」

「いいえ! ロイ様は王妃様に復讐なぞを望んではいません。ただ貴女に幸せになってほしいだけです」

「ありがとう。でも、ロイ様の気持ちを心を勝手に語らないでくださるかしら。彼の心は私だけのものなのだから」

「それでも王妃様の計画を新王に話せば処刑は回避できるはずです」

「ならぬ。クロウド、貴方には英雄になって婚約者の汚名を晴らして貰らわねばならぬ。西の村に親王妃派の軍を待機させ、処刑場に雪崩れ込む手筈になっている」

 やはり、この方の智略は計り知れない。既に手を打たれていたとは。

「直ちに焼き討ちにせよ。あやつらが王都に入れば国は疫病により終わる」

「なんと!」

「悪逆非道な王女の一派が動き出す前に一網打尽にして疫病から民を救うのだ。国を守った英雄の功績としては十分だろう?」

「なりません。そのもの達は王妃様を慕

っているもの達ではありませんか」

「構わぬ。あらゆる手を打ったが救えなかった。……クロウドよ。もしも、まだ私を王妃と見てくれるのならば……」

「勿論でございます」

「騎士達に自分の愛するものたちへの介錯をさせないでくれ。これは王命である」

 こんな震え声の王命など聞いた事がない。王妃の言葉を借りるのなら見てきたのだろう。自分の体も病に蝕まれながら、愛する妻の命を我が子の首を絶つ騎士達を。


{制限時間になりました。強制ログアウトを実行します。脳よりロイの擬似記憶を削除します}


 VRゴーグルを外し、眉間の皺をほぐしていく。

ワンちゃん、バグの嵐だ。王妃AIはデバッグ中の記憶ログが全て残っているし、台本と違った挙動をしている。それにクロウドの衣装とモーションが悪役令嬢のものになっている」

 私は、七度の夜を超えたら、家に帰れると思っていたが、現実は八徹目に突入した。

 販促ポスターの2人が笑っているような気がする

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