虹色のフクロウ by kyonsy


「やぁ、君が今日から僕のご主人なんだね」

 その時、時計はちょうど真上から三十度の方向を指していた。エアコンは十分効いていたし、暑くも寒くもなかった。視線の端っこには跳ねのけられたくしゃくしゃの毛布があって、その上に小さい何かがいる。見る人を不快にさせる独特の濃いマーブル色。最初は何かの間違いだと思った。むしろ、間違いであってくれとも思った。

「ちょっと、ちょっと、そんな驚かなくてもいいじゃないか、僕はただのフクロウだよ、ちょっとカラフルなだけさ」

 何故だか匂いがしなかった。背中が湿ってきている。そこには虹色のフクロウがいた。その目はクリッと丸く、ウルウルと光っている。洗っていない絵の具のパレットみたいな色をしていた。大きい目もある、フクロウがフクロウであるためのアイデンティティだ。肌もよく見るとかなり滑らかだった。まるでアニメの世界から飛び出してきたみたいなシルエットだった。

「そんなに心配しなくても、僕は無害な存在さ。そんなことより、もうかなり遅い時間なんだ、君は早く寝た方がいい、全て明日のためさ」

 全て明日のため、と頭の中で呟くと、僕の意識はいつの間にか途切れていた。


 教室からは微かな木と鉛筆の匂いがした。そこには自分以外の一人もいない。

「君は真面目なんだね」虹色のフクロウはそう一言だけ言った。

 しばらく待つと他のクラスメイトが入ってきた。そのうちの何人かにおはよう、と言った。ホームルームのベルが鳴る。カラフルなフクロウはじっと僕を見ている。

 その黒くてつぶらな瞳。

 授業が始まってから、君は消しゴムと鉛筆を置いた。本を読むというのはどこまでも孤独な行為だ。君は罪悪感も感じずに、その深くて温かい孤独の世界へ入り込んだ。ページをめくる乾いた音も、自分だけにしか聞こえてないような気がした。でも、またベルが鳴った後、君は友人のところへ駆けつけて、取ってつけたみたいに、道化みたいな馬鹿笑いをした。汚い口調で、いささかオーバーに。

「なぁ、俺昨日から変なものが見えるんだ」

「何、変なものって?」

「虹色のフクロウが見えるんだ。それでずっとこっちを見ている」

「なんだよ、変なのはお前の頭だ。変な薬でも飲んで気が変になったんじゃないか?」

「残念なことに、昨日は何も飲んでない。それどころか何も食べてすらいない。食欲がわかなくてな」

「それのせいだよ、きっと。空腹の神様がお前の所へやってきたんだ」

「そんな馬鹿なことあってたまるかよ。ハハハ」

「まぁ、気をつけろよ。あと、飯はちゃんと食うんだな」

「心配するな。でも、ありがとう」

 数学の先生が大きな三角定規を持って教室の中に入ってきた。空腹の神様は相変わらず僕のことをじっと見つめている。結局昼ご飯を食べてからも、そのカラフルな影が消えることは無かった。

 いや、そいつには影が無かったんだ。

 空腹の神様とは言い当て妙だよ、君。でも僕は神様じゃないし、君の胃袋のことに興味なんてない。ただカラフルなだけだ。

放課後、君は図書館で勉強をする。君は否定するかもしれないけど、自己実現のためではない。本当は、不安を忘れたくて必死に手を動かしているだけだ。君は自己満足という言葉が嫌いだから、成果がでるように日々頑張っている。つかの間の安心感を求めて。

そして夜遅くに君は家に帰る。

「ねぇ、君のことをどう呼べばいいか、実のところ、僕はよく分かっていないんだ。一体なんて呼べばいいかな?」

 時計が三分進んだ。長い三分だった。

「フクロウ、でいいよ。シンプルに。ただのフクロウで」

「分かったよ、フクロウ」

「それで、一体何の用だい?君は僕のご主人だし、一応、できることはするよ?まぁ、そもそもできること自体限られているんだけどね」

「なら聞くけど、その限られたことの中に、僕を見ない、というのはあるの?」

「残念だけど、ない」

「どうして?僕はもう嫌なんだ。何にも悪いことなんてしてないのに、お前みたいな気味の悪いのに取り憑かれて」

 フクロウには申し訳ないが、さすがにもう我慢できなくなってきていた。

「お前は一体何なんだ?幻覚なら、幻覚だってはっきり答えればいいじゃないか。とにかく僕はお前を見たくないし、見られたくもない」

 そう言ったものの、フクロウはそこまでショックを受けていない様子だった。表情も、体の動きも、全く変わっていない。

「僕は、君自身さ」

「僕は君で、君は僕。そんな冗談、今はいらない」

「これは冗談じゃないよ。まぁ、君がもしそう思いたいのであれば、好きにすればいいと思うけどさ」

ホウ、とフクロウが鳴いた。

「一人でいたいけど、一人でいたくない君。真面目になりたいけど、真面目になりたくない君。優しくなりたいけど、優しくなりたくない君。シンプルになりたいけど、相変わらず複雑な君。君は目を逸らすことはできる。こういうもんだって、勝手に納得することもできる。でも僕は常にここにいるし、ずっと君のことを見なくちゃいけない」

 柔らかい雨が外で点々と降っていた。

 突然、フクロウが僕の方へ近づいてきた。じりじりと、少しずつ距離が詰められていく。でも僕は指一つ動かすことが出来ない。フクロウは僕の中をえぐりながら進む。激しい激痛が走る。でも僕にはどうしようもできない。血は出てこない、ただ僕の一部がマーブル色に蠢いている。やがてフクロウは溶けだした。その体を僕の中に注ぎ込む。気付いた時にはフクロウはいなくなっていて、部屋には一人、僕しかいない。

「君は頑張っている。全てが矛盾だらけだけど、少なくともそこから前進しようともがいてはいる。だからと言って僕にはどうしようもないし、そうしたからと言って全てが解決すると思うのは甘えだ。

でも、これだけは言える。それは事実だということ」

 君は椅子から立ち上がった。僕はキッチンへ行った。君はお茶を飲んで、僕はため息をついた。全く気持ち悪いもんだ、と僕と君は呟いた。そして一緒に笑った。

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文芸同好会第1号「欅」 @hukuikosenbungedokokai

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