第13話 棘の魔女

「なかなかおもしろいお芝居になったわ」



 魔女はナイフを胸から引き抜く。そこから血はこぼれない。代わりに花弁がはらりほろりとこぼれていく。確かに刺さったように見えたのに、魔法のごとく、いや、魔法そのものとして処理してしまう。



「でも、そろそろ終わりにしましょうか」



 言われるまでもなく、終わった。終わってしまった。地面に転がり、砕けて散らばった紫結晶の破片を、薄れゆく視界で捉えながら、メアリーはあまりのあっけなさに思わず笑いそうになった。

 

 寿命の尽きかけ紫結晶は光を失いほとんど青色になっていた。一応働いてはいたんだなとメアリーは改めて実感する。右目の回転が止まり、膝の駆動部がだらりと揺れて、空気を求めない呼吸が激しくなる。



「桜結晶を渡してもらうわ」


「そうはいかない」



 メアリーの身体に巻き付いていた蔓を、ウィリアムが竹箒ではらう。おそらく物理的にではない。魔法のように蔓がかき消える。それでも動くことのできないメアリーをちらりと見下ろしてから、彼は魔女を睨みつけた。



「殺す必要はなかった」


「生かしておく理由もなかったわ」



 魔女は帽子に手をかけて笑う。



「それで、私と本気でやり合うつもり?」


「できれば引いてほしい。君を殺したくない」


「あはは。冗談がうまいわね」


「魔女相手に手加減はできない」


オズの遺品オズワークスを持って調子づいているのね。もとはと言えばそれも私たちのものだし。この機会に返してもらおうかしら」


「できるものならやってみろ」


「あら? 怒っているの? その粗末品ガラクタを壊したから? おもちゃ遊びを卒業できていないなんて、意外とお子ちゃまなのね」


「……どうして君たちは人の命に優劣をつけるんだ。どこが欠けていようと同じ人だというのに」


「私は優劣なんてつけていないわ。人は等しく愚かでどうしようもない生き物だと思っているもの」


「まるで自分が人でないような物言いだ」


「魔女ですから」



 遠くで聞こえる二人の声。物理的な距離だけではない。魔女と王子。遠い世界の縁遠い人たちの、まったく関係のないお話。その中心地にどうして自分がいるのかが、メアリーにはわからなかった。わからないから死にかけているのか。死にかけているから迷い込んだ地獄の淵なのか。いずれにしろ、もはやメアリーには何もできない。


 世界を書き換えかねないであろう二人の対峙、しかし、それはおとぎ話であり、ただ観覧することしか、メアリーにはできなかった。


 ずっと死地を歩いてきた。


 いつ死んでもおかしくない。そんな不完全な身体だし、そんな不安定な仕事しかなかった。


 生と死の境を歩いているような気分だった。落ちないように。落ちないように。落ちていく者達を傍目に見下ろしながら、踏み外さないようにと足を進める。


 そのときが来ただけのこと。


 それだけのこと。


 覚悟していた。していたはずなのに。


 

「死に、た、ぁ、く、ない」



 こぼれ出たのは生への執着。欠陥品と呼ばれ、生き物として扱われない、こんな身となってまで、どうしようもなく生きたいと願ってしまう。こんなときになって、メアリーは自分がまだ生きていたのだと実感した。


 何でだろう。


 同時にメアリーは自問する。


 何で生きたいんだろう。


 この先、きっといいことなんてない。死なないために生きるようなギリギリの生き方。掃き溜めから抜け出すことなど一生できない。それなのに、そんな人生をまだ続けたいと願う理由とは何か。


 ふと見上げれば赤い花。名前は知らないけれど、とても美しい、高貴な花。花は好きだ。こうしてきれいな花に見下ろされて死を迎えられるのは少しだけうれしい。花壇に咲く花はこれほど精緻な形はしていなかった。もう思い出せないけれど。ただ、あれはあれでメアリーは。


 そのとき、胸の内ですとんと何かが落ちる。


 何かわかったような気がした。難しいことなど何もなく、ただ単純な答えが目の前にあったのだ。


 けれども、そもそも何かが落ちたのは比喩でなく、実際に胸元から何かが落ちたのだった。メアリーは転がった紙袋に目を向ける。荷物だ。今、この死地を招いた元凶。魔女の言うことを信じるのであれば桜結晶。5年前の惨劇を引き起こした最悪の兵器。


 もう、メアリーには関係ないけれど。


 と、そのとき、ふとメアリーは気づく。心の内が整理されたせいか、死に際だからなのか、妙に頭の中がクリアで奇妙な巡り合わせに気づいてしまった。


 結晶?


 難しい話はわからない。ただ、桜結晶が紫結晶と同じ、動力源として扱われる結晶だというのであれば。


 腕を伸ばす。生体として残っている方の腕を。紙袋の中へと潜り込ませ、中の箱を取りだす。危険なもののわりに簡易な包装だとメアリーは箱を開ける。


 現れたのはガラス細工とその中で輝く薄赤色の結晶石。見たことのない色に目がくらむ。いや、どこかで見覚えがある。だとしたらそれは5年前。災厄の記憶。すべてを絶望へと呑み込んだ地獄のような血の明かりは。



 桜結晶サクラリウム


 

 その記憶を振り払うようにメアリーは中の桜結晶を取り出すべく、ガラスを地面に叩きつけた。



「やめなさい!」



 そこで魔女が気づく。


 メアリーの奇行に。遅れてウィリアムが振り返る。だが、もう遅い。ガラスはいくら叩いても割れなかった。力が入らないからだろう。だからメアリーはガラス細工をガリと噛み込んだ。顎は自前。



 ナッツを割るのは得意なんだ。


 

 音を立ててガラスが割れる。中から落ちてくる桜結晶を手に取り、そのままの勢いで、メアリーは自分の胸の内にしまい込んだ。ぽっかりと空いた心臓の位置に、薄赤色はやけにきれいに収まる。


 そして、ほんの一瞬の静寂の後。













 カチ

















 刻動した。 

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