第10話 逃亡
背筋に悪寒が走る。
感じたのはメアリーだけではない。その場にいたすべての者が、いや、町にいたすべての者が、もしくは、この大地を踏むすべての生物がその拍動を聞いて、戦慄した。
何だ? 今のは?
「何? まさか
女兵士も困惑していた。もちろんメアリーにはわからない。そして、わからないことを一早く理解した。だからこそ、その場の異変にいちばんに気づけた。
妨害晶波が止まっている。
すぐさま、メアリーは女兵士に足払いをかける。あまりに安直な攻撃で本来であれば軽々避けられただろうが、虚を突かれて反応が遅れていた。メアリーは女兵士をきれいに転がして、そのまま駆け出した。
「この欠陥品が!」
女兵士が後ろでぶちぎれていた。当然の話だが、メアリーは無視して走って逃げる。
継填装の機能が戻った今なら全速力が出せる。それで逃げ切れるとは限らないけれど。
生き延びる方法は一つ。運び屋の仕事を終わらせる。荷物をクローヴィアに運んで取引先へと渡してしまえば、もはやウィリアム達がメアリーを追う意味はない。その後、取引先はえらい目に会うだろうが、知ったことではない。
坑道まで逃げ切る。それさえできれば成功の条件はクリアされる。クローヴィアまでの競争になるが、地の利はメアリーの方にあるはずだ。
「逃げ切れると思ったか!」
背後から、大振りの拳撃。巨漢の兵士だ。メアリーは地面に伏せるようにしてかわした。
「ハハ、すごいな! 後ろに目でもついているのか?」
「つけときゃよかったよ!」
メアリーは右目をぐるぐると回す。あまりの高稼働に火を噴きそうだ。彼の言う通り、背中にも目の継填装をつけておくんだった。
大男の第二撃がメアリーを上から叩きつける。その威力はすさまじく屋根が割れた。だが、そこにあったのはメアリーの背負っていた籠のみ。木っ端みじんに籠は壊れ、中の生ごみが飛び散った。
「バカ! あれが壊れたらどうするんですか!」
「おっと、そうだった」
遠くから女兵士が怒鳴る。どうやらこの荷物はよほどに重要なものらしい。メアリーは命綱の荷物を懐に仕舞い直し、コートを脱ぎ捨て大男にかぶせた。
「ぐぉっ! こしゃくな!」
メアリーは屋根の上を伝って走っていった。荷物をもっている限り雑に強力な攻撃は来ない。サクラタウンは知った町。逃げるだけならばどうにかなる。このままいけば、坑道までたどり着ける。
「待て、メアリー!」
「ちっ!」
目の前に立ちはだかったのはウィリアムであった。先回りされた? 逃げるメアリーは坑道へ向かう。そう予測できれば最短ルートを通って先回りすることは可能だが。
「落ち着いて話し合おう」
「ふっざけんな! あんたの仲間に話し合う気がないんだろうが!」
「さっきのはわるかった。手違いなんだ」
「手違いで殺されてたまるか!」
メアリーはナイフでウィリアムに斬りかかる。ただ威嚇以上の意味はない。むちゃくちゃに振ったナイフをウィリアムは余裕でかわした。
もう少し緊迫した表情をしろよと腹の立つ野郎ではあるが、一つだけ利点がある。ウィリアムが近くにいると他の兵士が近寄って来ない。ただの変人かと思ったが、どうやらこの優男が司令塔らしい。できれば人質にとってしまいたいが、メアリーの能力では無理だ。
「君の命は俺が保証する。だから、ナイフをおろして逃げるのをやめるんだ」
「まずおまえらが剣を捨てろ」
「俺は持ってない」
「後ろの奴らが振りかざしているだろ!」
「俺が言えば剣をおさめる。まず君が落ち着くんだ」
「ははは、で、止まった瞬間、首と胴が真っ二つってか? 相変わらずジョークがつまんねぇ」
「素朴に疑問だが、君は首を斬ればと死ぬのか?」
「死ぬわ!」
何言ってんだ、こいつ!?
話にならねぇとメアリーは走り続ける。もう少しで市街地を抜ける。この先、森に入れば比較的に逃げやすい。それでもまだ距離はあるが、少しだけ希望が―――
「
呟いて、異変に気づかされる。まだ市街地を出ていない。だが、そこには緑が息吹いている。建物が見たことのない蔓で覆われているのだ。どれだけ寂れた町だと言っても、こんな森と同化したような場所は知らない。そもそもメアリーの頭がおかしくなったのでなければ、この蔓は今ほんの一瞬きの間に生えて育ったように見えたのだけど。
まるで魔法のように。
ウィリアム達の仕業かとメアリーは視線をめぐらせる。だが、違う。彼の正直に戸惑った表情が雄弁に語っていた。
「まさか、これは……、なぜ、彼女がここに?」
何か知っているようだが、異変には違いない。逃げる上ではイレギュラーは歓迎だ。さっきもそれで生きながらえた。この異変も利用したいところだとメアリーが膝のギアに力を貯めたとき、何やら妙な音を聞いた。ギアじゃない。地鳴りのような低い音が。
同時にウィリアムが叫ぶ。
「全員、ここから逃げろ!」
その言葉をもう少しまじめに聞くべきだったと、メアリーは後に悔やむこととなる。
次の瞬間、足場が崩れ、破裂した。
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