第9話 逃れようのない流れの中で

「タダでとは言わない。取引しよう」



 ウィリアムはこちらの質問には答えず、スッと手を伸ばしてのひらをこちらに見せた。代わりにメアリーは手をコートの中に隠す。同時に、周囲の気配がピリリと張った。



「買い取るよ、その荷物。いくらだい?」


「ふざけんなよ。あたしが仮に運び屋だったとして、荷物を横流しなんてしたら殺される」



 メアリーは瞬時におかしさを感じ取る。彼の提案はありえない。市民が貧民街スラムの義体持ちに交渉を持ちかけるなんてありえないのだ。彼らからしたら、こちらは人間ではないのだから。奪えばいい。奪っていい。畑を荒らした猪を狩るように、問答無用に殺していい。


 では、なぜこんな会話が起こる? 一つはメアリーを油断させるため。貧民街の住人とはいえ、反撃されて怪我したくはないだろう。または、ウィリアムの頭がおかしいから。それは十分に考えられる。こいつの考えていることは一から十までわからない。


 仮に後者だったとしたら、交渉が可能か。


 しかし、周りに控えている連中まで同じ考えとは限らない。いや、違うと考えるのが妥当。なぜなら、さっきから殺気がメアリーに突き刺さっている。正直、生きた心地がしなかった。



「逃げるといい。クローヴィアで花屋でもしたらどうだ? 開店資金くらいは出そう」


「花屋? ハハハ、前言撤回。確かにあんたはお花畑のカカシ野郎だ。何も知らねぇ。クローヴィアで花屋? あそこの連中が義体持ちにまともな商売をさせるわけがない」


「そうか。じゃ、ハートピアなら」


「どこも一緒だよ。あたしら義体持ちはサクラタウンでしか生きていけない。あんたの言っていることは全部絵空事だ。頭ん中空っぽのカカシ野郎」



 そこで、ウィリアムはムッとした表情を見せる。この男、飄々としたふうなのに意外と正直なところがある。


 一歩、メアリーは下がる。そして周囲に意識を向けた。


 何人いる?


 メアリーは右目を起動し、ぐるりと回す。右のかどに一人、左の角に二人。こちらは体格からして露店にいた奴らだろうか。


 戦って勝てるわけがない。相手は兵士。戦闘のプロ。ただの運び屋なんてあいつらからしたら野兎に等しい。


 ふー、と一つ息を吐いて落ち着いてから、ウィリアムが口を開いた。



「きつい言い方になるけれど、君の選択肢は限られている。おとなしく荷物を渡すか、もしくは……。ただ俺は君を気に入っている。できれば穏便に済ませたい。わかってくれ」


「今この場でわかってねぇのはあんただけだよ。みんな立場をわきまえてる。あたしですらそうだ。もう話は終わっている」


「いや、まだだ。まだ何か……、待て!」



 誰に向けてウィリアムが叫んだのかはわからない。ただメアリーの右目がぐるりと後ろに反転する。義眼の捉える魔力が一斉に動く。右の角に一人、左の角に二人。そして。


 後ろに一人。



欠陥品ガラクタが調子に乗るな! 死ね!」



 背後からの剣は虚空を斬った。


 メアリーの視界が高くなる。跳ねたのは左足。膝のギアが駆動する甲高い音を残し、メアリーは跳ね上がり、壁を三度蹴って屋根の上まであがった。


 着地して、息を吐く。



 死んだかと思った!



 見えてはいたがさすがは兵士、太刀筋は想像の百倍速かった。間一髪、跳ねが間に合って命拾いしたけど二度とやりたくない。だが、その望みが叶わないことは明らかだった。


 

「逃げ足が速いな! 欠陥品!」



 兵士を左目が捉える。同じく屋根に跳びあがってきた兵士。それは露店で見た大男。おかしそうに笑っているが、それは獲物を見る狩人の目だ。人を見る目ではない。


 剣で斬りつけてきた者は追ってこない。ウィリアムが止めたのか? だがそれでも3人。こいつらはウィリアムとは違う。交渉する気も逃がす気もない。既に全員が剣を抜いている。


 こちらの方が理解できた。自然な流れ。兵士に目をつけられたら殺されて奪われる。問答無用。メアリーにできることは一つ。逃げること。



 逃げられるか?



 メアリーの直感は無理だと告げていた。だけど生きている限り、足掻いてみる。これまでもそうしてきたし、これからもそうする。どうして、かは、もう忘れてしまったけれど。


 とりあえず今気を付けるべきは。


 右目は一早くそれを捉えた。一人の方の兵士。その手に握られていたのは紫結晶を備えた杖。メアリーが最も恐怖を覚えるもの、妨害晶波。


 あれだけはどうしようもない。特に全身義体持ちのメアリーは使われただけで完全に無力化されてしまう。


 対処法は一つ。効果範囲の外に出るしかない。咄嗟にメアリーは距離をとった。



「いい目をしていますね」



 逃げようとした先で女兵士が剣を振る。同時にメアリーはナイフを引き抜く。甲高い音が耳のそばで鳴り、刃と刃が重なり合った。


 

 重っ!?



 女とは思えない重い斬撃に弾かれそうになって、メアリーは両手で必死に支えた。



「驚きました。欠陥品ごときが私の剣を止めるとは。まぁ、どちらにしろ終わりですが」



 女兵士は淡々と終わりを告げる。それは煽りではなく事実。このタイミングで距離をとることができなかった時点でメアリーの死は決定していた。背後で、別の兵士が紫結晶を明滅させる。



 妨害晶波ジャミング



 ガクンと身体の力が抜ける。崩れ落ちて、メアリーはその場に膝をついた。女兵士は横に立ち、剣をメアリーの首元にかるく当てた。



「まったく欠陥品風情が無駄な仕事を増やさないでください」



 彼女の声に感情はない。肉の解体をするかのように、ただメアリーに剣を向けていた。


 死ぬ。


 当然か。


 兵士に目をつけられた時点でメアリーのようなちんけな運び屋は生きられない。いや、この仕事を受けたときにもう死ぬことは決まっていた。そんなことを言い始めれば運び屋になったときから、被災して身体を失ったときから、みじめな死に様は見えていた。


 そのときが来ただけだ。


 走馬灯を見る間もなく、そのときはやってくる。服についた砂埃を払うかのようにサッと行われ、そして終わる。


 かと思われた。


 その場にいた全員がそう思った。だが、











 ――――――――――――――――――――――ドクン











 一拍の鼓動によって、すべての予定調和は崩れ落ちた。

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