第5話 市民と兵士

 大男は頭に血がのぼっているようで、メアリーの方をぎろりとにらんできた。市民様がそんなに睨むなよと言いたい。こっちはド底辺だぞ。



「何だ、おまえ? 文句あんのか?」


「いや。そうじゃなくて、これ、あんたの財布じゃない?」


「は?」


「そこに落ちてたけど」



 メアリーは皮の財布を差し出す。大男は怪訝けげんそうな顔を見せつつ財布を受け取った。何度か裏返してみてから、中身を確認する。


 その仕草を見て、中身を抜かなくてよかったとメアリーは安堵あんどした。



「いや、でも、確かにこのガキが」


「勘違いじゃない?」



 勘違いではない。確かにイアンが財布を盗んだ。では、なぜ財布がメアリーの手元にあるのか。それは、さらにからだ。


 タイミングがよかった。イアンが盗んでから大男に捕まるまでの時間、ちょうどそのタイミングにメアリーの足が間に合った。


 これで、大男がイアンを責める理由はなくなった。


 けど。


 正直、苦しい。


 クラウンシティではどうだか知らないが、今ここで行われた会話は、この町、サクラタウンではありえない。なんて。もしもメアリーが同じことをされたら絶対に受け取らない。中に何が詰められているかわかったものではないからだ。


 だが、大男は素直に受け取った。ならば、この町の流儀に則らず、穏便に済むかもしれない。


 などというメアリーの希望とは異なり、大男は納得せずにイアンの腕を締め上げた。



「おまえグルか? このガキと一緒になって盗んで、ガキが捕まったからあわてて返しに来たんだろ」



 一度振り上げた拳を下ろせないのだろう。いや、もう一発振り下ろしているから、正当化したいといったところか。



「だったら見捨ててる」


「なっ」


「ここはそういう町。これは本当に落ちてたの。中身も入っているでしょ」


「そうだが」


「じゃ、いいでしょ。それとも子供を殴るのが趣味な変態なわけ?」


「違う! 俺は盗みに対してただ罰を与えただけでだな!」



 話をしてみて、この大男は良い人なのだなとメアリーは率直に思った。罰という言葉がいちばんに出てくるのは善人な証だ。普通ならば、財布を盗まれたことへの怒りが先立つ。


 ただ、今はそれが逆に困る。悪人なら財布が戻ってきたらそれで済む。だけど、善人だから盗みがあったかにこだわる。厄介だなとメアリーはイアンを見捨てて逃げることも算段に入れ始めた。



「その辺にしておきなさい、マルコム」



 話を終わらせたのは女の方だった。大男のでかいがたいと比べるとずいぶん小さく見えるが、態度は大男に負けないくらいにでかい。



「いや、しかしだな。盗みを見逃すわけには」


「今はそんなことをしている場合ではないでしょ」


「あぁ、試作品を探す方が先だ」


「それにウィ……、あの人もどこかに行ってしまいましたし。はぁ。つまり、それらにかまっている暇はありません」


「そうだな。わかったよ。そう怖い顔をするな」



 女にたしなめられて大男はイアンの手を離した。なんとか助かったようでメアリーは内心ホッとしていた。


 二人の市民は、メアリー達の方を見ずに去っていった。女の方はそもそも興味がないらしく、一度もこちらを見なかった気がする。まさに市民様といった気位である。そのおかげで解放されたのだけど。



「メアリぃぃ、ありがとぉぉ」


「はいはい、小さい声で泣け。あいつらに聞こえる」



 背中に気を張ったが戻ってくる気配はない。そこでやっとメアリーは肩の力を抜いた。



「バカイアン。盗む相手は選べって言っただろ」


「だってぇ。あいつらカモっぽかったんだもん」



 まぁ、確かにサクラタウンに迷い込んだ市民のカモのように見えたかもしれないが。



「あれは兵士だ」


「兵士?」


「そう。どこの所属かはわからないけど間違いないね。立ち振る舞いがそうだったし、隠していたけど剣も持っていた」


「何でこんなところに?」


「さぁね。あたし達には関係ない。それよりこれに懲りたらもう盗みなんてするなよ」


「うん、わかった!」



 返事だけはいい。この手の約束が一日以上続かないことをメアリーは知っているが、約束とは元来そういうものだとイアンの手を引いて帰路についた。


 イアンの腕には男の手の痕が青くくっきりとついていた。手の握り返し具合から不幸中の幸いとして折れてはなさそうだが、しばらくは痛みにのたうち回るだろう。かわいそうだが、まぁ、いい勉強だな。



「あ、そういえば」



 しばらく歩いたところでイアンがポケットから布切れを取り出した。



「これ、お礼にメアリーにあげるよ」



 受け取って、メアリーは広げてみる。広げる前に独特な油の匂いがすることに気づいた。



「絵?」


「うん。こういうの好きでしょ」


「そうだけど」


「本当は売りつけようと思ってたんだけど、お礼だからタダでいいよ」


「……。どこでこれを?」


「さっき露店で。どさくさのときに」



 約束は幻と読み替えてもよさそうだ。得意げなイアンに対して呆れつつ、メアリーは絵を眺めた。木に張りつけられていたものが剥がしてあった。露店にはたまにこういう誰が買うのかわからないものが売られている。きれいな女性の絵。くしゃくしゃになっているのが残念だ。



「まぁいいや。ありがとう」


「へへ」



 イアンは照れくさそうに笑うと走って先に行ってしまった。あれだけ走れれば大丈夫だろう。メアリーはもらった絵をどこに飾ろうかと考えつつ、なんとなしに布を裏返した。するとそこにも何かが書かれていると気づく。文字だ。署名だろうか。それとも持ち主の名前だろうか。



「どっちにしろ読めないんだけど」

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