4. もう百度だけ会いたくて。
夢に見た再会
「無様だなぁ、ほんとに」
ウェルダン・パーチはそう呟いた。相も変わらず身につけられた恐竜のきぐるみがしゃかり、と風に吹かれて音を立てる。
「ほんとーに……クソ無様」
パーチの眼前に横たわるのは、人の遺骸。バスク・チーズケーキのその成れの果て。
彼の死から約二時間後、ウェルダン・パーチはようやく彼に追いついた。
バスク・チーズケーキの顔はやり切った顔をしていた。まったくムカつくものだ。
「ラチェの言うことを散々無視しておいてこれだもんね、はぁ~」
バスク・チーズケーキを斡旋組合に引き込んだのは、ウェルダン・パーチだった。リチャード・スモーフィンの指示ではあったが、面接官として大立ち回りを繰り広げ、最終的に生かして加入させたのはパーチだ。だからこそ、むかっ腹が立つ。
「散々っぱら荒らしてくれちゃって……」
未だ街は混乱の只中にある。数多の死傷者、それに対する救護は倒壊した数々の建物によって防がれ、悲鳴と怒号は鳴りやまない。じきに斡旋組合が復興を援助するだろうが、それにしたって裏社会での悪評は免れないだろう。
「……面倒なことを──っ! してくれちゃってッ!! さァ!!」
着ぐるみに包まれたやわらかな足がチーズケーキの遺骸を踏む、踏む。何度も何度も、憎しみを込めて踏む。
「たかが殺人鬼如きが! リチャードの顔に泥を塗りやがってェ!!!」
怒り、滲むまでもない怒り。パーチはそれを爆発させていた。
「このっ!! クソッ!! ゴミのくせに──!!」
リチャードの足元にすら及ばない、ゴミのくせに──
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
ひとしきり怒り終わると、今度は自己嫌悪に包まれた。日頃からリチャードに言われているではないか、“それでは玉に瑕である”と。
「ああ、もう」
この場に彼が居なくて良かった。失望はされたくない。
「リチャードの、ために」
すべてはただ、リチャード・スモーフィンがために。
「──《
──パーチがしゃかしゃかと足音を立ててその場を去ると、そこには死体が一つ残るのみだった。首から上が荒々しく千切られた死体が。
◇
僅かな朝日が冷たい空気に熱を投げかける午前四時、大陸横断鉄道はその重く長い車体をホームに滑り込ませ、静かに扉を開いた。この駅で軽いシステム更新を行うらしく、停車は約十五分。すべてがコンピューター制御なため、駅員はほとんどいない。
リネンとアプリコットはそんなホームの端、ちょうど三方向が柱や売店によって隠れる位置に陣取っていた。
「ギリギリまで待ちます」
「うん」
ホームにいる駅員でない人間はまばら。あの中に敵がいても二人の側から察する術はない。だが、敵にはこちらの位置を確かめる方法が存在する。それが未だ機能しているという確証はどこにもないが、している前提で動くが吉だろう。
リネンが片手をぎゅっと握ると、具現化した漆黒の茨が渦を巻いた。
彼女の内側に蓄積されている穢れは、今最高潮に達しつつある。先のチーズケーキ戦で至った新たな選択、法則を吸収することで得られる穢れは、吸収を効率の面ではるかに凌駕するものだった。頭痛と吐き気を常時もたらすそれは彼女の内側で蠢き、解き放たれるときを今か今かと待っている。
「発射ベルが鳴ったら走ります。いいですね?」
「了解、準備する」
敵に発見された状態での乗車は避けたかった。狭い車内に隠れられる場所などほぼ皆無であり、そうなると正面戦闘は必至。戦闘の余波で事故が起これば、国外への道は絶たれてしまうからだ。どのみち、現時点での二人はこの列車に乗るしか道はない。だからこそ、慎重に。
「──失礼、アプリコット・ファニングスさんとお見受けしますが」
だからこそ、警戒を縫って自然に会話に入り込んできた男に向けられたのは、リネンの茨であった。うねる茨はその鎌首をもたげ、男へと襲い掛かる。
「おおっと、ちょっ──待ってください」
怪しげな細目の男は器用な動きでもって茨を避けていく。その身のこなしは完全に一般人のそれではない。確実に、アプリコットたちと同じ穴の狢だ。
「誰?」
リネンの茨が震える。その震えは警戒と敵意を孕んでいた。
「落ち着いてください、敵意はないんですから」
男はひらひらと両手を振って見せた。リネンからしてみればその動きは小馬鹿にしているようにしか見えないが、どうやら彼なりの友好の証らしい。
「あなたは……追手じゃないんですか」
アプリコットが呟く。それは、もっともな疑問だった。この男がそもそも法則を保持しているのか、しているとしたらどのようなものなのかは不明だが、法則最大の利点は初見殺しにある。自身しか知らぬ法則をもって、分からぬままに殺しきる。それがもっとも安心で安全な戦法のはずだ。自ら姿を現すというのはおかしい。
いや、それ自体に意味がある法則だとしたなら──?
「ええ、まあ、追手ということになりますね」
男はスッと目を細めた。ただでさえ細かった目はそれによって完全に瞑られたように見える。
「追手──ではあるんですけどね、私はそちらのお嬢さん……リネン・ユーフラテスに興味はありません。あるのはあなたですよ、アプリコット・ファニングスさん」
「俺……?」
アプリコット・ファニングスに価値はない。リネン・ユーフラテスを手に入れるうえでの障害であり、ただそれだけ。それだけのはず。目の前の男が吐く言葉はアプリコットにとってもリネンにとっても意外なものだった。
そして、続くリネンの行動も意外としか思えないもの。それはアプリコットにとってはもちろん、リネン自身にとってもそうだった。本能的な警戒と、強く掴んでおかなくてはならないという強迫観念。
複数の茨がまとまり、螺旋を描いては男とアプリコットの間を漂う。一触即発、その雰囲気を破ったのは、男だった。
「申し遅れました」
わずかに開かれる目、しかし瞳は未だ見えない。
「私はアンキ・サカダレ、斡旋組合に加入してはいますが、一応フリーの殺し屋です。そしてこっちが……」
アンキと名乗ったその男が目線をやって初めて、二人は柱の影に隠れる女に気が付いた。透き通る水を思わせる長髪、目線は不安げに揺らぎ、その手は所在なさげにゆらゆらとあてどなく動かされている。
「……の、ノウマ……です。ジェリコ・ノウマ」
少女とも言える年齢に見えるその女は大きなトランクに座り、半透明のクッションを形が変わるほどに抱きしめていた。
突然の乱入、かと思えば攻撃するでもなくただただ自己紹介をする二人組に、リネンたちの困惑は深まるばかり。名前まで名乗る意味はどこに? いや、そもそもコイツらはいったい。
「見覚えは?」
「えっ?」
アンキの僅かに、その光彩の色すら分からないほどに開けられた瞳がアプリコットを見つめていた。
「見覚え、ありますか?」
アンキの顔は微動だにしない。動揺も、焦燥も、そして余裕すらも感じられないほどに。
「見覚え……?」
アプリコットはまじまじとアンキの全身を見つめた。黒い長髪、糸のような目、中華風の衣装、一度会えば、それどころか一度目にすればそうそう忘れられる見た目はしていない。
「違います、私じゃありません。ほら、ノウマさん」
ずい、と目の前に押し出されたのはジェリコ・ノウマ。彼女はアプリコットと目を合わせるとその身を強張らせた。同時に、クッションは更に強く抱きしめられる。
「彼女に見覚えは?」
「さっきから、なにを──」
意味の分からない問答を繰り返すアンキに、しびれを切らしたリネンが反論する。が、その行動はそっとアンキが手でもって押しとどめた。
「少し待っていただけますか? リネン・ユーフラテスさん。斡旋組合としては本来あなたに用があるのでしょうけれど、今は関係ありませんから」
ジェリコの目線はしばらく泳いでいたが、やがて一点へ。すなわち目の前のアプリコットの顔へと向けられた。眼球は震え、しかし先ほどのような目線の泳ぎは起こらない。
「あ、の──」
ノウマの震える声が、アプリコットへと届いた。
「──私のこと、憶えて、ますか……?」
「……え?」
◇
「そうか、チーズケーキが死んだか」
執務室の窓から、夜明けを迎えた空が見える。リチャード・スモーフィンは受話器を耳に当てたまま器用にも煙草へ火をつけると、ゆっくりと息を吐いた。
『身元隠しは終了したよ~』
「ありがとう、パーチくん」
バスク・チーズケーキが死んだ。彼を撃破したということは、アプリコット・ファニングスとリネン・ユーフラテスの脅威度は上がり続けているらしい。
『あとは任せて、リチャード。あとは私がやるから』
「……ああ、任せたよ」
『任された』
通話が切れた。受話器を置いたリチャードは、天井に向けて煙る煙草を見つめ、そして、
◇
「憶えてるか……って」
ジェリコ・ノウマ。流動する水を思わせる少女は緊張と共に目の前の男を、アプリコットを見つめていた。
「えっと、その……かなり前なので、えと、だから──」
これまでの人生において、アプリコットが思い出せるほどの交流を持った人間というのは極々少数に限られる。仕事以外ではそうそう人と関わらないし、仕事で関わった人間とは交流を深める機会などないからだ。だから、目の前の少女と出会ったらしい経緯というのは相当限られてくる。
「わたっ、私はっ」
ジェリコの声が上ずった。上手く動いてくれない声帯を無理やりに震わせ、言葉を紡ぐ。
「あなたのおかげでっ、ここまで──」
「──はいストップ、ストップですよ、落ち着いてください」
割って入ったアンキがニコッと笑うと、ジェリコは慌てた様子でトランクを開け、そこから水筒を取り出した。コップとしても使える蓋を取り外し、そこに中身を入れ、一息。
「……ふぅ……はぁ」
何度か深呼吸を繰り返し、温かなお茶が入っているらしいコップを飲み干したジェリコはもう一度だけ深呼吸をした。それが終わるとジェリコはアンキへ顔を向ける。アンキが頷くと、ジェリコは意を決したように改めて振り返った。
「……私は、あ、その」
泳ぐ目線はやがて、再びアプリコットへと固定される。
「あなたの後輩、です……憶えてますか、先輩?」
そして、問うた。アプリコットは──
「きみ、は……」
アプリコットの記憶に、彼女の姿は存在しなかった。
無垢の証明 五芒星 @Gobousei_pentagram
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