脱兎と落伍者

「──」


 爆発の余韻から逃れ、薄っすらと目を開けたアプリコットの視界に『放出』によって形作られた壁が映った。

 イソギンチャクのような、微細で柔らかい触手で構成されている壁は綺麗に焼け焦げていた。ぐずぐずという音と蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々の悲鳴だけが聞こえる。


「……うっ」


 そして、肉が焦げる音も。

 はじけ飛び、地面や建物の壁に飛散るのは人間。爆炎によって中途半端に焼かれたそれは、悪趣味なオーナメントを想起する輪を地面に描いている。


「……アプリコット」

「……ええ」


 二人は視線を交わし、逃げ惑う人々の中に紛れた。敵が攻勢に転じたのか、それともただの置き土産か。どちらにせよ撹乱は必要だ。いたずらに周囲の人間を巻き込みたくはないが、この際仕方ない。


「……敵、気づいていると思う?」

「俺たちの居場所に、ですか」


 問題はそこだ。先ほどの爆発した男、あれは明らかに蛍を爆弾に変えてきた法則所有者と同じもの。生き物ならばなんでも爆弾に変えられるのか?


「ねえ待って! あなたたちでしょ!?」


 人混みから二人へ向けて声が放たれる。


「助けてくれぇ!!」

「お願いっ! どこにいるんだ!!」


 なんて、なんて悪趣味な真似を。アプリコットは音にならない舌打ちをかます。

 つまり、敵の狙いは自動追尾弾だ。人を爆弾に変え、アプリコットとリネンの姿を教え含め、こう嘯くのだ。“見つければ、助けてくれる”のだと。


 後は簡単。


「……殺す?」

「……」


 アプリコットの人生において、殺してきた人間は一人ではない。それまでは金を稼ぐためという大義名分があった。今回だって、生き残るためという立派な理由が存在する。だが──


「頼むっ、頼むから──!!」

「俺だけでいい、俺だけ助けてくれ、早く!!」


 ──これでは、あまりにも。


「……」


 リネンは僅かに眉をひそめた。アプリコットがやらないなら、自分がやる。そこに逡巡はない。だが、問題は彼女が抱える“穢れ”の残量だ。

 リネンに蓄積されていた“穢れ”は文字通り底をついていた。さきほどの爆発を防いだ分でちょうどだ。今も少しずつ貯め込まれてはいるものの、すぐに『放出』できるほどでもない。


「リネンさん、吸収は待ってください」

「でも、このままじゃ──」


 吸収はいわば“穢れ”に対してガードを上げる行為。当然のように苦痛を伴う。それをアプリコットは良しとしない。


「あ"ぁっ」


 逃げ惑う群衆の只中から声が響いた。続いて爆音と炎が──


「助けてっ! 助けて──」


 二人の前に躍り出た中年の女性が、みるみるうちにモザイク状に裏返っていく。距離が近い。防ぐ方法なんて──



「いいねぇ……いいねぇ!!」


 バスク・チーズケーキは叫んだ。夕闇が降り立つ街中に、爆発の明かりだけが鮮明に灯る。それも、道を数本挟んだ大通りであるここだろうと見えるほどに。


 バスク・チーズケーキがしたことは、たった二つだけ。

 大勢の人がいるところで一人爆破し、アプリコットとリネンの特徴を伝え、“見つければおまえらは助かる” と発破をかけただけ。それだけで将来の爆弾は人混みに紛れ、自発的に標的を追ってくれる。


 その方法が一番楽だ。楽々で、そして楽しい。爆発のタイミングは難しいが、適当に一、二個スイッチを入れたところで100が99になる程度。圧倒的な数でもってろうそくに火を灯せばいいのだ。


 ただ、待つだけでいずれそうなる。



 気づけば、アプリコットの手から釘が放たれていた。正確無比な投擲は、何の抵抗もしない人間一人を死に追いやるのは十分だった。十分すぎた。


 爆発は、しなかった。


 殺せばいい。殺せば爆発はしないのだから。

 ……何人殺す? 向かってくる全員を? 何十? 何百?


 人々は、アプリコットによって地面に倒れ伏した人へ一瞬目をやり、そして。


「アプリコット、次が来る!」


 リネンが叫ぶ。迫り来る人々の顔は、真剣を通り越して楽観的にさえ見えた。


「助けてくれ、頼むよぉ!」

「俺たちにあなた方を助ける方法はない! 騙されてるんです!」


 アプリコットの声が通りにこだます。だが、人々は止まらない。止まれるわけがない。止まってしまったなら、ことがわかっているからだ。

 どうせ、爆発する。アプリコットに近づけば殺されるかもしれない。確実なものと不安定なもの。それらは折り重なり、理性を薄め、覚悟を生んだ。


 生んでしまった。


 逃げ惑う人々は逃げ惑うのを止め、代わりに二人へ歩を進める。自らの意思で救いを求めて。

 不確かな、誰にも保証されない救いでも。



 通りの向こうから響いてくる轟音に、バスク・チーズケーキは目を細めた。轟音は続いていくだろう。何度も、何度も。


 結局のところ、コレが確実。確実で、満足感もある。


 生きた自動追跡爆弾は、二人をバラバラにしてくれるだろう。原型も残さず、誰かも分からないほどに。


「あー……、生捕りだったかぁ?」


 まあ、どうでもいいだろ。


 バスク・チーズケーキはゆったりと、逃げゆく人々の中で歩を進めた。

 自動追跡爆弾は効率こそいいものの、爆散するその瞬間を、その明かりを目撃することが困難になる。よって、チーズケーキが自動追跡爆弾を使用する際は、自身の身に危険が迫っているときか、もしくは予想以上に時間がかかっているときだけだ。


 これほどまでに、焦燥感に駆られたのは久しぶりだ。自動追跡爆弾を繰り出すのは実に十一か月振りになる。前回は──


「……あぁ」


 ──忘れもしない。斡旋組合の使者を出迎えたときだった。

 フリーの殺し屋未満として生きていたチーズケーキを斡旋組合は傘下に置こうとした。管理しようとしたのだ。それに反発したことで使者との戦闘に突入した。

 と戦闘して、チーズケーキは思い知った。人は、人を超えられない。越えられるのは法則だけなのだと。


「ひ~かり~は鮮やかにぃ~」


 小さく口ずさむ。その歌声は逃げ惑う群衆の中に薄まり切る程度のものだが、途切れずに続く。うろ覚えの歌詞は途中から鼻歌へと変わり、その不確かさとは正反対に、足取りは軽くなっていく。


 人の悲鳴は鳴りやまない。絶えたとしても、耐えられやしないのだ。


 チーズケーキは歩を進める。身体と心は軽やかに、わが身かわいさは爽やかに。進んで、進んで、進んで──唐突に、止まった。

 祝福のリズムは途切れた。バスク・チーズケーキは目を見開いて──


「なん、は?」


 その足は、再び踏み出さない。踏み出せない。数秒前まで、チーズケーキにとってはすべてが祝福だった。人の悲鳴と、爆発の明かりが彼の背中を優しく押してくれていたはずだった。

 いつの間にか、爆発は途切れていた。人の悲鳴が急に薄気味の悪いものに聞こえたような気がする。

 口が渇いている、足が震えて──


「……なんで、おまえが」


「──見つけた。あなた、だよね?」


 バスク・チーズケーキの正面、人混みを割って出現したリネン・ユーフラテスは灰色に染まった髪を揺らし、静かにチーズケーキへ人差し指を伸ばした。



「……は?」


 ──愕然とした。

 立っていた。少し焦げた服を着たままで、しかしそれ以外は無傷のままで。


「なんで、テメェが──」


 リネン・ユーフラテスが、立っていた。


 バスク・チーズケーキには、何が起こっているのか分からなかった。なぜ生きているのか、なぜあの包囲網から抜け出せたのか、なぜ──


「──わたしの法則、《触れるあなたの奥の底ドロソフィルム・イデア》は、わたしが穢れだと認識した概念なら、なんでも吸収できる」


 辛いけど。と付け足して、リネンは薄く笑った。


「だから、吸収した。あなたが他者に適用した“生物を爆弾に変形させる法則”そのものを」


 “あり得ない” チーズケーキの口を、そんな言葉が突いて出る。

 吸収? 適用した法則そのものを?


 リネンは、ただ思っただけだ。“自分とアプリコットを、二人だけの旅を邪魔するだなんて、法則とは、ああ、なんて──”


 なんて、汚らわしいのだろう。と。


「だがッッ!」


 チーズケーキは声を荒げ、両手を広げた。

 状況は絶望、なにが起こったのかさえ完璧には理解できていない。だが、だがっ!


「姿を晒したんじゃあよぉ、狙ってくれって言うようなもんだよなぁ!?」


 チーズケーキの法則 《とびちがひたるフライ・ファイア・フライ》は、生き物を爆弾へ強制的に変形させる。手で触れる必要もないし、一度対象の存在を認識すれば、視界に入れる必要すらない。

 だから、ここでもう一度やればいい。自動追跡爆弾をたんまりとこさえてやる。今度は逃さない、逃がせるわけが──?


「あ……?」


 手ごたえがない。周囲の人間に法則が及ばない。これは、及ばないというよりは、……


「──あなたの法則は……発光部位を持つ生物しか、対象にできない。でしょ?」

「ッ──!」


 そこで、バスク・チーズケーキは初めて態勢を崩した。それは、明らかに動揺の証、そのふらつきだった。


「光るカチューシャや、蓄光のリストバンドを身体の一部位だと解釈することで、人間を爆弾に変えてた……って、アプリコットが」


 法則は、本人の解釈の影響をもろに受ける。

 リネンたちがチーズケーキの法則を見抜いたのは、ほんの偶然だった。法則を吸収する際に、適応されていない人々を見つけた。ただそれだけ。


「……だから、外した」

「外したァ? ここを通ることになる全員を? そんなバカな話があるかっ! 第一、……」


 “第一、誰が、どうやって”、そう続けようとして、気づく。

 いない。一人いない。どうして気づかなかった? 動揺した。動揺していたからだ。マズい、位置を──


「クソッ……」


 端末は、既に捨ててしまっていた。咄嗟に懐に手を伸ばす。誘導蛍ガイドフライを用いてなんとか立て直すしか──


「──が、あ……ぅ」


 首筋に何かが。生暖かい、何かが。


「……俺の仕事は、暗殺です。暗殺でした」


 隠密行動はお手の物。それが人々の中に紛れ、人々が身に着ける物品をこっそり取り除くことだったとしても。


 チーズケーキの背後に立っていたアプリコットは、その首筋から釘を引き抜いた。


 血が、自身の服を赤く染めている。自分は負けたのだと、チーズケーキは理解した。歪む。なにもかもが歪んでいく。

 これまで、目の前で死んでいった者たち、もしくはこれから死ぬことになる者たちは口々に言った、“いつかおまえは醜く死ぬことになる”と。だが、チーズケーキはこれを因果だとは思わなかった。

 この世界に因果など存在しない。受けるべき応報はなく、罪は裁かれず、善悪で語れる事柄など存在しないからだ。


「……ほたる」


 既に手に力は入らなかった。自然と足は膝をつき、身体はゆっくりと倒れ始めていた。


「ほたる、ほたる、だ」


 幼い頃見た。田舎の、祖父母の家で。夕暮れのかすかな暗闇の中でその存在を必死に主張する蛍たち。

 もっと暗ければ、もっと数がいれば、その光はきっと綺麗に、優雅に見えたことだろう。だが、日はまだ沈み切っていないし、数も多いとは言い難い。チーズケーキがそれを見た感想は実にパッとしないものであった。


「もっと……眩く、光りゃいいのに……ってよ」


 それだけだった。それが最後で、それがバスク・チーズケーキの終わりだった。

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