『パミロア記』第46章14節「シャロシュと少年」

須賀雅木

第1話

 偉大なる大神の子、快楽に溺れる愚かな次女・シャロシュは、享楽の限りを尽くし、欲望の赴くままに堕落した日々を送っていた。酒場で一頻り交わっただけでは物足りず、下賤な者共を自らの御殿に連れ帰っていた最中である。シャロシュは薄汚れた少年が倒れているのを発見した。

「あら、あまり美しくない顔。瞳の色も宵闇より真っ黒で、目の下に星があるわ」

 シャロシュは獣の首根っこを掴むようにして少年の顔を見つめると、何を思ったか連れ帰ると言い出した。御殿を前にして帰るよう告げられ、妻のいる男はみっともなく情交を乞い願い、酒蔵の男は約束が違うと彼女を非難した。縋り付く門兵の青年から逃れ、シャロシュは御殿の自室に少年を連れ込んだ。

 「名は何と言うの」と問うと、「ヤオル」とだけ答えた。下僕共に言って湯浴みをさせ、適当な服を用意させた。ヤオルは何も答えなかった。シャロシュは自分と同じ豪勢な食事を与えたが、ヤオルは一つとして口にしなかった。シャロシュは「食べないの」と問うが、ヤオルは何も言わなかった。

 夜が明け、シャロシュは埒が開かない為、自室に少年を残して出掛けた。自室には書物とパラフォット*の盤を置いて行った。いつものように情欲のままに遊び歩き、いつものように夜更けに御殿に帰ってきた。つくづく堕落した女である。しかし、その晩は1人も連れ込んではこなかった。

 ヤオルは相変わらず、出された食事に口をつけていなかった。相変わらず、部屋の隅で膝を抱えていたが、いくつかの書物に手をつけた跡があった。手のつけられていない皿の果実をつまんでいると、ふと部屋の隅から腹のなる音が聞こえてきた。

「やっぱりお腹が空いているんじゃないの?」

「……お前はどうしておれを拾ったんだ」

 やはり答えないヤオルに皿を差し出すと、彼はようやく口を開いた。

「子供と一緒に居たら楽しいと思ったからよ」

「本当に愚鈍な女……」

「酷い口の利き方だわ」

 ヤオルは諦めたような顔で、シャロシュの顔色を窺いながら、恐る恐る皿の上の葡萄を一粒口にした。どうせこの女は馬鹿なので、無理に我慢をするより、与えられたものは受け取ってしまう方が得だと思ったからである。

「ヤオルの親はどうしたの、家は何処かしら」

「おれの顔は不都合だから、おれの目は不都合だから、一緒にいると不都合なんだ」

「こんな満ち満ちた世に、親が子を捨てるなんて酷い話、可哀想ね」

 シャロシュの他人事のような態度に、ヤオルは苛立ちを覚えた。美しく生まれ、豊かに恵まれた人間は、どんな乱れた行いをしようと恵まれたままなのに、不都合な姿に生まれただけで疎まれ捨てられる世が、満ち満ちている筈がないと思った。

 これからこの女の慰みものにされるのだと思うと、ヤオルは腹が立って仕方がなかった。傷つけてやりたいとすら思ったが、偉大なる大神の子を傷つけることは不可能であった。逃げ出してやろうとも思ったが、逃げ出したところで行く当てもなく、消えることも出来ないまま彷徨うだけである。

「私はもう眠るから、ヤオルも眠りましょう。さあ、ここに」

 シャロシュの自室には寝台が一つしかなかった。純白の大きな寝台に横たわり、シャロシュは手招きをする。娼婦の様に厭らしく、だらしのない姿であった。ヤオルは酷く不快だったが、しつこく呼び寄せられるので、泣く泣く従った。

 しかし、ヤオルが慰みものにされることは無かった。寝台の上で、シャロシュはただ眠っているだけであったし、ヤオルもただ眠るしかなかった。


*パラフォット:マス目の引かれた盤と宝石や果実の種子を磨いたものを使用して行う遊びだったとされている。


***


 目覚めたヤオルに、シャロシュは下僕に焼いた魚と肉を差し出させた。「肉と魚とどちらが好きか分からない」と喚くシャロシュに、ヤオルは肉を受け取った。悉く「何が好きか」などとシャロシュが問うてくるのが面倒だった為、ヤオルは「本を読むのが好きだ」と答えた。彼女が遊びに出掛けると、部屋には沢山の本が積まれて置いてあった。

 その日のシャロシュもいつもの如く淫行を繰り広げ、手始めに市場で引っ掛けた男たちと路地裏で事に及び、立ち寄った娼館で女たちと戯れた。一日中快楽を求めて遊び惚けたが、誰一人として御殿に連れ帰ることは無かった。

 シャロシュが自室に戻ると、ヤオルは本を読んでいた。ヤオルと食事を摂りながら、シャロシュは彼の読み終わった本を手に取った。

「植物の本を多く読んでいるのね。植物が好きなの?」

「別にそんなに好きじゃない」

「魚の本も多く読んでいるのね。じゃあ魚が好きなの?」

「別に」

 シャロシュはヤオルに問答する。いい加減嫌になってきたのか、ヤオルは苦い顔をした。

「そんなに聞いて何が楽しいの。楽しくないだろ、子供を拾ったって、何も楽しくなかっただろ」

「いいえ、楽しいわよ。私に魅了されないじゃない、貴方。だから面白いし、貴方が何に魅了されるか考えると楽しいの」

「変な女……」

「あら、また酷い口の利き方。私、大神の娘なのに」

 シャロシュは口を大きく開けて下品に笑う。ヤオルは無性にむかむかするのを感じた。いくら他人が指摘しようと、シャロシュは自らの品位のない行いを省みる様子が見られない。自分が大神の子であることを言い訳にして、笑っているのである。実に馬鹿馬鹿しく、頭の悪い女であった。

 その晩もまた、シャロシュはヤオルに同衾を要求した。ヤオルは仕方なく同意した。

「そういえば、子供には寝物語をしてあげなくちゃ」

 しかし、快楽にのみ従って遊び惚けてきたシャロシュが寝物語に適した話など知っているわけがないのである。

「ああ、私、何も知らないんだったわ」

「……じゃあおれが教える」

 ヤオルは歴史の本を持って寝所へ入った。ヤオルが本を読み聞かせるのを、シャロシュは横たわって聞いていた。最後まで読み終わるより先に、シャロシュはすっかり眠ってしまった。

 子供が大人に本を読み聞かせ寝かしつけるなど、正しい姿とは正反対である。シャロシュの他人のことを顧みない姿に、ヤオルは呆れ、一つ一つ反抗し指摘する気を失くしてしまった。

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