第2話
その後も、ヤオルは毎晩シャロシュに寝物語をした。ある日、シャロシュはヤオルに部屋を与えることを提案したが、どうせ毎晩同衾させ寝物語や本の読み聞かせをさせるのなら意味が無いと断った。
その他に、シャロシュは時折ヤオルとパラフォットをするようになった。これは流石にシャロシュの方が強かった為、子供のヤオルはむきになって何度か対戦を要求した。
ある日、パラフォットをしながらヤオルはシャロシュに問うた。
「おれを慰みものにしないのか」
「ええ」
「どうして」
「だって必要ないもの。そんなことしなくても、何故か貴方といる私は満たされているの」
シャロシュは答えた。訳が分からなかった為、ヤオルは呆れて溜息を吐いた。その回も、ヤオルはパラフォットでシャロシュに負けた。
「おれはパラフォットよりツオィド*の方が好きだ」
「じゃあツオィドの盤を用意しましょう」
夕餉の後、よくシャロシュとヤオルはツオィドをした。そして夜が更けると、シャロシュは決まってヤオルの寝物語や読み聞かせを聞いた。決まって最後まで聞く前に眠りに落ちた。だらしなく眠りこけるシャロシュの顔を見ながら、ヤオルは毎晩眠りについた。
相変わらず、夜が明けるとシャロシュは毎日御殿の外を遊び歩き、ハープ使いの少女と、牛飼いの青年と、木こりの老人と、気の向くままに交わった。しかし、陽が沈み始めると、遊びを切り上げて御殿に戻るようになった。
「もう帰ってしまうの」と踊り子の女が問い、「もう一回」と仕立て屋の青年が懇願すると、シャロシュは起き上がりながら「ヤオルと夕餉の時間なの、早く帰らなくちゃ」と答えた。
ヤオルは下僕に頼み、果実と蜜を用意した。そして、切った果実を皿に盛り付けさせた。
「新鮮な果実なのに、このまま食べないのは勿体ないわ」
「これに蜜を掛けるともっと美味しいんだ」
「あら本当に。食べ物なんて美味しければ何でも良いと思っていたけれど、もっと美味しくなるのね」
食べ物に蜜を使用すると、香りが増し味が変わるのである。林檎はより味わい深く、青葡萄はよりみずみずしく、檸檬はより香りが良くなる。魚を蜜に漬けてから焼くと生臭さが減り食べ易く、肉を蜜に漬けてから焼くとより柔らかくなる。
ヤオルは御殿の書庫にある本をたくさん読み、身につけた知識を活かすことを好んだ。ヤオルはある日、本を読んで料理をしたいと言い出した。シャロシュは自分の欲求に抗わない女である為、ヤオルがするなら自分もやりたいと言った。
羊肉を磨り潰しコカルツォ*の葉を千切ったものを混ぜ、唐辛子を練り込んだものを、魚の骨を沈めた湯に入れて煮る。人々はどの食材も適当に焼くか煮るかして食べていた為、このように手の込んだものを作るのは珍しかった。シャロシュは、彼女が好きなものを手あたり次第鍋に入れて煮込んでいた。
「あら美味しい。こんなに美味しいのなら毎日ヤオルが作ってよ」
「嫌だ。料理は楽しいけれど、毎日やるのは面倒だ」
ヤオルはシャロシュが作ったものを口にして、表情を歪めた。
「まずい! こんなにまずいものは初めて食べた」
「そうかしら。美味しいけれど」
「こんなのを美味しいと言う奴に、毎日食事を用意させられて堪るか。それにしても、本当にまずい」
その飯は本当にまずかった。甘いものと辛いもの、塩辛いものと苦いものが滅茶苦茶に混ざっていて、凡そ人が口にするものの味ではなかった。冬に昆虫の眠る柔らかな土の味に似ていた。
ヤオルはもう一口を口にして、笑いながら怒った。
*ツオィド:現代の双六に似た盤上遊戯とされている。穴の空いた瓶に宝石を9個入れ、それを振って出た宝石によって駒を進める。
*コカルツォ:現代のシソの祖先にあたる植物。風味が強く、魚や肉類の臭みを消す効果がある。
***
ある日、シャロシュが御殿に戻ると、ヤオルは部屋に花弁を広げていた。
「何をしていたの」
「花集め*だよ。庭の花弁を集めてきた」
「これはポインセチアね。私もやりたいわ」
シャロシュは徐に白い花弁を集め、獣の形を作り始めた。
「熊だ」
「違うわ、白くて可愛い猫よ」
「太くて逞しいから熊だろ」
「違うわよ、ほら、可愛いでしょう。だから猫なの」
シャロシュは珍しく不満そうに眉を顰めた。暫く同じようなやり取りを繰り返した後、ヤオルは段々馬鹿らしくなってきた為、彼女の意見に屈してやった。
シャロシュが「庭で遊んでみようかしら」と言う為、翌日は朝から庭に出て遊んだ。数十年ぶりに、シャロシュは外へ遊びに出なかった。庭の手入れは下僕に任せていた為、シャロシュは庭に咲く花の名前すら知らなかった。ヤオルは白い花を摘んで編んだ。
「これは何の花?」
「ユアニスティス*。シャロシュの顔は綺麗だから、ユアニスティスの花が似合うと思う」
「あら。顔を褒めてくれるのね。この間まで酷い口の利き方だったのに」
「お前の顔が綺麗なのは客観的な事実だろ」
ヤオルはユアニスティスにシロツメクサを合わせて花冠を編み、シャロシュの頭に乗せた。そして次は、黄色の花を摘んだ。
「私も花冠を作りたいのだけど」
「花冠の作り方くらい誰でも知ってるだろ」
「知ってたかもしれないけれど、忘れたわ」
シャロシュはヤオルが編むのを見ながら、花冠を編んだ。好きな花を好きなように合わせて編んだ為、派手なばかりで品の無い花冠が出来上がった。シャロシュはフウキンチョウから羽を一枚貰い、花冠に差し、ヤオルの頭に乗せた。色とりどりで派手な花冠が頭に乗ったヤオルは、困り顔で笑った。
水場で水遊びをした後、ルブリェンタ*をしたり、木に登って遊んだり、陽が沈むまで遊んだ。子供のヤオルはすっかり疲れた為、読み聞かせをしながらうつらうつらし、初めてシャロシュより先に寝入って、昼まで起きなかった。
シャロシュの外遊びの時間は、どんどん短くなった。短くなったとはいえ、殆ど毎日外遊びに出掛けては満足するまで相手をとっかえひっかえした。そしてふとヤオルを思い出し、切り上げて御殿に戻った。
ヤオルが御殿へ住まうようになって幾月か経った頃、初めてシャロシュとヤオルは御殿の外へ遊びに出掛けた。アルエラの丘で鳥と戯れたり、名も知らぬ野草を摘んで食べたり、花の蜜の味比べをした。
御殿にいる時は、パラフォットやツオィド、テュロ*をした。時折料理も行った。また、ヤオルは下僕に対しても気づかいをし、シャロシュが留守の間は床の掃除を行うなどした。床磨きをした日は、シャロシュが自分もやりたいと言い出した。シャロシュは床磨きが楽しかった為、夜通し床掃除をしようとした時は、ヤオルが「流石にもう眠たいからやめて」と言うまで続いた。
その日は、シャロシュとヤオルがまた御殿の外へ遊びに出た日だった。寝台の上で、シャロシュは疲れた様子のヤオルの頭を膝の上に乗せ、母親の真似事の様に髪を撫でた。
「ヤオルの顔をあまり美しくないと言ったけど、貴方は睫毛が長いし、唇の形も可愛らしいわ。黒い瞳も私の姿をとてもよく映すし、良く見るととても可愛くて、綺麗な顔ね」
「シャロシュの顔の方がずっと綺麗だ、だからそんなこと言われても嬉しくない」
「あらあら。私はヤオルのことが大好きだから言っているのに」
シャロシュは顔を膨らせたヤオルを胸に抱いて横になった。
「ヤオルに沢山寝物語をしてもらったから、私も寝物語が出来るような気がするわ」
シャロシュの寝物語はとても聞いていられないような拙いものだった。拙い寝物語を聞きながら、ヤオルは眠った。
次第とシャロシュが外遊びに行かない日は増えた。そうは言っても、外遊びに行けば手当たり次第に男も女も見境なく交わった。そして、夕餉の時刻が近づくと、楽しそうに御殿へ戻った。
その日は、昼餉を庭で摂ることにした。ヤオルは庭の木に登り、生っている林檎を二つ手に取った。シャロシュは純白の布を広げ、下僕たちに料理を運ばせた。
昼餉を終えると、シャロシュは無性に眠くなった為、ヤオルと木陰で休むことにした。幹に凭れかかると、シャロシュはヤオルを近くに寄せた。
「ああ眠たい。ヤオルもひと眠りしましょう」
「いいよ」
「あら、素直な良い子ね。大好きよ、ヤオル」
「うん、おれもシャロシュが大好きだよ」
ヤオルは微笑んで言った。微睡みながらシャロシュは微笑み、隣で横になったヤオルの頭を撫でた。
*花集め:散った花弁を集め、重ね合わせて形を作る遊び。花弁の濃淡で陰影を表現する。15章32節参照。
*ユアニスティス:神代に存在したとされる白い花。太陽光に当たると淡いピンク色が見える。傷みやすく、花弁を強く摘まむと溶けるように崩れ落ちたという。現存しない。
*ルブリェンタ:兎の皮の中に藁を詰めた球を投げ合う遊びとされている。21章4節参照。
*テュロ:形と種類の違う様々な宝石を積み上げる遊びであったとされる。指定された宝石を積み上げ、先に倒れた方が負けというルールである。17章36節参照。
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