大怪盗の受難 ~裏切りの時~
86式中年
大怪盗の受難 ~裏切りの時~
かつて、世界を股に掛けた大泥棒がいた。
仕事の際、燕尾服を身に纏ったその姿からスワローと呼ばれたその大泥棒は、世間を大いに騒がせた。何しろ予告状を被害者に送り、警察関係者及び民間警備の層をわざわざ厚くしてから犯行に及ぶ。狙うのは富豪ばかり。特に悪徳経営者や政治家、富裕層という一定の人間が妬み嫉みを抱くであろう相手だけ。そして世界各地の孤児院に、おそらくは盗んだものを換金したであろう現金を自分名義でばら撒くという、義賊と呼ぶには些かエンターテイメントに振り切った仕事ぶりだったのもある。
とは言え犯罪は犯罪。
ここ1世紀余りずっと国際指名手配犯であり、世界中から付け狙われているのだが一向に捕まる気配がない。変装の達人なのか、顔は当然、戸籍や名前から毎回違い、その本名や本性すら一切不明というのが余計に世間受けした。
そんな世紀の大怪盗であるスワローが今回の仕事に選んだのは、34.7カラットのピンクダイヤモンドはめ込まれたネックレスで、珍しい涙型であることから『貴婦人の涙』と呼ばれる物。持ち主はとある大企業の会長。派遣業を基軸に、次第に政界にも影響力を持つようになった政商だ。僅か1代で成り上がったのは良いのだが、その際に様々な人間を不幸に陥れた。政治にも口を出し、それが国家を衰退させる政策であったことから今や国民にも恨まれている。時折国内が不穏になると海外に逃げるぐらいには小物である。
そんな小男がネックレスなど必要ないのだが、資産運用の一貫で手に入れたのが『貴婦人の涙』だ。当時の円レートでお値段47億円。
安置されているのは小男の自宅ではなく海沿いの別荘で、元は古城だったのを国から買い取って増改築した見た目とは裏腹に近代化してある建物だ。
さて、そんなこんなでさくっと潜入したスワローはいつもと同じ様に分厚い警備を躱し、同じ様にさくっと『貴婦人の涙』を奪取。
ここまでは良かったのだ。ここまでは。
「―――!―――………!」
声にならない悲鳴が、階段の物陰に消える。その世に響くことのなかった押し殺した声の内容は―――。
(―――攣った!足攣った………!!)
割とシンプルなれど深刻な肉体エラーであった。
身を潜め、光学迷彩を起動させてじっとする大怪盗の胸中は、今や脂汗のスコールとなっていた。
『貴婦人の涙』を盗み出す際、後は逃げるだけだからと警報装置を作動させた。これも警備システムに仕込みをしていたので、撹乱を狙っていたのだ。その混乱に乗じて仲間の手引で撤収する算段だった。実際、差し替えた監視カメラ映像は今スワローが進んでいるルートとは違う方向を辿っており、現場と指令所の齟齬で警備は大混乱状態であった。更に警察と民間それぞれに別の映像情報を流しているので、撹乱としては上出来である。
後は悠々と逃げ出すだけと城の最上階まで来たのだが―――撤収ルートを進んでいる際に、よく知った気配を感じた。この騒ぎの中わざわざ人気のない場所に当て勘で来られる人間など、スワローは一人しか知らない。
ICPO捜査官―――タイドル・ラッキーだ。
その気配を察知した瞬間、スワローは即座に身を隠す選択をした。
そう―――あまりに即座過ぎて、身体が反応しきれず右脹脛が
(フィジカル………!フィジカルがおっさんには足りない………!!)
痛みに堪えながら、最上階の踊り場に置かれた樽の影に隠れ、念のために光学迷彩を起動させたまま様子を伺う。すると、最上階の扉が開いてタイドルが鼻歌交じりに現れた。
(なんであのバカがここにいるんだよ………!!)
背のひょろ長いコートを着込んだ金髪の阿呆面(スワロー主観)。若手の白人捜査官で、エリート揃いのICPOの中でしかし実力は案外そうでもない。単純な経歴を見ただけならば、スワローとてそれほど警戒しなかった。だが、その成績と言うか実績が余りにも酷すぎる。
曰く、見回りでたまたま銀行のトイレ借りたら強盗事件とかち合ってそのまま潜入、内部から突入隊を手引した。
曰く、人質立てこもり事件で膠着状態の最中、喉が渇いたからとコーヒーを買い出しに行き、その途中で何故か古井戸に落下。しかしそれが事件の建物に繋がっていて難なく侵入、犯人を単独確保。
曰く、爆破テロに巻き込まれたが瓦礫の隙間に埋まって生き残り、爆破直前に怪しい男の姿を見ていて顔を覚えておりそのモンタージュが事件解決の糸口となった。
あらゆる事件に巻き込まれるが、たまたまとか偶然で解決に導くその在り様から『ハードラック・タイドル』とか『悪運のラッキー』とか呼ばれている―――あくまで理路整然と、黙々と職人のように仕事を進めるスワローから見れば理不尽の塊である。
既に何回か仕事でかち合っており―――と言うよりもICPO上層部が『コイツの異能染みた悪運使えんじゃね?』という謎判断によるクソ人事―――その度にスワローは人知れず窮地に陥っている。
(コイツは毎度毎度なんてタイミングで………!!―――あたた!お、落ち着け!俺の拝復筋………!!)
痛みと理不尽に奥歯を噛みしめるスワローを他所に、気分良さげにタイドルは階段を降りてくる。
「いやぁ、最上階の眺めは最高だったな。なんつーか風光明媚っていうの?海沿いだから夜は真っ暗みたいだけど、昼間で晴れてると心が洗われるっていうかさぁ………」
独り言を呟きつつ降りてくるタイドルに、スワローは何故彼がここにいるのか理解した。
(サボってやがったコイツ………!!)
そんな奇天烈且つ不真面目な理由で足を攣るという理不尽に見舞われたスワローは、軽い目眩を覚えた。
「キャシーにもあの風景を見せてあげたいな。そしてそのまま………むふふ………」
(誰だよキャシー!知らねーよ!!)
ちなみにタイドルの職場の同僚(片思い)である。
胸中でそんなタイドルに突っ込みつつ、スワローは息を潜める。そろそろ階段の折返し。踊り場に差し掛かる。ここで気付かれなければ良い。これを躱し、最上階に出て、脱出だ。だからスワローは身を丸くしたまま微動だにしない。右脹脛はまだ痛い。これ多分運動不足だ。歳食って中年になって代謝が下がった影響か、若い頃の運動量では維持すら難しい。最近下っ腹も出てきた。多分ビール腹。身を丸くしてると肉が挟まって苦しい。前屈とか今できるかなと不安になる。寄る年波には勝てないことを痛感するスワロー(中年)ではあるが、それはそれとして現実を直視する。
タイドルがスワローの前を通過する―――。
「―――お!こっちもいい景色じゃーん!!」
(足を止めるな足を!さっさと行け!仕事しろ公務員………!!)
何とタイドル、ここで踊り場の窓から見える風景に目を奪われて足を止めてしまった。その左下僅か1mにスワローがいることにも気付かないで。気分は完全に観光客である。
(まずい。光学迷彩は近くでよく見ればバレる………!)
カメレオンが如く周囲の風景に溶け込む光学迷彩であるが、まだ未発展な分野でもある。故によくよく見れば人形に空間が歪曲しているように感じて、当然触れれば分かってしまう。
が、ここでタイドルの胸元の無線からノイズ混じりに銅鑼声の音声が響く。
『おい、C7!―――タイドル!どこにいる!?』
「げ。警部………」
タイドルは嫌そうな顔をして、軽く咳払いを一つ。
「こちらC7タイドル。どうかされましたか?警部」
『どうしたもこうしたもスワローが出た!「貴婦人の涙」も盗まれてしまった!!』
「本当ですか!?奴は今どこに!?」
『分からん!監視カメラの映像で至る所に出ているが、派遣した現場は居ないと報告してくる!!』
「あー………それ多分、監視カメラの映像ハックされてますね。多分、映っていない方に逃げてるんじゃないですか?」
『そんな馬鹿な!?』
(そんな馬鹿な!?)
警部とスワローの声がハモった。警部は自分たちが撹乱に惑わされるなどと。スワローはこんな阿呆面に策を見抜かれたと。因みにタイドルの勘である。この男、運と勘だけはいい。
『だが、しかし………。そう言えばお前は今どこに?』
「最上階です。―――スワローが逃げるならここだと思いまして」
(嘘をつけ嘘を!!いや俺は本当にいるけどね!!)
まさに嘘から出た真である。
『そうか………念のために聞くが、サボっていた訳では無いな?』
「そんな訳ありませんよぉ………!!」
(声が上ずってるぞ、若造)
スワローが半眼になるが、警部も同じく疑ったようで。
『本当だろうな………?』
「本当ですって!―――あっ!アレはもしや燕尾服!?スワローか!?」
『何ぃ!?』
(何ぃ!?)
こちらに全く視線を向けていないので気付かれては居ないはずだが、流石にちょっと動揺するスワローであった。
「警部!僕は今から調べに行きます!」
『おいちょっと待て!!』
「急がねば!通信終了!!」
『ちょ………!!』
一息に言い切って無線の電源まで落とすタイドルは、ふぅと大きく一息。
「何とか凌いだ。これでサボっていたことはバレない、よね?」
(バレてると思うぞー)
「後は適当に探しているふりして、勘違いでしたとか適当なこと言って煙に巻こう」
(最低だなコイツ!)
奉仕精神の足りない公務員を見下げ果てるスワローではあるが、タイドルは一応やった感を演出するために下階へと足を向けて去っていった。それをしばし見送って、戻ってこないと確認してから。
「―――はぁ………!痛かった………!!」
スワローは右脹脛を解しながら深く吐息した。光学迷彩のバッテリーも切れた。
「しっかし俺も歳かね。最近、本気で身体追いつかなくなってきた。昔はもっと動けたはずなんだが。最上階に来るまでの階段でも息切れしてたし………。そろそろ引退して本格的に次代に引き継ぐかねー」
安堵感から思わず中年の悲哀を独りごちるスワロー。しかも世襲制。何と彼には年頃の娘が居て、今は父の
「ん………まだ痛いが、動けるか」
右足を引きずりながら、スワローは最上階の階段を登る。
扉を開けたら海岸線の断崖を望める物見棟。頂上だ。その胸壁に手を掛けて、時計を見る。設定時間まで後2分。途中でのっぴきならないトラブルに見舞われたものの、何とか予定通り仕事は完了しそうだとスワローがほっとしていると。
「やっべー。タバコ忘れてたわ」
背後からタイレルがやってきた。
『あっ』
二人揃って目が合った。
「ススススススワロー!?」
「くっ………!」
認識した直後の二人の行動は速かった。お互いに懐から拳銃を取り出し、その銃口を向けて硬直。緊迫した空気が流れ―――。
「―――ふっ。やはり僕の推理は正しかったようだな?貴様はここから逃げると思ったよ」
「嘘つけ。眺め最高と言ってたくせに」
微妙な空気となった。
「全く、自分の才能が怖いよ。地上から50m、崖下の海面を含めると90m近いこの高さだ。普通の人間ならばここから逃げることはないだろうと―――」
「キャシーと一緒に景色見てむふふ、だったか?」
沈黙、後に。
「警部たちも普段偉そうにしている割には意外と間抜けだね。まぁ、僕ほどの捜査官なら―――」
「『何とか凌いだ。これでサボっていたことはバレない、よね?』」
「なんで知ってるの?ねぇ………!」
無論、一部始終を見ていたからである。
「だがこれで貴様もおしまいだな。今に警部も来るだろう」
「ほぉ、上手く切り抜けたと思うが?」
「甘いなスワロー。多分サボっていることはバレている!警部その辺の勘が鋭いから………!!」
「そ、そうか………あのセリフは現実逃避だったか………」
ちょっと涙目になっているタイドルに、甘引きしつつスワローの脳裏ではカウントダウンが始まっていた。
「それにしても、意外だな」
「何がだね?」
「いや、スワローの素顔がどこにでもいるようなおっさんで」
「特殊メイクだぞ」
「え?素顔じゃないの?ソレ」
「そりゃそうだ。お前は覚えてないのか?今回の件で協力している地元警官の顔だぞ、コレ。潜入するのに楽だったから」
「えっとぉ………」
覚えていないらしい。それを薄情なやつ、と思いながらその隙を逃さずスワローは唐突に発砲。
「あっ………!!」
放たれた銃弾はタイドルの拳銃、そのマズルに直撃し弾かれて宙を舞った。
「さて、私はこれにて失礼させて―――!」
そう言ってタイドルに銃口を向けたまま胸壁に登った瞬間である。
再び右脹脛が攣った。
「………っ―――――――――!」
叫びたかった。唸りたかった。だが我慢した。鋼の意志で痛みを押さえつけた。何故なら今、この瞬間はクライマックス。怪盗が宿敵を相手に勝利を飾り、派手に撤退する―――映像作品ならエンディング5分前。そんな中で、足が攣りました痛いですと喚くのは流石に情けない。
(根性ォ………!!!)
世の中を色々察して草臥れた中年であろうとも、いや、むしろだからこそ積み上げた美学というのがある。だからスワローは我慢した。眉をピクピクさせながら、最近頓に言うことを聞いてくれない身体に土下座する勢いで。
「何だ………?」
その間を不審に思ったのか、訝しげな視線を向けるタイドルに、スワローは手を探る。足が攣りましたなどという情けない姿を隠しながら、且つ意識を逸らせられるような一手を。スワローという大怪盗の幻想を壊さないような一手を。
そして、見つけた。
「ふっ………いや―――案外君は、私の良い宿敵になるのかもしれないな………」
「………!」
スワローは憂いの帯びた表情(痛みを堪えているだけです)で、身体をくねらせると(攣った右足を庇える位置を探ってます)右手で顔を隠すように覆い、左手で自分を抱くように置く(見つけました)という見る人が見れば中々香ばしいポーズを取る。
突然何を、と普通の人間は思うだろう。
だが。
(カッコいい………だと………!!)
それはタイドルの少年ハートにぶっ刺さった。
「だが今日の勝利者は私だ。―――次の奮闘を期待しているよ」
「待っ………!」
「アイ・キャン・フライ………!!」
直後、スワローは身体を後ろへ倒し(跳躍すると右脹脛が痛いから)、飛び込むようにして胸壁から落ちていった。慌てて下を覗き込むと、彼は燕尾服の両端を掴んで、さながらムササビの術のように空気抵抗を利用して滑空していく。その先にエンジンボートが待機しており、彼はそこに着地すると水平線を目指して去っていった。
「スワロー………お前は………」
世紀の大怪盗スワロー。それにライバル認定されたタイドルは戦慄きながら呟く。運と勘でしか評価されなかった半生で、正当に評価してくれたのが犯罪者とは皮肉なことだが―――。
「僕が、必ず捕まえてやる!!」
なんだか物語の登場人物みたいでカッコいいと思ったタイドルは取り敢えずソレに乗っかってみた。
単純な男である。
●
一方その頃、スワローの着地先のボートを手繰る少女がいた。年の頃なら16、7。長いアッシュブロンドを海風に靡かせる彼女は、振り向く事なくこういった。
「お疲れ様、パパ」
「―――ああ」
しかしパパ―――もとい、スワローは素っ気なく返事した。それを不思議に思いつつ、少女は尋ねを重ねる。
「上手く行ったのよね?」
「―――ああ、『貴婦人の、涙』は、懐にある、ともさ………」
「パパ?」
どうも様子がおかしい。まさか怪我をしたのか、と少女が心配して振り返ると確かに様子がおかしかった。スワローは三点着地のままで俯いて脂汗を滝のように流していた。
「ど、どうしたのパパ!?」
「う、運転に集中しろ!なるべく慎重に!!揺らさないように!!」
「は、はい!!」
慌てる娘に、スワローは檄を飛ば―――いや、懇願するような指示を飛ばす。その鬼気迫る父親に、娘はおずおずと尋ねる。
「大丈夫なの?パパ………」
「だいじょばない………」
情けないことだが、身内には良いだろうと判断してスワローは告げる。
「着地の瞬間、腰が………ぐにって…………」
「え?」
「腰を、やっちまったんだよ………!!」
今度は
どうやら、大怪盗の受難はまだまだ続くようである。
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