第14話 せんせー、頼みたいことがあるんですけどいいですか?

 このまま家庭教師として続けていいのか、と悩んでいる内に次の授業の日がやってきてしまった。

 いつものように大学を終え、重い足取りで陸目は杏奈の家へ向かう。

 そして前半の授業が終了しその休憩中、突然杏奈が目を輝かせて話かけてきた。


「せんせー、頼みたいことがあるんですけどいいですか?」


「頼みたいこと?」


「これなんですけど……」


 そう言って机の引き出しから引っ張たのは二冊の台本。


 これって……。


「台本の相手役してほしいんですよね」

「え、それはちょっと……」

「なんでですか」

「まだすることもあるし……」

「丸付けとかもとくにないじゃないですか」

「こ、後半の授業の準備とか……」

「そんなのすぐに終わるじゃないですか」


 どうにか台本を読まないように逃げ道を探るも、ことごとく先手を打たれその逃げ道が塞がれてしまう。

 自分に演技は向いていないとわかってしまったあの日から、「演技」というものを避けてきた。小学生のクラスで行う発表の時も、演じる必要のない裏方を率先して手を挙げたり、高校の時は受付として案内をしたり。


 自然と演技をするのが怖くなってしまったのだ。


 自分の惨めさを、晒してしまうから……。


 けれど杏奈はそんな思いも露知らず、真剣な眼差しで見つめてくる。


 あの頃から変わらない宇宙が宿る瞳。


 無限の可能性を秘めた、果てしない未来を創造するであろう光。


 ……自分を助けてくれた迷いのない、まっすぐな眼光。


 しばらく考えて。


「いいよ、でも休憩もちょっとしかないから少しだけね」


「やった……じゃなくて、はい! では、ここからなんですけど……」


 そうして渡されたのは、とあるワンシーンの部分であった。


 内容としては高校生の男子生徒が、気になる女子生徒に声をかける所。


 どんな話かまではわからないけれど、青春恋愛ものだろう。


 杏奈の出るドラマを見逃した事が無い陸目にはわかる。


 多分この台本はまだテレビでは放送されていない、製作中のドラマだと。


 現に表紙のタイトルの最後に(仮)との文字が書かれている。


 こんな大事なものを、自分が読んでしまっていいのだろうか……それに、ちゃんと演技できる自信もない。

 

 すると、


「せんせー無理にしなくてもいいんですよ? わたしのわがままですし」


 陸目の様子から察したのだろう。杏奈が申し訳なさそうな視線をくれる。


 でも、


「……大丈夫。ここからだよね」

 

「はい」


 心臓がどくどくと、緊張で高鳴る。

 

 手汗が滲んできた左手をぎゅっと握った。


 もしこれが、少しでも杏奈の助けになるのなら……。


 はっと思いっきり空気を吸って、息を吐く勢いの流れに任せて台詞を言う。


「なぁかなで、いま時間空いてるか?」


 ちゃんと言えただろうか……。


 奏は杏奈の演じるヒロインだ。


 杏奈は陸目の台詞を受け取ると、その目を台本に落とし、唇を動かす。


「うん。空いてるけど、なに?」


 ああ、やっぱ杏奈は凄い。たった一言で物語に引き込まれていくようだ。


 目の前には自分の知る杏奈はもういない。この物語の主人公だ。


「さっきの授業の時俺のこと見てなかった?」


「えーそうだっけ? もう忘れたよ」


「そんなわけないって。絶対に見てたよ」


「君は真面目くんじゃないんだね」


「え、どういうこと?」


「私の事気にして、黒板みてないじゃん」


「それは…………」


「それに私は外の景色を眺めてただけ」


「景色?」


「なんも話ないなら私帰るね。それじゃ、また明日」


「あぁまたあぢっ……また明日」


 最後の最後で噛んだ。


 だんだん自分の顔が熱くなっていくのがわかる。


 そして杏奈は、文字に落としていた視線をゆっくり上げた。


「はあぁぁぁぁ。やっぱこのキャラ、難しいなぁー」


 と思ったら、いつも通りの杏奈の姿に戻り、用意していたスルメを摘む。


 最近杏奈は親に頼み込んだらしく、休憩中にスルメを食べるようになった。


「そんなにキャラ難しいのか?」


「はい。今回の奏ってキャラ、恋心はひた隠しにしているんですよね。その演技が妙に難しくて」


 その言葉に、驚いた。


「瀬ノさんってなんでもできると思ってた」


「いくらわたしでも、できないものとできるものがありますよ。人間なんですから、そりゃあ悩みますよ。誰だって。うまくこの演技ができなくて、何回かリテイクくらいましたしね。現場に迷惑をかけるわけにもいきませんし」


 そうだよな、と誰しも当たり前のことに気付く。


 みんな悩みがあって当然なのだ。


 杏奈の演技に圧倒され、やっぱり自分の知りえない世界で生きているとわかって、こんな何もない自分が杏奈の担任を続けていいのかわからなくなった。


 自分を見失いかけていた。


 でも、そんなの思い上がりだった。


 なにより誓ったではないか。杏奈に恩返しがしたいと。


 見合う見合わないで頭を抱えている暇はない。


 今の、自分のことに集中しよう。 

 

 すると淀んでいた空が晴れ渡るように、心にわだかまっていた悩みが消えた。

 どこかすっきりとした、身体が軽くなったような気さえする。


「せんせーなんかすっきりした顔していますね」


「そ、そう?」


「はい。ついさっきまで、とても暗い顔していたので」


 と、杏奈はじっと陸目の顔を見つめる。


「えっと……顔になにかついてる?」


「いえ。いまの表情の方が好きだなって、思っただけですよ」


 ドキッ。思わず心臓が跳ね上がる。


 さっきのは発言はずるい。


「……にしても、せんせー演技できるじゃないですか」


「そんなに上手いもんじゃないよ」


 それに、相手が杏奈だったから、とは言えない。そっと胸の中の宝箱にしまっておこう。


「そうですか? もしかして、前に一度どこかで演技とかしたことあったり?」


「⁉ そ、そんなわけないよ?」


「ほんとです~?」


 訝し気に睨んでくる杏奈に、


「ちょっとトイレいってきてもいいかな?」


「あーはい。二階のトイレ今壊れているので下のを使ってください」


 逃れるように一旦その場から離れる。


 トイレはキッチン脇の通路にある。


 すぐに済ませ、手を洗った。


 もしかして杏奈は昔のことを覚えいたりするのだろうか?


 いやいや、そんなわけない。無駄に期待した分だけ、傷つくのは自分だ。


 二階に戻ろうとしたその時、ふと目に入ったゴミ箱になにやらくしゃくしゃになった紙があった。とくに気にすることでもないが、なぜか妙に気になる。


 マッキーで書かれたような、そんな線がちらりと見えた。


 妙な引っかかりを覚えながらも、もうすぐ休憩時間が終わるので陸目が足を急がせた。



 


 




 


 

 

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【2章突入!】新米家庭教師の俺、初めての生徒は人気子役の彼女。 手鞠凌成 @temsriryousei

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