第13話 わたしだけを、みててよ

「……せんせー、せんせーっ!」


「ん? なに?」


「なにボケっとしてるんですか」


 金曜日の休憩時間。杏奈が不満そうな視線をぶつけてくる。


「えっとなんだっけ」


 つい、考えごとをしてしまっていた。


「だから、映画どうでしたか?」


「うん、最高だったよ」


 ごろりと、腹の異物が傾き内蔵を押しつぶす。


 胃に鉄球でも入れたかのような感覚がする。それになるべく意識を向けないように、


「あ、そうだ」と別で気になっていたことを話す。「瀬ノさん、俺に渡したあのチケットなんだったの? あのチケット見せたらなぜかスタッフルームに案内されて、そのまま先頭と一緒に入場できて」


「あー……あれですか。あれ、VIP専用のチケットですよ」


 VIP? 陸目は頸を傾げる。


「つまり、関係者専用の特別チケットですよ。だから優先されたんです」


「……っていいのそれ。それだと関係者、っていうことにならない?」


「まぁーはい。そうなりますかね」


「それって大丈夫なの?」


「大丈夫ですよ。劇場スタッフなんて、そんな関わりないですし」


 そういう問題ではないが、睦目の中で一つの懸念が出てしまった。


 優衣についてだった。


 杏奈に渡されたチケットが関係者専用のものだと知った今、優衣にどう説明すればいいのやら……。


「せんせー?」

「ん?」

「あの、先生のとなりにいた女性、誰ですか?」

「……え?」


 思いもよらぬ質問に一瞬、脳の処理が遅れた。


「だから、女性ですって。隣にいましたよね?」


「…………あーーえっと、見えてたの?」


 あの距離から見えるものなのだろうか。


「わたしこう見えて眼、良いんですよね」


 と、自分の眼に指差しながら言った。


「ただの友達だよ」


「へー。せんせーの女性の友達いたんですね。なんだか意外です」


 杏奈がなぜか不機嫌そうに、ジト目で睨んでくる。


「せんせーって、意外とモテます?」

「モテたらとっくに彼女できてるよ」

「そりゃあそっか。つまりまだ、いないってことですもんね」


 と思ったら。今度は上機嫌に笑った。

 女子の心はよくわからない。

「ほらほら。無駄口叩いてないで授業の続きするよ」


「はーい」


   ※ ※ ※ ※



「では、失礼しました……」


 その言葉を、リビングにいるであろう母親に向かって告げてから、帰途についた。


 アパートに到着した陸目は部屋へ入り、大きなため息を吐いて、床に腰を落とす。


 自分の腹に手を乗せ、さすった。昨日からある自身への違和感、異物。


 陸目は、その正体についてなんとなく、知っていた。


 といよりもわかっていて、無視していた。

 家庭教師になってからゆっくりと、沈殿していったそれは、だんだんと陸目の全身を侵食していく。

 それは――紛れもない劣等感だ。


 久しぶりに本社へ訪れた時も、それを感じさせないように、ため息をこぼして、踏み潰した。


 あの杏奈の演技をみて、改めて自分とは違う世界を生きているのだと痛感した。


 やはり別次元の存在なのだと、気づいてしまった。


 昔、たった一度きり共演しただけに過ぎないのに、その時の感情が忘れられなくて、いつまでもその青いカバーのされた台本――『雪の小道、家族の墓』を残している。


 一つの思い出として残している人もいるだろうが、陸目にとっては杏奈と一番近くにいれた時間でもあったから……。


 あの日を思い出す。それはまだ、陸目が八歳のだった頃の話だ。


 小学校の帰り道、たまたま通りかかったコンビニで見つけたある雑誌。


 その裏表紙書かれた映画の一般出演者募集の文字を見て、母親に頼み込み、応募した。


 オーディションの末に陸目は選ばれ、『いじめる子供A』の役を貰うことになった。


 テレビの中できらきら輝く人達が羨ましかった。

 だから睦目も、そんな人達に憧れていた。やっと、同じ舞台に立てたのだと、興奮した。


 けれど抱いていた理想は、ただの夢物語に過ぎなかった。


「はいカット。んーもっとこう、虐めてる感だせないかねー」


 監督が苛立ちを滲ませた声を吐く。


 これで一三回目の撮り直し。


 全くと言っていいほどに、演技なんて出来やしなかった。


 虐めたこともないし、そもそもその気持ちも、感情もわからない。


 虐める相手は、当時五歳の瀬ノ杏奈だった。


 その時から、彼女は天から与えられた才能の片鱗が、見え隠れしていたかもしれない。


 自分よりも小さい相手に、刃物のような鋭利な言葉で、傷つけるなんて思いもしなかった。


 だから――無理だった。


 睦目と一緒に演じる、『いじめる子供B』『いじめ子供C』の子達は上手くて、本当に虐めているみたいで。


 失敗続きの睦目に、いよいよ他の役の子達の集中力が切れてしまい、一旦休憩ということで撮影を中断した。


 控え室では、一人椅子に座り落ち込む睦目をよそに他の一般枠の役者同士で盛り上がっていた。でも、その冷ややかな視線は、ちくちく肌を刺す。


 ――こんなものに応募するんじゃなかった、そう思ってしまった。


 その時「ねぇ、あなた、お名前は?」と、頭の上から声が聞こえた。


 顔を上げると、瀬ノ杏奈が見下ろしていた。


「桜山、睦目だけど……」


「えんぎ、にがて?」


「うん。にがて……かな」


 ここまで苦労するとは思ってもみなかった。


 睦目は目の前の少女に目を合わせる。


 彼女の瞳は宇宙だった。見ていると、どこまでも吸い込まれてしまいそうな、不思議な魅力に溢れている。ずっと、眺めていたい、と感じてしまった。


「君はすごいね、あんな上手にえんぎできて」


 すると彼女は、


「えんぎって、さくしゃさんのきもちをかんがえるのとおなじだと、おもうの」


 わかるようでわからない解答に、睦目は苦笑で返した。


「俺は……国語がにがてだから、難しいかもね」


「そうなんだ。じゃあさ」


 そこで彼女は奥のドアの方に向かって歩き出すと、ふいに立ち止まり、振り返る。



「わたしだけを、みててよ」



 と言った。


「君だけを……?」


 彼女は頷き、そのまま出ていってしまう。睦目は、その閉じた白い扉をしばらく眺めていた。


 一四回目のリテイク。


 教室に戻った陸目は位置に着く。いじめ役の子たちからの視線は冷たい。シーンは教室の隅に追いやりいじめされている杏奈に暴言を吐くところ。


 いじめ役の子は自分を含めて三人。照明は落とされ暗い。青いライトが暗雲に沈む四人を淡く照らす。これ以上の撮り直しはさすがに許されない。手汗が滲んだ、唇も震えている。喉もからからで唾を飲みこんだ。陸目は必死に落ち着かせようと、目を閉じ深呼吸を繰り返す。


「本番よーい」スタッフの掛け声が無慈悲に響き渡る。「スタート!」


 カチン! 


「お前ほんとくせぇんだよ。消えろ」


 右隣の子が目を大きく開き、動く口元を歪ませる。まさに悪者そのものだ。


「い、いやだぁ……」


 杏奈が顔を庇うように腕を前にやって、小さい身体をさらに縮ませる。


 発せられる声に恐怖と悲しみが滲む。

 演技が現実となって具現化したような感覚が陸目の鳩尾を穿った。


「いい加減にしろ。お前が給食費とったんだろうがよ。どろぼー」


 左隣の子が威圧感たっぷりに、棘を生やした言葉を杏奈に吐き捨てる。


「わたしは、やってない。わたし、じゃない、もん……」


 今にも泣きそうな、空気に消え入りそうな声音は場の空気に浸透し――支配した。


 もはや独壇場となったこの場では、全てが彼女に集約する。


 自分の番。陸目は台詞を言おうとして、止まる。頭が真っ白になった。


 なんて言うのか忘れてしまった。なんでこんな時にかぎって……思い出そうと、焦れば焦るほど不自然に空いた間が不協和音をかき鳴らす。


 やばい、ここでミスったら……罪悪感が足元から這い上がって来た、その瞬間。ある瞳が陸目を見つめている事に気づく。


 杏奈だ。陸目は、その眼差し受け……ふっと言葉が口を衝いて出た。


「……お前がやったに決まってんだろどろぼうーが……そんなに違うって言うんなら、死ね」


 嘘みたいに台詞が口から滑らかに流れる。役としてのキャラクターが、自分の身体に溶けて同化したようだった。気持ちがよかった。


 そうして陸目がポケットからカッターナイフを取り出し、刺そうとして――


「何やってんだきみたち!」


 背後から教師役である俳優が叫ぶ。


「やべ、逃げるぞ‼」


 右隣の背の高い子が喋り、これを合図に陸目たちは教室から尻尾をまいて逃げ出した。


「…………カット!」


 一気に空気は元に戻る。陸目は教室の前のドアから監督とその横に立つ人が話している様子を怖々と、眺めていた。そして――


「はい、オーケーです!」


 その言葉を聞いて睦目はほっと、胸をなでおろした。何度も失敗し、やっとの思いで山頂へたどり着いたような達成感が、全身の細胞を奮わせる。


 この時初めて、演技って楽しいんだな、と思うようになった。


 

 ――けれど、結局自分には、演技の才能はなんてなかった。


 子役養成所へ入り練習・訓練を重ねるようになった。ずっと嫌いだった国語を、少しでも杏奈に近づけるように頑張った。


 でも、思うように結果がでず、小学生を卒業する一歩手前で養成所を辞めてしまったのだ。


 初めての授業の時――もしかしたら、俺のこと覚えているのかな、と微かな希望を抱いた。


 でも実際は――あの様子では、覚えていないようで。そもそも初めて顔を合わせた日に覚えていたのなら、あんな発言はしないだろう。


 あの日――助けて貰った恩を、返せるかもしれない……。


 やっとそのチャンスを、家庭教師として、掴めたと思ったのに。


 

 このまま家庭教師として続けていいのか、わからなくなってきた。

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