瑞兆舞う

 発案は、エティエンヌの病が峠を越した、あの朝だった。


「おまえの声が力になった。神の一皿は、確かに私に勝利をもたらした……ありがとう」


 朝日の中、少しばかり力を取り戻したエティエンヌは、そう言って笑った。

 最後に勝ったのは、エティエンヌ自身の力だった。まともに食事も食べられなかった痩せぎすの王子は、いつしか死病に自ら打ち勝つまでに強くなっていたのだ。ルネの目頭はじんわりと熱くなった。おそらくは、隣に立つジャックも。

 今はゆっくりと養生させたかった。だが、休めと言ってやると止められた。


「できれば、この状況を有効活用したい。私の病については、城下にも敵陣にも噂が広がっていることだろう……何らかの計略を仕掛けたい」

「とは、いってもなあ」


 首をひねりつつ周りを見れば、前夜に供した麦粥の椀があった。刻んだ宵影草ナイトシェードが、底に数片へばりついている。不意にひらめきが降ってきた。


宵影草ナイトシェード。寝付きをよくする神聖植物だが、量によっては永遠の眠りへ誘う毒にもなる。そして、薬と毒の中間量でうまく調整すれば、『死んだように眠らせる』こともできる。これなら幸い在庫はある」


 その説明だけで、エティエンヌはすべてを察したようだった。


「眠るのはいいが、望んだ時に起きられるのか?」

「寝覚めをよくする金暁草ゴールデンドーン。そいつのマナで起こすことができる。あんたも執務時に使ったりしてたろ」

「ならば、それも在庫はあるのか……」


 柔らかな朝日の中、ルネ・エティエンヌ・ジャックの三名はすべての計画を立案した。

 必要な文書を用意し、敵陣へ斬り込む精鋭部隊を選抜し、不測の事態への備えを幾通りも想定し、最後にルネが宵影草ナイトシェードの茶を淹れた。

 白磁のカップに口をつける時、エティエンヌは静かに笑っていた。決意の裏に、隠しきれない緊張の色があった。

 やがて仮死状態になった身体を、ルネとジャックが棺に入れ「死化粧」を施した。つまり小麦粉を水に溶いて、霜熱病そうねつびょうの病巣そっくりの模様を描いた。とろみのついた粉を肌に塗りたくる時、ジャックは妙に嬉しそうだった。


「幼い頃、殿下が道化をおもしろがりましてね。顔に揃いの模様を描いてさしあげたことがあるのです。不意に、思い出しまして」


 従者殿に笑顔が戻ったのは、素直に喜ばしかった。

 もっとも、その笑いが続くかどうかは、作戦の進行次第ではあった。



   ◆



 貴族連合軍本陣。ルネとエティエンヌを守るように、儀仗兵姿の精鋭たち計六人が周りを囲んでいる。

 ルネは死装束姿のエティエンヌに、外套の下から出した麻袋を押し付けた。中身は金枝芋の揚物だ。


「食え。冷めてるがな」


 エティエンヌは無言で頷くと、中身を取り出し食べ始めた。手掴みでものを食う王子様、ジャックにはとても見せられねえな――とルネは思う。だが、今は気にしている局面ではない。

 眼前のベルナール・ド・アンジューは、当初の困惑から回復しつつあった。すさまじい目つきで王家の者たちをにらみつけ、指をさす。


「前提条件が崩れた? ならば、ふたたび充足してやればよいだけのこと」


 下卑た笑みを伴った、高い叫びがあがる。


「討ち取りなさい、エティエンヌ・ド・ヴァロワを! それで、すべてはあるべき状態に戻る!!」


 なだれ込んでくる敵兵へ、精鋭兵たちが一斉に火を放った。たちまち周りが火の海になる。

 ルネは掌を天高く掲げ、真上へ向けて炎を撃った。二発、三発。天高く上がった赤い光は、状況を伝える狼煙だ。

 さあ。あとは自分たちの仕事をするだけだ。

 火蜥蜴サラマンダーの炎が届く範囲は、大人の背丈の二、三倍程度。使い手が二人だけなら、戦場一帯を炎で包むほどの力はない。だが頭数が集まれば話は別だ。連れてきた精鋭兵六人は皆、備蓄の火蜥蜴サラマンダー肉を腹いっぱい食べている。ルネを加えて七人もいれば、敵陣の真っただ中に突破口を開くだけの火力は出せる。

 本陣を包む炎の海。矢継ぎ早に打ち出される幾筋もの火。敵兵たちは近寄れない。

 炎の輪の中央で、ベルナールはへたり込んでいた。傍らを乱れ飛ぶ炎の矢に腰を抜かしていた。さきほどまでの威勢が嘘のように、口をぱくぱくと動かしている。まるで泥水の中の魚だ。


「じゃあな」


 ルネは、掲げた手に力を集めた。なおも何事かを言おうとするベルナールへ向け、炎の槍をかたちづくる。

 無様に震える姿の向こうに、一瞬、懐かしい幻が見えた。白い軍服をまとった堂々たる偉丈夫。この国を覆う冷たい支配の元凶。かつて確かに「友」と呼び、呼ばれた者。

 鋭い眼光がルネをにらむ。おまえに私が掃えるか――そう告げているかのように。

 ああ、打ち払ってやるとも。おまえが遺した、なにもかもを。

 炎の槍を、振り下ろす。

 すさまじい断末魔があがった。精緻な刻印が施された革胸当てが、刺繍入りの黒い陣羽織が、炎に包まれた。



   ◆



 ベルナールを討たれ混乱する敵陣中を、ルネたちは王都城門へ向けて駆けた。いくら事前に腹いっぱい食べたとはいえ、火蜥蜴のマナには限りがある。尽きないうちに王都守備部隊本隊と合流する必要があった。

 炎で行く手を薙ぎ払いながら、進む。

 手筈通りなら今頃、ジャックがエティエンヌの「遺言」を、守備部隊と市民たちに伝えてくれているはずだ。


『我が愛すべき、王都ブリアンティスの市民たちへ


 我が病状について、心配をかけたことを深く詫びる。私の回復を願い、祈りを捧げてくれた者も多いと聞き及んでいる。すべての真心に深く感謝する。ありがとう。


 また我が安否について、虚偽の公表を行ったことも謝罪する。

 私は生きている。だが生きたままでは、敵陣深く侵入することは叶わなかった。従って私は、死を偽り敵の懐へ飛び込むことを決意した。

 市民たちよ、私は必ずベルナールを討ち果たす。彼の首級と共に生きて戻ってくる。

 ゆえに願う。

 戦える者たちは立ち上がり、私と共に戦ってほしい。

 戦えぬ者たちは、可能なかぎりにおいて戦士たちの手助けをしてほしい。

 私は命を賭して、未来への道を切り開く。願わくは後に続いてほしい。


 王都ブリアンティスの市民に、そしてフレリエールの国土と人民に、天の祝福があらんことを。


 エティエンヌ・ド・ヴァロワ記す』


 前方から鬨の声が聞こえる。白服の王都守備部隊と、黒服の貴族連合軍とが激しく戦っていた。白い方が押され気味だ。

 が、幾筋もの炎が黒服の背を射抜けば、形勢は逆転した。

 白服は色めき立ち、混乱する黒服を押し返し始めた。混戦の中、黒髪の青年がひとりエティエンヌへ駆け寄ってきた。ジャックだった。


「殿下! よくぞ、ご無事で――」


 顔をぐしゃぐしゃにして泣くジャックを、エティエンヌは優しく抱き寄せ、髪を幾度も撫でた。金枝芋のマナで黄金に輝く立ち姿が、聖者と見紛うほどに神々しい。

 とはいえ今はまだ、戦場の真ん中だ。


「再会を喜ぶのもいいが、まだ戦いは終わってねえぞ」


 言いつつ、背後の様子を確かめる。と、はるか遠方にうっすら砂煙が見て取れた。

 幾人もの伝令が、王都へ向けて馬を走らせてきた。うちの一人がエティエンヌに気付き、敬礼をする。


「西海岸の援軍、到着いたしました! 現在、貴族連合の後方部隊と戦闘に入っております!!」


 ルネとエティエンヌとジャック、三人で顔を見合わせ笑う。

 開戦前、エティエンヌは西海岸の諸侯と密に連絡を取り合っていた。取り交わした情報のうちには暗号表も含まれていた。すなわち王都包囲後、双方が連絡を試みる際に用いる合言葉だ。これにより、伝令が途中で敵に拘束された場合にも内容を漏らさずにすむ。

 暗号は時候の挨拶の形をとっていた。書き込む植物の種類が伝達内容を、数が時期を示す。

 たとえば以下の文言は「今日この時間」での「総攻撃」を意味している。


『晩秋の折、五輪の白い秋桜コスモスと、一輪の赤いダリアが風に揺れております』


 内と外から攻め立てられた貴族連合軍が、混乱のうちに瓦解していく。

 ルネは精鋭兵たちと共に、全力で味方を支援した。黒外套の下で大量に隠し持っていた、火蜥蜴肉の炙り焼きを食べながら。食べながら戦うのには、最初は少し抵抗もあった。だが戦場の熱気の中で、ささいな引っかかりは、すぐに消えてなくなっていった。



   ◆



 やがて、王都城門の周りから敵兵力は一掃された。

 数の上で依然優っているはずの貴族連合軍は、いまや完全に統率を失っていた。王都守備部隊と西海岸の援軍とに残存兵力の追討を任せ、ルネとエティエンヌは王都へ帰還した。

 門をくぐると、ふたりを迎えたのは市民の歓声だった。エティエンヌの名を呼ぶ熱い声、どこからか聞こえる祝福の歌声。エティエンヌは死装束のまま、手を振って応えた。

 だが不意に、ゆっくりと長身が傾いだ。抱き止めてやると身体が熱い。

 考えてみれば、病み上がりですらなかった。小康状態の病身をおして、無理に出てきたのだ。あれだけ激しく動いてしまえば、また体調は悪化しかねない。治癒の手段がない現実は、なんら変わっていない。

 市民へ笑いかけるエティエンヌを、肩を組んで支えてやりつつ、ルネは密かに途方に暮れた。


 不意に周りからどよめきが上がった。人垣が一斉に上を見ている。ルネも顔を上げた。

 王都の上空を悠然と飛ぶ姿があった。堂々たる炎の翼と尾をなびかせながら、ゆっくりと上空を旋回する姿を、かつてルネは見たことがあった。


「大いなる不死鳥フェニックス……」


 優れた王が現れた時、人々の歓喜に応えて姿を見せる瑞兆の鳥。人々の熱狂と興奮に包まれながら、ルネは不意に気付いた。

 身の内にマナが湧いている。いや、外から浴びせられている。

 大いなる不死鳥フェニックスが、マナを放散していた。食材が含むものと同じく、人がそのまま摂れはしないマナだ。しかし――

 ルネは、エティエンヌの身体をジャックに預けた。自由になった五体を、鳥へ向けて大きく広げる。


 ――マナをよこせ。癒しのマナを!


 神の料理人の本質は「マナと人を繋ぐ」ことだと聞く。ならばルネは浴びたマナを、人を癒す力へ変えられるはずだ。

 市民の声に応えるかのように、瑞兆の鳥は王都上空を長く飛び続けた。やがて鳥が去った頃、ルネの身の内には温かな力があふれていた。

 エティエンヌの身体をジャックから受け取る。しかと抱き締め、力を流し込む。


 ――おまえが呼んだ鳥だ。おまえが勝ち取った力だ。

 ――今度ばかりは、おまえのためだけに使ってもいいだろう?


 抱き返してきたエティエンヌの手に、確かな力が宿っていた。

 涙が、あふれてきた。

 ルネはさらに強く、背を抱く手に力を籠めた。市民の歓声は、尽きることなく天へこだましていた。

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