葬列出城

 予想通り、ベルナールからの返書は素早く戻ってきた。三条件の承諾が内容に含まれていることを確かめ、ルネは身支度を始めた。

 フレリエールの喪服は、位階や職業に応じて様々な形式があるが、貧民出身で料理人で王族の側近、などという複雑な立場にぴったり合う様式はない。ルネは侍従たちと相談のうえ、漆黒のフード付き外套を上から羽織る形を選んだ。本来は学者や書記官向けの装いであり、ルネの立場とはまったく合っていなかったが、「王家の参謀」扱いなら辛うじて大丈夫だろうという話になった。これがいちばん動きやすそうだった。

 黒外套を着込んで祈祷室に向かえば、棺の周りには既に儀仗兵たちが待機していた。顔ぶれは、生前のエティエンヌが既に選んであった。ヴァロワ家の白い軍服の上に、弔意を示す黒いマントが羽織られていた。

 兵に混じってジャックがいた。やはり白い軍装に黒の上着姿だった。ルネは執務室から持ってきた書状を一枚、ジャックに手渡した。


「最後の大仕事、頼むぜ」


 白手袋で覆われた手が、折りたたまれた紙をうやうやしく受け取る。

 エティエンヌが書き残した最後の一枚、すなわち王都の市民たちへ向けた伝言だった。ベルナールからの返書受領を受け、王子の死は正式に市内へ公表されていた。遺された言葉を、弔いに集まった市民たちへ伝える役目は、ジャックに託された。



   ◆



 儀仗兵たちを率いて城を出れば、大通りには既に人垣ができていた。多くの民は黒服や黒の喪章を着け、何人かは目元を拭う者もいる。時折すすり泣きが聞こえる中、ルネは顔を上げて歩いた。今はせめて堂々と、誇り高くありたかった。

 どこからか誰かの歌声が響いた。二人、三人と、続く者が現れた。声はやがて大合唱となり、沿道を包んだ。

 数日前、闘病中のエティエンヌにかけた言葉が、ふと思い出された。


(歌、聞かせてやりたかったぜ。あんたにもな)


 ルネは背後の棺へ向けて、心の中だけで呼びかけた。

 ――なあ、聞こえてるかエティエンヌ。

 ――これが、あんたへの想いだ。王都ブリアンティスの民が、あんたへ向けた真心だ。

 ――やっぱり今も、あんたには届いてないんだろうけどな。

 葬送の旋律が響く中を、ルネはゆっくりと城門へ向けて歩いた。

 心臓が高く鳴る。なすべき大仕事は門の向こうに待っている。ルネにとって、本当の戦いはここから先なのだ。



   ◆



 門の外に、黒服の兵たちが待ち受けていた。弔意ではなく、単に貴族連合の象徴色が黒だというだけだ。旗印も陣羽織も、彼らは常に黒い。

 隊長と思しき恰幅の良い男が、葬列の前を塞いだ。一礼し、ルネは静かに口を開いた。


「ルネ・ブランシャールだ。盟主ベルナール・ド・アンジューへ目通りを」


 男は微動だにせず、答えた。


「貴公が武装解除しておられる証拠はありますかな。『神の料理人』は神秘のマナを用いる。丸腰であるとしても、危険がないとは言い切れない」

「マナを用いるには神聖な食材が必要だ。包囲下で十分な食材の用意はない。それに、降伏の合意は既に成った。この状況で攻撃を行えば、ヴァロワ家は、卑劣な契約違反者との謗りを世の末まで受けるだろう」


 ルネはちらりと背後を見た。白木の棺は儀仗兵たちに守られ、確かについてきている。


「俺は、エティエンヌ・ド・ヴァロワの意思と誇りとを守るために来た。名誉を傷つけるためじゃなく、な。この棺にかけて誓う、俺は、降伏合意に反する一切の行為を行わないと」

「……承知した」


 一礼し、男が脇に退く。黒い兵士たちの間に、一本の道が空いた。

 黒い人垣の中、ルネは顔を上げ胸を張り、進む。痛いほどの異様な緊張が、身を包んでいた。



   ◆



 陣地の奥で、ルネは貴族連合盟主ベルナール・ド・アンジューと初めて相対した。

 ベルナールは精緻な刻印が施された革胸当てと、刺繍入りの黒い陣羽織とを着込み、ねばつくような笑みを浮かべていた。豪勢な服に「着られる」ことなく、華麗な装飾を自然に従えているのは、家柄のなせる業と言うべきか。だが、それだけの装飾を帯びていてさえ、身から漏れ出す下卑た欲望を隠しきれていない。


「よくぞ来られましたな。神の料理人よ」


 舌なめずりをしつつ、ベルナールはルネを値踏みするように見た。湿度を帯びた視線が、舐め回してくるようで気持ち悪いと、ルネは感じた。だが、気にしている場合でもない。ここへ来た目的は果たされねばならない。


「降伏文書記載の『物品』を、届けに来た。俺の身柄とエティエンヌの遺体、確かめるといい」


 儀仗兵が棺の蓋を開けた。無遠慮に覗き込みつつ、ベルナールは腰の剣に手をかける。


「待て」


 鋭い声で、止める。


「『遺体の尊厳を傷つけぬこと』は降伏合意に含まれる。エティエンヌにも当然適用されるはずだ」


 ルネは棺の傍へ寄り、エティエンヌを守るように立った。

 いやらしい笑いを浮かべ、ベルナールが剣の柄から手を離す。


「ならば貴公にも、合意の履行を求めましょうか。契約に基づき、貴公の身柄は私に譲渡された」

「ああ。こちらとしても、その認識だ」

「で、あれば。この場で宣誓を」


 ベルナールが、喪服姿のルネへ歩み寄った。手をルネの顎へ遣り、くい、と持ち上げる。


「跪き、誓いの言葉を。そして我が手に服従の接吻を。忠誠の証を捧げなさい、炎竜王の『王冠』よ」

「わかった。だがその前に、手も足もある『王冠』としては――」


 目の前の下卑た笑いを、ルネは正面から見据えた。


「――忠誠を誓う王が、どんな相手であるのかは知りたい。いくつか訊きたいことがある」

「離反せぬのであれば、構いませんよ」

「なら、まずは一つ目」


 問いつつ、身の内にふつふつと湧き上がるものがある。


「あんたは何のために、人を統べている」

「何のために、とは」


 明らかに小馬鹿にした風に、ベルナールは笑った。


「そのように生まれたからですよ。私は人を統べる家の者。ならば、役目を果たすのは当然でしょう」


 やはりな、とルネは感じた。この男、思っていた通りの人間のようだ。


「ならば、問いの二つ目。あんたにとって、民とは何者だ」

「導くべき者たち。愚かで、自らだけでは何もできない弱い者たちですよ」

「三つ目。民が危難に晒された時、身をなげうって救う覚悟はあるか」

「なぜです?」


 ベルナールは鼻で笑った。


「統べる者と統べられる者。両者を引き換える発想が、どこから出てきたものかはわかりかねますが……頭が失われれば手足も死ぬ。手足と頭を引き換えるなど、愚の極み」

「そうか。よくわかった」


 見極めた。すべて予想通りだ。


「あんたは、確かに……炎竜王の、ヴィクトールの後継者だ」


 自らのために、他者の犠牲を厭わぬ者。それこそが王のあり方だと、信じて疑わない者。

 これもまた、ヴィクトールの遺した幻影だ。

 心の中、ルネは呼びかける。間違いねえぜエティエンヌ。こいつは、俺たちが打ち払うべき存在だ。


「私を、王と認めたのですな。ヴィクトールの王冠よ」


 ベルナールが笑う。ルネは数歩後ずさり、白木の棺の脇に立った。中を覗けば、粉状の白に覆われた顔は、小憎らしいくらい安らかな笑みで眠っている。

 ルネは心の中だけで、動かない王子へ語りかけた。


(なあ。エティエンヌ)


 胸の内に湧くなにかの力が、増してくる。


(討つべき敵が目の前にいるぜ。寝てる場合じゃあ、ねえぞ)


 胸の上で組まれた手に、ルネはそっと自分の右手を添えた。

 軽く握って、身の内の力を伝える。


(言ったじゃねえか。勝つんだろ。あいつの遺した、すべてに)


 上から、左手も重ねる。

 胸に宿る想いのすべてを、送り届けるように。エティエンヌの両手を、強く握り締める。


(なあ、聞こえるか俺の声が。王都で待ってる、ジャックと市民たちの声が)


 掌からの力の流れは、やがて尽きた。数度、握った手に力を籠める。


(聞こえたなら――)


 ルネはちらりとベルナールを見た。

 こちらを見る目に、かすかな苛立ちが見て取れる。早く誓えと言いたいのだろう。

 まあ、そう焦んな。すべては今、終わる。

 すべての力を喉に籠め、ルネは叫んだ。


「――起きろエティエンヌ! 時間だ!!」


 声と共に、青い瞳が見開かれた。

 上体が跳ね上がる。

 白い花々が、弾かれて散る。カミツレが、白ゼラニウムが、白ダリアが、棺の外へ舞う。

 白い死装束をまとった、痩せた長身がゆらりと立ち上がった。乱れた金髪が、緩慢に微風に揺れる。

 棺を取り巻く儀仗兵――の装いをした側近の精鋭兵たちが、一斉に剣を抜いた。

 大笑いしつつ、ルネは寝ぼけまなこのエティエンヌに声をかけた。


「おはようさん。よく眠れたか」

「ここは――」


 言いかけて、エティエンヌはベルナールの姿を認めた。目に光が戻り、表情が強張る。


「久方振りだな。ベルナール・ド・アンジュー」

「何が……何が起こった」


 腹を抱えて笑いつつ、ルネは次なるマナを身の内で練り始めた。さあ、ここからが修羅場だ。


「まあ見ての通りだな。戦いはまだ終わっちゃいねえ」

「貴様らは既に降伏を受諾した。心得ておろうな、契約の不履行は永劫の恥辱」

「あんた、あれの正確な文言覚えてっか?」


 ベルナールは目を白黒させる。ルネとしても、彼が一言一句まで覚えているとは思っていない。


「書いてあったはずだぜ。『、我々は貴殿への降伏を受諾する』ってな。つまり――」


 ルネは思い切り口角を引き上げた。これほどの得意満面の笑い、一生のうちでも見せられる機会はそうないだろう。


「――エティエンヌが死去していなけりゃ、前提条件は崩れる。よって、続く文言はすべて無効だ!!」


 叫びつつ、ルネは半分自分で呆れた。我ながらものすごい詭弁だ。

 本当にこれで大丈夫なのか、ルネはエティエンヌに何度も確かめた。こんな無茶な理屈を押し通したら、ヴァロワ王家は末代まで詐欺師扱いされるんじゃねえのか、と。だが彼によれば大丈夫らしい。事前に通達した文言を字義通り遵守しているのだから、詐術にはあたらない。史官十人中十人が計略と解すだろう、と。お偉い方々の考えることは、やはりよくわからないとルネは感じた。

 ともあれ。ルネは棺から出たエティエンヌに肩を貸し、右手を高く掲げた。


「さあ。ぶちかますぜ野郎ども!!」


 ルネの右手と儀仗兵たちの左手に、一斉に赤い炎が宿った。

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