エティエンヌ死す

 四日が経った。

 ルネは麻の手提げ袋を手に、王都の街路を歩いていた。包囲は日常と化しつつあり、街路に人の姿は少なく、市場に店はまばらだった。基本的な食糧は配給制になっており、商われる品の数は大きく減っていた。先の見えない日々の中、あえて物を買う市民も少なく、開いている店にも客の姿はない。

 ルネは市場での探し物を切り上げ、住宅街へと移動した。並ぶ家々のいくつかには、植木の鉢が置かれている。庭に樹を植えている家もある。随所に見える植物の様子を、ルネは眺めて回った。


「何かお探しですか。『神の料理人』様」

「ん、ああ」


 声をかけてきた婦人に、ルネは訊ねた。


「このへんで、白い花を見てねえか。ちょっと入用でな」

「白い花……ですか」


 少し考え、婦人は街路の奥を指した。


「カミツレの花でよければ、この奥の家で少しばかり育てておりますよ」

「そうか、助かる。白い花が、急ぎでたくさん必要でな」


 麻の手提げ袋を、ルネは軽く掲げてみせた。袋の口では、白のゼラニウムやダリア、秋桜コスモスが何本か顔を覗かせている。とはいえ、中に余裕はまだあった。

 婦人が首を傾げる。


「白い花……どなたかのお弔いですか?」


 ――ああ、やはり訊いてきたか。

 ルネは声を潜め、自分の唇に指を当てた。


「すまねえが内密に頼む。ちょっとまだ、表にゃ出せねえ話なんでな」

「あの、もしや。エティエンヌ殿下が、先頃から病に臥せっておられると――」


 ルネが強くにらみつけると、婦人は黙った。

 少しうつむき、ルネはさらに声を潜めた。


「表にゃ出せねえ話なんでな。……くれぐれも他言無用で頼むぜ」


 息を呑む婦人を残し、ルネは街路の奥へと歩を進めた。

 奥の家でも同じ話をすることになるだろう。口止めをしたところで、人の口に戸は立てられない。

 すべては公然の秘密になりつつあった。



   ◆



 王城へ帰る頃、手提げ袋は白い花でいっぱいになっていた。敬礼する番兵たちの間を抜け、ルネは城内の祈祷室へと足を運んだ。

 ステンドグラスを抜けてくる光に照らされ、白木の棺がひとつ、部屋の中央に据えられている。傍らにはジャックが、主を守るかのように屈み込んでいた。


「持ってきたぞ」


 声をかければ、黒髪の従者は顔を上げた。


「ありがとうございます」

「これで、だいぶ集まったか」


 ジャックの手が、花の束を棺の中へ並べていく。全体の半分ほどを覆う花々の下に、ひとつの身体が横たわっていた。

 痩せ型の長身の上で、肉のない細い手が組まれている。手の上も、安らいだ表情で眠る顔も、見えるかぎりの肌はすべて、粉のような白で覆われている。白い花に囲まれた白い顔には、どこか神々しささえ感じる。しかし、鼻からも口からも呼吸は漏れておらず、閉じられた目も開くことはない。

 棺の中の人物――フレリエール王国第五王子エティエンヌ・ド・ヴァロワは、柔らかな光の下、静かな眠りについていた。


「街の様子は、いかがですか」


 花を並べ終えたジャックが、訊いてきた。


「まだ、知らねえ人間の方が多いな。とはいえ、俺の前では聞いてない風を装ってるのかもしれねえ。噂は、もうだいぶ広がってるだろう」

「敵陣には」

「間違いなく伝わってるだろうな。そろそろ潮時か」


 大きな溜息をつき、ルネとジャックはエティエンヌの執務室へと向かった。主のいなくなった机の脇に、書記官と何人かの高級官吏が控えていた。あらかじめ招集されていた関係者たちだった。

 官吏のひとりが一礼し、沈痛な面持ちで口を開いた。


「此度の件。……まことに、事実なのでしょうか」

「いまさら嘘ついてもしょうがねえだろ。エティエンヌ・ド・ヴァロワ、薨去こうきょす……俺たちから言えることは、ただそれだけだ」

「詳しい状況を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか」


 ジャックが一礼し、前に進み出た。


「亡くなられたのは三日前の朝でございます。かねてより患われていた霜熱病そうねつびょうが悪化し、早朝に容態が急変なさいました。そして、そのまま……昼頃に息を引き取られました」

「遺体は祈祷所に安置してある。今は公表の時期を見計らっているところだ……できれば内密にしておきたかったが、いつまでも隠せる話でもねえしな。で、だ」


 ルネは懐から、小さな銅の鍵を取り出した。机の一番上、鍵付きの大きな引き出しを開け、一通の書面を取り出す。


「報告したいのは、こいつの扱いについてだ」


 官吏たちの前に広げて示せば、一同は言葉を失った。それはそうだろう。王家のすべてを無に帰すに等しい内容なのだから。


「三日前の朝……あいつは眠りにつく前に、この文書を俺とジャックに託した。事実上、あいつの遺言と言えなくもねえ」

「この内容を……まことに、殿下がお書きになったと?」

「いまさら嘘ついてもしょうがねえだろ。これをベルナールに送れと、あいつは確かに言った」


 気持ちは理解できた。ルネもジャックも、この内容を心の準備もなく見せられたなら、うろたえるしかできなかっただろう。


『貴族連合盟主 ベルナール・ド・アンジュー殿


 我らが盟主エティエンヌ・ド・ヴァロワは、現在唯一生存するヴァロワ王家の継承者である。

 彼が死亡した場合、ヴァロワ王家の継承者は公式に断絶することを、我々は認めるものである。

 ヴァロワ王家が断絶すれば、王権の回復を目的とする我々の抗戦も、大義を失うことは言うまでもない。


 エティエンヌ・ド・ヴァロワの死去に伴い、我々は貴殿への降伏を受諾する。

 降伏に際し、我々は貴殿に、以下三条件の遵守を要請する。


 一つ、王都市民の身分と安全を保証すること。非戦闘員への略奪・暴行を厳に禁ずること。

 一つ、捕虜兵士への虐待・拷問を行わないこと。彼らもまたフレリエールの人民である。

 一つ、遺体の尊厳を傷つけぬこと。天へ召される者たちは、十全な身体で送り出されるべきである。


 上記への同意が確認され次第、我々は速やかに、王都ブリアンティスの武装解除を開始する。

 降伏の意思に相違なき証として、我々は二つの品を提供する。すなわち、エティエンヌ・ド・ヴァロワの遺体と、「神の料理人」ルネ・ブランシャールの身柄である。降伏の受諾が確認され次第、我々は、これらを速やかに貴殿へ引き渡すことを誓約する。


 フレリエールの国土と人民に、天の祝福があらんことを』


 文末に署名はない。託された者が書き込め、との意図だろう。

 青ざめた官吏たちが、文書とルネの顔とを交互に見つめる。


「ルネ様。あなたは……この文書を、本当に敵に送られるおつもりですか」

「俺としても本意じゃねえがな。だがこれが、エティエンヌの最後の意思だったのは確かだ」


 首を振りつつ、ルネは吐き捨てるように言った。


「これ以上持たねえってわかって、最後に考えたのが……自分と俺の身柄と引き換えに、王都の人間を守ることだった。何のために戦うのか、誰のために抗うのか、悩んだ末に決めたことだ。剣で斬り結ぶだけが、勝ちの形じゃねえってな……あいつらしいといえば、あいつらしい」

「ですが、我々にはまだ味方がいます。西海岸の諸侯と連携を――」

「西海岸方面には、別途書状を送っております」


 ジャックが別の書面を取り出し、官吏たちに示す。


『晩秋の折、五輪の白い秋桜コスモスと、一輪の赤いダリアが風に揺れております。いかがお過ごしでしょうか。


 此度、我々ヴァロワ王家は貴族連合への降伏を決定しました。仔細については、追って情報が届くことでしょう。これまでの友誼に感謝いたします。


 エティエンヌ・ド・ヴァロワ記す』


 三日前、ルネも確認した文面だった。


「三日前の未明、宵闇に紛れて伝令が発ちました。西海岸の諸侯へ向けて、この文面の写しを携えて。幾人かは捕らえられたかもしれませんが、幾人かは目的地に到達したでしょう。既に」

「そ、それでは、つまり――」


 ルネとジャックは、揃って頷いた。


「もう援軍のあてはない。俺たちに残った選択肢は、ひとつだけだ」


 ルネはゆっくりと口角を引き上げた。せめて最後くらいは、晴れやかに笑って締めたかった。


「いちばんいい喪服を用意してくれ。王冠として――いや供物として、務めは立派に果たしてやるからよ」


 官吏たちを促したが、誰も降伏文書に署名をしたがらない。しかたなくルネは、机から羽ペンを取った。

 主を失ったペンとインクは、「ルネ・ブランシャール」の名を、いやに黒々と紙の末尾に刻みつけてくれた。

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