祈りの椀

 天頂の太陽が西に傾きはじめるまでの時間をかけて、ルネは四羽分の不死鳥肉を刻み終わった。必要な水と炊き出し用の大釜とは、兵士たちが封鎖区域の広場に用意してくれているはずだ。道具の用意までは他人に任せられるが、ものが魔法料理だけに、調理工程を担当できるのは「神の料理人」ただひとりだ。他人の手伝いを頼めないのはルネにとって辛かった。ここまでの大掛かりな調理は過去にも記憶がない。

 考えてみれば、それもそのはずだった。これまでルネが魔法料理を供した相手は、毒見や不死鳥肉の効能試験を別にすれば、生涯を通してたった二人。ヴィクトールとエティエンヌにだけだ。これだけの大人数に向けて魔法料理を作るなど、少なくともヴィクトール即位以降には例がない。おそらくは古代にもなかっただろう。


「だとすりゃあ……これも、あいつを『殺す』ことになるのかね」


 刻んだ肉を布包みにまとめつつ、ルネはひとりごちた。

 正統の王の象徴として、「王冠」として、ルネはただひとりだけに皿を捧げてきた。だがヴィクトールが築いた権威付けは、今まさに崩れ去ろうとしている。いや、ルネ自身が崩そうとしているのか。

 それなら、それでいい。

 天地に満ちるマナが、国でただ一人の専有物だとは、考えてみればおかしな話だ。マナの恵みを必要とする人間が目の前にいるのなら、分けてやればいい。王の権威は失われるのかもしれないが。

 エティエンヌが「不死鳥肉すべてを予防に回す」ことを決めた時、そこまで考えていたかどうかはわからない。だが後で気付いたとしても、王の権威を手放したことを後悔などしないだろう。エティエンヌはそういう男だ。


「とはいえ、できるかぎり高く売りつけてやりたくはあるよな」


 ルネは、包み終えた肉を両手に提げた。長い眠りから覚まされた四羽分の肉は、ずっしりと重かった。



   ◆



 広場の前には、既に数十人の市民が列を作っていた。どの顔も不安に翳り、料理人姿のルネを縋るような目で見つめている。それはそうだろう。皆にとって、これから配られるスープには自身の命がかかっているのだから。

 中庭に据えられた大釜へ、火が入った。

 十分に熱が回ったのを見計らい、布包みを解いて一羽目の肉を投入する。細長く刻まれた薄紅のハム肉は、燻製の香ばしい匂いを漂わせつつ、みずみずしい脂を溶けださせてくる。何年も貯蔵庫で眠っていたものだとは信じがたい、豊かな肉の香りが辺りに満ちた。腹の虫の鳴き声が、いくつも重なって聞こえた。

 薄めてしまうのがもったいないとは感じつつ、鍋いっぱいに水を注ぎ入れる。脂で白く濁ったスープを、大杓子でかき混ぜる。申し訳程度の塩胡椒を振り入れ、一煮立ちさせれば命のスープの完成だ。


「『不死鳥肉のスープ』だ。これさえ飲んでおけば、霜熱病そうねつびょうが発症することはなくなるはずだ……だが配る前に、俺から言っておきたいことがある」


 ルネは、居並ぶ市民たちを見回した。

 不安に満ちた何対もの瞳が、ルネひとりを注視している。視線にはどことなく怯えを感じる。本当にスープはもらえるのか、どんな無理難題を要求してくるのか――などと、考えているのだろうか。


「言うまでもなく、不死鳥の肉は貴重品だ。普通の食糧さえ手に入りにくい今、これが手に入ったのは奇跡に近い……そして王子エティエンヌは、今まさに、霜熱病で臥せっている。俺の言いたいことがわかるか」


 民たちに動揺の波が広がる。ルネは声に力を籠めた。


「この肉を使えば、エティエンヌを治すこともできた。だがあいつは、自分でなくおまえたちを救うことを選んだ。つまりな」


 ルネは椀をひとつ手に取り、できたてのスープを注ぎ入れた。湯気の立つ椀を高く掲げる。


「これは、エティエンヌの命だ」


 配布待ち列の先頭にいた若い男を、ルネは強くにらみつけた。彼に何かがあったわけではない。ただ、そこにいたからだ。


「知っているだろうが本来、魔法料理は王にだけ許されたものだ。その掟さえ、あいつは捨てた。捨てて、おまえたちを守ろうとした。それだけの恩義を、あいつはただでくれてやるそうだ……すげえよな。すげえんだが、俺としちゃあちょっと納得がいかねえ。代価は払ってもらわねえとな」


 市民たちから嘆声があがる。どんな無理難題を吹っかけられるのか――どの顔にも、一様にそう書いてある。

 ルネは、眉間に籠めていた力をふっと抜いた。


「祈ってやってくれ。あいつのために」


 ルネは先頭の男に向けて、湯気の立つ椀を差し出した。


「今、あいつは病と戦ってる。おまえたちに、これを届ける代価としてな。だから、願ってやってくれ……あいつがまた、元気に立ち上がれるように。おまえらに顔を見せられるように」


 口角を引き上げ、できるかぎりの笑顔を作る。

 男がつられて、口元をほころばせた。両手が胸の前で組まれ、聖教会の祈りの印をかたちづくった。


「……エティエンヌ殿下に、天の祝福があらんことを。永遠の祝福と健康とが、その身にもたらされんことを」


 男の頭が下がる。

 静まり返った庭に、遠く鳴く鳥の声だけがかすかに響いた。さえずりが止んだ頃、男はゆっくりと顔を上げ、ルネを見つめた。これでいいですか――と、目が語っていた。


「ありがとう、な」


 ルネは男の手を引き、椀に触れさせた。

 満面に、今にも泣き出しそうな笑みを咲かせ、男はスープを受け取った。

 列の次にいた女が、進み出てきた。流麗な手つきで印を組み、エティエンヌへの祝福を高らかに告げる。ルネはスープを汲み、礼の言葉と共に渡した。

 繰り返される祈りと謝礼。やがてどこからか、澄んだ歌声が聞こえてきた。聖教会の頌歌だった。天の慈悲と恩寵とを乞う歌声は、またたく間に庭いっぱいに広がり、壮麗な合唱となった。

 聖なる旋律に包まれながら、ルネはスープを渡し続けた。ひとりひとりから「対価」の祈りを受け取りながら、ルネは時折、作業着の袖で目元を拭った。いつしか涙が滲んでいた。

 かつて無能と呼ばれ、惰弱と蔑まれ、己が従者にしか愛されなかった王子のために、歌声が重なり響いている。

 あいつのために、祈りが、歌が、捧げられている。

 ほどなく一羽目のスープが尽きた。二羽目のスープを作る間も、市民たちは頌歌を歌い続けていた。肉の香と歌声とに包まれながら釜を混ぜれば、あふれ落ちる涙が幾粒か、大杓子を伝って鍋に落ちていった。

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