予言の子

 二枚目の文章は、以下のようなものだった。


『ルネよ。

 おまえがこれを読む時、既に私はこの世にいないであろう。そしておまえは生きているはずだ。

 神の料理人は、仕える主を正しく選ぶ必要がある。王に権威と力とを与える存在が選択を誤れば、王家の、ひいては王国の崩壊に直結する。ゆえに以下に指示を残しておく。心して読むように。


 正しく王位が継承されていれば、次の国王は王太子ガブリエルであろう。彼に万が一のことがあれば、第二王子アルフォンス。さらに何かがあれば、第三王子オリヴィエ、第四王子エミール。いずれであれ、フレリエールの国王たるヴァロワ家の男子に仕えよ。王国と王家のためにその皿を捧げよ。私にそうしてきたように』


 ここまでは素直に理解できるものだった。

 だが、続く文章にルネの手は凍りついた。


『ただし唯一の例外がある。我が第五王子エティエンヌ、あやつにだけは仕えてはならぬ。国王として、最も強い言葉をもって、神の料理人が彼の者に仕えることを禁ずる』


 頭の中が真っ白になる。

 意図がまったくわからない。どういうことだ。狼狽しつつ読み進める。


『私は即位の折、予言の巫女と名乗る老婆から警告を受けた。私に五番目の息子が生まれることがあれば、その者は私が築き上げたすべてを崩し去るであろうと。

 得体の知れぬ者の根拠なき言葉など、長らく真に受けてはいなかった。だが実際に五番目の息子が生まれるに至り、かすかな疑念も生まれた。ゆえに私は息子たちの資質を試すことにした。


 息子たちに鶏の雛を与え、育てさせた。

 ガブリエルは従者に世話を任せ、その後は一顧だにしなかった。

 アルフォンスは、王子の仕事ではないと受け取りを拒んだ。

 エミールは三日と経たず飽きた。

 結局、与えた雛を育てられたのは、第三王子オリヴィエと第五王子エティエンヌだけだった。

 雛が十分に育ったところで、私は二人に、鶏を絞めてスープを作るよう命じた。オリヴィエは素直に応じ、鶏を自ら食すことも厭わなかった。一方でエティエンヌは私に取りすがり、鶏を殺したくないと泣いて懇願してきた。

 ゆえに私は判断せざるをえなかった。この息子エティエンヌは、私を脅かしうる、恐るべき危険な存在であると』


「なんだって……!?」


 思わず、声が出ていた。

 あわてて傍らのエティエンヌを見た。青い目は大きく見開かれ、脂汗が額に滲んでいる。固まった視線が、書簡の続きの部分に釘付けになっている。

 ルネは激しく混乱した。動悸がひどい。嫌な汗が流れるのを感じつつも、読み進めた。目が勝手に続きを追っていた。


『息子たちのうちで唯一、エティエンヌは優れた王の資質を持つ。私はそう確信するに至った。

 王として必要な性質は何か。諸説あろうが、私は第一に「守るべきものを守り抜く」覚悟だと考えている。自らの守護すべき対象を弁別し、いかなる危難においても守り抜く。それが王たる者の最重要な責務であり、使命だ。

 五人のうち三人は、守るべき対象を気にかけることすらなかった。

 残る二人のうち一人は、守るべき対象を守ろうとせず命令に屈した。

 この四人の才覚は並であろう。受け継いだものを守るには十分かもしれぬが、民を率いる者としての資質は欠いている。逆に言えば、既に築かれたものを脅かすだけの力もないはずだ。彼らでも国を率いてゆける体制を、私は既に整えた。

 だが残る一人は、守るべきものに慈愛を注ぎ、我が権威にも屈せず、守り抜こうと力を尽くした。この息子には、王の資質の片鱗が確かに垣間見えた。長じて後は、守るべき民に慈愛を注ぎ、強大な敵に屈することもない、英邁な王となるやもしれぬと想像ができた。

 だからこそ危険なのだ。

 長子であれば問題はなかった。だが第五王子が、身に備わった資質で民の支持を集めれば、長幼の序はたやすく崩壊する。かの巫女の「すべてを崩し去る」との予言も、現実味を帯びるであろう』


 震えが止まらない。

 ルネは、嫌な汗がとめどなく吹き出るのを感じた。エティエンヌは今どんな顔をしているのか。確かめようにも、ルネの目は文章の続きに吸いつけられて離れない。


『王家にとって男子は財産だ。除くことは考えられない。

 だが絶対に、王として目覚めさせてもならない。

 かの者が統治者として覚醒すれば、己が力を恃み、いつの日か王権の簒奪さえ目論むかもしれぬ。かつて私がそうしたように。


 ゆえにフレリエールの国王として命ずる。

 神の料理人ルネ・ブランシャールよ。第五王子エティエンヌ・ド・ヴァロワを、決して王と認めてはならない。

 かの者の資質を可能なかぎり封じよ。無能の子、惰弱の子として扱え。その身の内には、ひとかけらの美徳さえ存在しないと信じ込ませよ。

 ありえないとは思うが、不測の事態が起き、第五王子が王位を継承する状況になったとしてもそれは変わらぬ。万一の場合には摂政が立つ手筈になっている。従う相手は彼らとし、彼らの管理の下で皿を供すこと。決してエティエンヌ本人に仕えてはならない。信頼すべき摂政候補者を以下に記す』


 挙がっていた名は、みな故人だった。王都が陥落し、第三王子と第四王子が処刑された際に殺されたと聞く。


『国王として、私は守り抜く義務がある。父から奪い取り、おまえと共に立て直した、この国のありかたを。

 長き治世の間、障害となりうるものはすべて除いたつもりだ。反逆の心を抱く民、臣下、我に並び立ちうる力を持った将。ことごとく排除した。

 守成の代に引き継ぐため、あらゆる体制を整えた。

 ゆえに、私が築いたものは正しく継承されていくであろう。内から崩壊させる何者かが現れないかぎりは。


 ルネ・ブランシャール、我が友にして「神の料理人」よ。我が遺産を、おまえが正しく引き継ぎ守ってゆくことを、今はただ願う。

 繰り返しになるが、唯一の懸念たる第五王子エティエンヌにだけは、くれぐれも警戒を怠らぬように。


 紙幅は少なく、なおも伝えたいことどもは尽きぬが、ここで筆を置くこととする。

 私は冥王の御許にて、すべての行く末を見守っている。

 我が王国と友の上に、永遠の繁栄と栄光とがあらんことを。


 フレリエール王国国王 ヴィクトール・ド・ヴァロワ記す』


 目を通し終わり、ルネはおそるおそる傍らのエティエンヌを見た。

 蒼白な顔が震えていた。唇が動き、なにがしかの言葉を紡ごうとしている。けれど声は出ておらず、泥水で喘ぐ魚のように、息をするだけで精一杯のようにも見えた。

 何か言わなければ、とルネは思った。けれど言葉が出てこない。身の内にある言葉が、すべて真っ白に消し飛んでしまっていた。

 ルネは、エティエンヌの肩に手を置いた。できることを他に思いつかなかった。

 エティエンヌの手が上から重ねられた。同時に、肩が激しく上下に動き始めた。


「……の……」


 エティエンヌの声が聞こえ始めた。無理に絞り出したような、押し潰されたような、声だった。

 不意に、肩に置いた掌から手応えが消えた。彼が膝から崩れ落ちていた。

 涙混じりのくぐもった嗚咽が、響く。


「あんの……クソ親父……ッッ……!!」


 呻き声じみた、かすれ気味の、しかし明瞭な声だった。

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