統治の才
翌日午後、城内の大会議室に諸将が集まった。今後の戦略を決定する軍議だった。
顔ぶれは、ルネが霊山から下りてきた直後と比べて大きく変わりはない。味方は増えているが、最終的な意思決定は古参の者が行っていた。やや腑に落ちないものも感じつつ、ルネはエティエンヌと共に席に着いた。
「王都奪還に際し、まずは諸将の協力に感謝する。諸兄らの尽力なくして此度の勝利はなかった」
エティエンヌの挨拶に、諸将から拍手があがる。だが一同の表情は、戦勝にふさわしい熱をどこか欠いているように見えた。
会議は状況の整理から始まった。中立状態で様子を見ていた周辺諸侯たちの一部が、王都奪還後、ヴァロワ王家への帰順を申し出ている。一方で、貴族連合盟主ベルナール・ド・アンジューは事前に王都から脱出し、残存勢力の糾合を図っている。勢力の均衡は王家側有利に傾いているが、依然予断を許さない状況だ。
議題が、今後の作戦方針に移った。机上の地図を見ながらエティエンヌが口を開く。
「私としては、この機を逃さずベルナールを追撃し――」
「お言葉ですが殿下」
一人の将が身を乗り出し、話を始めた。
ずいぶん無礼な奴がいたものだ、と呆れる。即位前とはいえ、エティエンヌは王家の後継者だ。この場全員の主君にあたる。主君の言葉を遮って自説を述べるなど、こいつはヴィクトール相手でも同じことができただろうか。
だが周りの者は誰も止めない。将は何度も自分で頷きながら、滔々と話を続けた。
「連戦で兵は疲弊しております。今は兵士の休息と、回復した領土での統治確立とに力を注ぐべきかと存じまするが」
「私も同意見です。現在、貴族連合は力を失っております。我らが追撃せずとも、自然に瓦解するでしょう。いたずらに兵力を消耗するべきではございませぬ」
諸将の言葉に、少なからぬ保身の色がある。エティエンヌが、机の下で拳を握っている。
王子は諸将を見回し、ひとつ咳払いをして続けた。
「諸兄はいささか、ベルナールと貴族連合を過小評価しておられる。奴は優れた弁舌の才を持つ。弁論で諸国をまとめ上げ、諸勢力を糾合して王都へ攻め寄せて来られれば――」
「奴にそのような力はありませぬよ。西部諸侯も一枚岩ではない、そう簡単に利害をまとめ上げることはできぬでしょう。まして今のベルナールは敗軍の将」
一同が頷く。
「エティエンヌ殿下、あなたは敵を過大評価しておられます。父君のような勇敢さや知恵を備えておられたなら、決してそのような判断はなさらぬでしょう」
またか、とルネは唇を噛んだ。古参の諸将はエティエンヌと相対する時、頻繁にヴィクトールを引き合いに出す。そこに、父の影を追う「惰弱の王子」を意のままに操る意図があるのは、ずっと感じてきた。
今のエティエンヌは、たやすく操られることはないだろう。だが友として、助け船を出したくはある。
「あんたら本当にヴィクトールが大好きなんだな。だが、こいつはこいつでいいところがある。人間、誰しも性質が違う。違う人間には、なろうったってなれねえよ」
返ってきたのは露骨な冷笑だった。盟主エティエンヌには直接向けられない軽侮と悪意が、ルネに対しては直截にぶつけられていた。
「それでは困るのですよ、『神の料理人』殿。王には王らしい勇敢さと決断力が必要なのです。仮にそれらがない場合は、適切な臣下に委ねるのも王の器のうちです」
「こいつはこいつなりに、いい王様になると思うがね」
「はたしてそうでしょうか。この御方は――」
発言者が、横目でちらりとエティエンヌを見た。
「――鶏一羽さえ、殺せぬ器ですから」
ぎょっとして、ルネはエティエンヌの顔を見上げた。
仮面を張り付けたような無表情だった。かつてなら怒りに囚われ、顔を真っ赤にして震えていたはずだから、少なくとも胆力を増しているのは間違いない。だが、言い返すべき言葉も浮かんでいないのだろう。傍らではジャックが、沈痛な面持ちでうつむいていた。
居並ぶ将たちから口々に声が上がった。
「だからこそ、我らが
「ですからエティエンヌ殿下も、何も心配することはございませぬ」
軍の教官が不出来の兵を見るような、生温い侮りの空気が場に満ちる。
あらためて感じる。彼らにとってエティエンヌは都合の良い操り人形なのだ。自分たちの意のままに動かすため、エティエンヌの自尊心を、己の力への信頼を、徹底的に潰そうとしている。
何をどう言えば彼らを黙らせられるのか。ルネに知恵は浮かばなかった。弁論も軍略も学んでいない身が、ひたすらに恨めしかった。
それでも、何かはしてやりたい。
ルネは、机の下で握り締められたエティエンヌの拳を、右手でそっと包んだ。軽く力を籠めてやると、整った横顔は目だけでちらりと俺を見た。
そうして、ほんの少しだけ口角を上げた。
大丈夫だ――と、言われた気がした。
◆
結局、貴族連合の追撃は行われないことになった。自室に戻ったエティエンヌは、寝台に腰掛け、ぐったりと肩を落とした。丸まった背を、ルネはゆっくりと撫でてやった。
ジャックが香草茶を淹れてくれた。鎮静を促すカミツレの甘い香りは、沈んだ空気を払うにはいささか力不足だった。
エティエンヌの手はかすかに震えていた。白磁のカップと皿が細かくぶつかり、ちりちりと音を立てた。憔悴しきった横顔が、一息に茶を飲み干し、疲れた表情で首を振る。
何か言わなければ。香草茶に口をつけつつ、必死で考える。
「……よく、がんばったな」
それしか言葉が出てこない。
疲れた顔の、口角だけが上がった。自嘲交じりの笑い声と共に、青い目が伏せられる。
「予想はしていた。初期から私に従ってきた諸将は、王都以東に領土を持つ者ばかりだ。自領の奪還以外に、もとより関心はなかったのだろう。追撃には遠征費もかかるうえ、彼らに益があるわけでもない」
「だからって、あの態度はねえだろうよ……仮にも王位の継承者に向かって」
「いつものことだ」
エティエンヌは大きく息を吐いた。
「すべては私に、王としての力がないため。私に父のような力があれば、このように侮られることもなかっただろう……王家直属の兵は、もとより多くはない。だから、諸侯をまとめあげる力量がどうしても必要だ。それが私にはない」
肩を落とすエティエンヌを見ていると、いくつもの疑念が湧いてくる。
その「力量」というのは何だ? 将たちの求める「統治の才」とは何だ? 何をどうすれば、エティエンヌ・ド・ヴァロワは王として認められる?
少なくともルネの目からは、今のエティエンヌは、弱い男にはまったく見えない。昨日は民の心もしっかり掌握していたように見えた。何がまだ足りないのか。
「あんた、立派にやってると思うがな」
茶を啜りつつ、極力さりげなく、さも当然のようにルネは口にした。
「少なくとも『王冠』の力は、立派に使いこなしてる。リヴィエルトンでもベルフォレでも、ここ王都でも、あんたが陣頭に立って力を使ったからこそ、俺たちは勝てた」
「魔法の力は王権の証だ。見せなければ意味がない」
「その判断ができる時点で、さらに実行に移せる時点で、あんたは立派に王の器だ。少なくとも俺の目にはな。他の連中に伝わってねえのが不思議で仕方ねえ」
「それは――」
ジャックが薬草茶を注ぎ足す。満ちたカップをエティエンヌは一息で呷り、首を何度も横に振った。
「――いままでの印象が、あまりに強いのだろう。十年以上の間、私は弱く無能だった。少なくともそう言われ続けてきた。刻みつけられた印象を覆すのは、容易ではない」
例の鶏の話か。
どうにも腑に落ちない。名まで付けて可愛がった生き物を殺せないのは、人として理解できない気持ちではない。どうしてヴィクトールは、それを理由に幼い我が子を貶め、軽んじるような真似をしたのか。
ジャックが薬草茶を注ぎつつ、いつもの人好きのする笑顔を浮かべた。
「殿下はずっとこうでしたから。孤立無援のまま、憂いを吐き出す相手も私以外になく……ただ」
大きな目を細めつつ、ジャックは深々とルネに一礼した。
「幼少のみぎりからお仕えしてきた身としては、私のほかに話相手ができて、大変喜ばしいと思っております。どうか末永く、殿下をよろしくお願いいたしますね」
頭を下げるジャックに、どう答えていいかわからない。喜ばれるのは嬉しいが、未来の王となるべき人間に、親しい味方が二人だけとは。
何か言おうとエティエンヌを振り返れば、空のティーカップを前に、憔悴した横顔が力なくうなだれている。疲れ切った本人を前に、厄介事をあげつらう気にもなれず、ルネはただ黙るしかなかった。
◆
夕暮れを前に、ルネは王都の市場へ出かけた。魔法食材の調達はギヨームに任せているが、料理はひとつの食材だけで作れはしない。従来は調味料や香辛料の調達も任せきりだったが、王都に入城した今、できるかぎりは自分の目で見て選びたい。
通りの両脇に立ち並ぶ屋台を見て回っていると、不意に視線に気付いた。幼い女の子が、物欲しそうな顔でルネを見上げている。物乞いかとも思ったが、木綿の服は清潔でほつれもない。
「どうした」
声をかけると、女の子ははにかんだ表情でうつむいた。
「……パン、ありがとうございました。おいしかったです」
先日の配布の折、この子も来ていたのだろうか。さすがに人数が多すぎて、いたかどうかは思い出せないが。
なおも何か言おうとする子を、親と思しき男女がたしなめた。子の手を引き、しきりに謝罪する。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、神の料理人様」
「いや、かまわねえよ。だが――」
ルネはちらりと城に目を遣った。
「――あれを用意したのはエティエンヌだ。感謝するなら、あの王子様に頼むぜ」
片目をつぶり笑いかけてやれば、女の子も満面の笑顔で返してくれた。
長年にわたって植え付けられた印象を、一朝一夕に覆すのは難しいだろう。だがこうして、少しずつ民の支持を得ていけば、あるいは。
少しばかり希望を見出しながら、ルネは親子の背を見送った。
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