黒い稲妻

 エティエンヌと二人、街道の真ん中に立ち、正面遠方のベルフォレ東門を望む。

 遠目にも惨憺たるありさまだった。壊された投石器や破城槌の残骸が、街道を塞ぐように転がっている。石畳が血で染まり、無数の石や折れた矢が散乱している。

 負傷者を守りつつ、兵士たちは徐々に後退していた。街道を退却する兵士たちが、横を駆け抜けていく。

 ふたりは固唾を飲んで敵の出方を窺った。敵部隊が追撃に出てくればよし、出てこなければ、いままでの犠牲は無意味に終わる。

 呼吸も忘れて見守るふたりの前で、城壁の大門が開いていく。


「ルネ様」

「ああ」


 城門が開き切るのを待たず、ルネは両掌を眼前に掲げた。

 開いた城門の内に、敵部隊の姿が見えた。狙い通りだ。あとは身の内のマナを、正しい時点で正しい相手に浴びせるだけ。

 街道の真ん中に立つふたりに、敵が気付いた。弓兵が弦を引き絞り、狙いを定めてくる。


「正統なる王に反逆する者たちよ――」


 若干うわずった声で、エティエンヌが宣言する。

 ルネは、身の内のマナを掌に籠めた。痺れるような冷たい力が、全身から湧き立ってくる。


「――己が行いを悔い、我が前にひれ伏すがいい!」


 エティエンヌが叫ぶと同時に、ルネは力を解き放った。

 漆黒の稲妻が、城門へ向けて走り抜けた。軌跡の上で、敵兵が一斉に弾き飛ばされ地へ倒れた。

 言葉にならない叫び声が、押し潰されたような呻き声が、無数に重なり響く。

 絶叫は、城門の上からも聞こえた。弓矢の攻撃は止んでいた。

 苦悶の声の中、ルネとエティエンヌは開け放たれた城門へ駆けた。護衛の兵が数名、遅れてついてくる。

 コカトリスのマナ「畏怖」。コカトリスの一睨みが人をすくみ上がらせるように、コカトリスのマナもまた、知性ある生物に恐怖を呼び起こす。抵抗の気力を完全に失わせるほどの強烈な怖れだ。かつ、マナをいちど浴びてしまえば、恐怖は数時間持続する。

 言うまでもなく、戦場で使えば強力無比だ。難点は調達費用の高さと、マナが届かなければ意味がないこと。

 今回に関しては後者が問題だった。いかに畏怖のマナが強力とはいえ、門を閉じた城内に外から送り込むことはできない。ゆえに何らかの手段で門を開けさせる必要があった。

 門ひとつ開けるために、どれだけの犠牲が必要だったか。考えれば気が遠くなるが、いま考えても仕方がない。ルネとエティエンヌにできるのは、散った命を、負わされた傷を、無駄にしないことだけだ。

 門内へ侵入し、ふたりは城壁を上がる階段を探した。衛兵たちに畏怖のマナをごく軽く浴びせつつ、見つけた狭い石段を上る。

 城壁の最上部に立てば、眼下一面にベルフォレの街が広がっている。白漆喰に赤い煉瓦の屋根が、街路に沿って整然と並び、中央にはひときわ高く中央庁舎の尖塔がある。貴族連合の旗が翻る三角の屋根へ向けて、ルネは掌をかざした。


「いくぜ」


 エティエンヌが無言で、横に掌を並べる。

 ベルフォレは小さな街ではない。全体を恐怖で包むには、一人分ではマナが足りない。エティエンヌと併せ、二人分の力がどうしても必要だった。

 だが、すべてはうまくいった。エティエンヌは十分に食べ、マナを蓄えてくれた。門は開き、ふたりは今ここにいる。街のすべてにマナの影響を与えられるなら、リヴィエルトンでの「本陣の誤認」などという失敗も繰り返さずにすむ。

 ルネは身の内すべてのマナを呼び起こし、掌に集めた。傍らのエティエンヌからも、満ちる力を感じる。

 ひとつ目配せをし、頷き合い、重ねた掌を掲げ、ふたたび正面へ向き直る。

 青い空を裂くように、ふたりは黒い稲妻を放った。

 吸い込まれるような黒が走り抜け、尖塔で弾け、宙に散る。

 一瞬遅れて、ぞっとする気配が前方から漂ってきた。マナが炸裂した中央庁舎から、ここは大きく離れているはず。それでいてこの悪寒、計り知れない力だ。

 エティエンヌは用意していた杉の葉束を取り出し、石畳の上に積んだ。ルネが火を点けた。

 白い煙がまっすぐに立ち上る。「制圧開始」を指示する狼煙だった。



   ◆



 ついてきていた護衛兵に火の始末を任せ、ふたりは城壁を降りた。

 市街地を進めば、広がっていたのは、戦前にルネが恐れていた光景だった。


「これ、は」


 エティエンヌがうめく。

 死の街と呼ぶにふさわしい有様だった。街路のそこかしこに黒服の兵――すなわち貴族連合に属する敵兵の身体が横たわっている。はじめそれらは死体に見えた。だが、よく見れば小刻みに手足が震えていた。恐怖に支配され、身体を動かすこともままならないのだろう。

 動けない者たちを、白服の味方兵たちが無造作に運び去っていく。倒木や瓦礫を回収するかのように、手つきはぞんざいだった。

 中央庁舎方面へ進めば、街の様子は悪い方に変化していった。将のひとりが兵士たちを監督し、人々を広場に集めていた。白服の兵が運び出し、中央広場に集めた人――というより人の身体には、兵士だけでなく非武装の者たちまでが交じっていた。どれも目は虚ろで、手足は震え、口をだらしなく開けて虚空を見つめている。

 ルネでさえ、振るった力が空恐ろしかった。エティエンヌは――力を渇望しつつも、奥底に慈悲を秘めたこの王子は、今の光景をどう見ているのか。

 また数人、民間人が運び込まれてきた。老婆と、年端もゆかぬ幼子だった。いずれをも、兵士たちは無造作に地面に転がした。小麦粉の袋でも、もう少しは丁寧に扱われるだろう。


「やめろ!」


 エティエンヌが叫んだ。


「この者たちはフレリエールの民だ。守るべき人々だ。粗雑に扱うことは許さない」

「だが反逆者ですぞ。反逆者と帰順者が同等の扱いとなれば、王の名において公正を欠きまする」


 監督の将が口を挟んできた。

 エティエンヌは唇を噛んだ。だが一瞬の後には、瞳に強い光を取り戻していた。


「兵士たちに関しては確かにそうだろう。だが、市民については――」


 少し考え、エティエンヌは続けた。


「――市民は行政や軍に守られる存在。個人に投降の意思があったとしても、支援なしに単独で実行するのは難しかっただろう。まして今回、『黒い稲妻』が炸裂したのは一瞬。態度を決める余地などなかった。そこも考慮すべきではないか」


 額にわずかに浮いた汗が、懸命な思考を物語っている。

 だが、将の表情は変わらない。


「お言葉ながら、それはいささか寛大に過ぎるかと。お父君――ヴィクトール陛下は、決してそのようなことをなさらないはずですぞ」


 エティエンヌが肩を震わせた。同時に、ルネの胸中にも不快な澱みが沸いた。「ヴィクトール陛下は」――従来少なからず、エティエンヌの判断に影響を与え続けている一言だ。

 彼は今回も揺らぐのか。

 ルネはおそるおそるエティエンヌを見た。だが表情に迷いの色はない。決然と相手を見据え、怯む様子もない。


「考慮すべきは、先例でなく現状だ……フレリエールの王権において命ずる、捕虜となったベルフォレ民を、我らの民として丁重に扱え。粗雑な扱いは、我が名において許さない」


 安堵した。

 少なくとも今、エティエンヌは操りの糸を自ら切った。自らの魔法で苦しみを与えた人々への慈悲が、見栄や力への渇望を抑え込んだ、ように見える。

 やはり彼の奥底には、しなやかで強い慈悲が眠っている。それこそが、惰弱と呼ばれたこの王子の本質であるようにルネには思えた。

 なおも不満そうな将に向けて、ルネは口を挟んだ。


「こいつの名で不足なら、ヴィクトールの『王冠』の名も足してやるぜ。忘れんな、いま『王冠』はこいつのものだ……あんたでも、他の誰のものでもなく、な」


 ルネはエティエンヌの肩を優しく叩きつつ、納得いっていない風の将を全力でにらむ。

 将が、またもなにかを言いかけた時だった。

 中央庁舎方面で大歓声が沸き起こった。見れば尖塔に、ヴァロワ王家の「竜と双剣」の旗印が高く掲げられていた。

 同時に伝令が駆けてきた。


「ベルフォレ市長と副市長の捕縛を確認。市街の制圧完了いたしました。つきましては皆様、作戦行動が完了次第、中央庁舎へ参集いただきたいとの由」


 将の表情が、いやにすっきりと晴れた。


「一同で合議いたしましょうか。道理がいずれにあるか、話し合えばおのずから明らかになりましょう」


 何度も頷きつつ、将は中央庁舎へ向けて去っていく。後ろ姿が見えなくなったあたりで、エティエンヌは周りの兵士たちへ声を張り上げた。


「尊厳をもって民を扱いなさい。少なくとも、この命令が取り消されるまでの間は。これは私の、王子としての命令だ」


 兵士たちは渋々ながら、横たわる身体たちを助け起こしはじめた。その様子を確かめた後、ふたりもまた中央庁舎へ向かった。

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