切られた糸
中央庁舎へ向かう石畳の道は、やはり苦悶の呻きに満ちていた。膝を抱えて震える衛兵、泣く気力さえなく虚空を見つめる親子。この地の攻略に「コカトリスのマナ」を選んだ理由のひとつは、魔法による直接の犠牲者を出さないためだった。だが、民間人も含めた人心には消えない傷が残った。ある面では、兵力の犠牲よりも酷なのかもしれなかった。
エティエンヌの表情は沈痛だった。揮った力の結果に、自ら怯えているようにも見えた。
彼の手を、ルネは強く握った。
「よくやった、な」
返事はなかった。王子の横顔が、小さく横に振られた。
「魔法のことじゃなくてな。……よくぞ言ったな、民を守れと」
横顔が、再び横に振られた。
「魔法による恐怖が、ここまでの辛酸を与えるものだとは……これ以上の苦しみを与えることは、本意ではありません」
沈んだ声に、罪の意識をはっきりと感じる。
「そう思える時点で、あんたは立派に王者の器の片鱗を持ってる。ちょっとは自信持ちな」
握った手に力を籠めつつ、ルネは確信した。やはり、この王子様は広く噂されるような惰弱の輩ではない。もしも噂通りに柔弱な性質なら、諸将の圧にあえて逆らうことなどできはしなかっただろう。
少なくとも彼は、己がなすべきことを自覚し、実行に移すだけの判断力と胆力を持っている。
そうなればますますわからない。暗愚でも
釈然としないものを抱えつつ、ふたりは中央庁舎へ急いだ。
◆
中央庁舎の会議室には、既に五名ほどの将が集まっていた。残りは戦後処理の指揮をとっているとのことで、ふたりが上座に着席すると同時に会議は始まった。目的は現状の共有と、街の管理方針の策定だった。
まずは現状の共有。中央庁舎を中心に広域拡散したマナの影響で、ベルフォレは街としての機能を完全に停止した。マナの恐怖はあと一、二時間程度で回復すると思われるが、守備部隊および衛兵隊の完全無力化はそれまでに十分可能である、との報告だった。
概ね認識通りだ。だが問題はここからだ。
将の一人が発言した。
「ご存知の通り、ベルフォレ以西の大街道には、王都ブリアンティスまで大規模な要衝は存在しておりません。進軍を続けるにせよ軍備を整えるにせよ、この街での統治体制は非常に重要です。反乱はなんとしても避けねばなりません」
座の一同が頷く。ここまでは全員の認識が一致している、が。
「従いまして私としては、不満分子の徹底的な抑え込みを提案したく。貴族連合に加担した兵士および住民は厳格な監視下に置き、騒乱の芽を未然に潰しておくべきでしょう」
エティエンヌの顔が、見る間に強張った。
「厳格な監視とは?」
「なにも処刑せよとは言っておりません。所定の施設に収容し、兵士たちの監視下に置いて行動を制限する。現状、城下で行っておることとなんら変わりませぬよ」
「人々の家も生活も奪うのか?」
「彼らは反逆者です。反逆者と帰順者が同等の扱いとなれば、王の名において公正を欠きますぞ」
青い目を憂いがちに伏せつつ、エティエンヌはあくまで落ち着いた様子で首を振った。
「一時的に貴族連合の支配下にあったとはいえ、彼らもまたフレリエールの民だ。その措置は酷に過ぎる。守るべき民を虐げることが、はたして王のありかただろうか」
諸将の間にざわめきが広がる。当惑混じりの、どう聞いても好意的ではない声色だ。
「エティエンヌ殿下、やはり貴方は未熟でいらっしゃる。ヴィクトール陛下であれば、この場でなすべきことを正しく理解されたであろうものを」
ざわめきに、かすかに侮りの色が混じり始める。
継ぐべき言葉を考えているエティエンヌに、ルネは助け船を出すことにした。
「なあ、あんたら」
満座をにらみ回しつつ、ルネは皮肉めいた声を作った。
「あんたら、ことあるごとにヴィクトールの名前ばっかり出してきやがるけどよ。ヴィクトールが正しいってことを、いったい誰が証明できる」
「少なくとも、人格者の誉れ高い王子殿下よりも、王者の責務を正しく理解しておられたのは間違いないでしょうな」
向けられた露骨な皮肉を、受け流す。
「本当にそうか?」
ルネは意識して口角を引き上げた。不敵な笑いがかたちづくられた。
「俺は、あいつの最後の十年くらいは見てねえけどよ。俺がいた頃、炎竜王様は既にちょっとおかしくなりかけてたぞ。あいつも人間だ、年を取って衰えれば間違いもする。
「では、あなた様は――『神の料理人』様は、エティエンヌ殿下の仰ることがすべて正しいとお考えですかな?」
「言ってねえよ。何度も繰り返させんじゃねえ、人間だれしも間違いはあるし神様じゃねえ。完全に正しい奴も全部間違ってる奴も、いねえよ」
「で、あれば。何を基準に『神の料理人』様は正誤を判断されるのですかな」
満座の注目がルネに集まる。好奇と侮りがないまぜの視線を受け流しつつ、ルネは答えた。
「俺が正しいと思うかどうかだ。言った奴がヴィクトールだろうがエティエンヌだろうが、他の人間だろうが関係ねえ。俺は、俺自身の心に従うまでだ」
「さすが、高貴な生まれの学のある御方は仰ることが違いますな」
身の上の話を持ち出されても、ルネは平然としていた。何十年も王宮で生きるうちに、この種の侮りにはすっかり慣れた。
「お褒めどうも。どっちにしろ、この場で決定権を持ってるのはエティエンヌだ。他の誰でもねえ」
ルネは横を向き、エティエンヌを見据えた。既にこちらを見ていた青い双眸と、目が合う。
「と、いうわけだ。判断しろエティエンヌ。決めるのは俺でもこいつらでもねえ。おまえだ」
痩せた長身が、びくりと震えた。
大きな決断をすることに、彼はおそらく慣れていない。冷遇されてきた第五王子が、なにかの決定権を持たされる機会など多くなかっただろうから。ゆえに、これまでは思い通りに操られてきたのだろう。ヴィクトールの名さえ出せば容易に操縦できる傀儡として――盲従か反発でしか反応しない駒は、諸将が掌の上で転がすにはさぞ便利だったことだろう。
だが、彼が本気で王になるなら、それでは困る。誰かの都合でいいように使われる王など、他の者にとっては害毒でしかない。
ともあれ。下される決定を、ルネは固唾を飲んで見守った。
うつむいてしばらく考えた後、エティエンヌは一本にまとめた髪を揺らしつつ顔を上げた。
「……厳格な監視下に、おくべきだと考える」
ようやく出た言葉に、ルネはぎょっとした。満座の将からは安堵の息が漏れる。
エティエンヌはまた、操りの糸に絡め取られてしまったのか――ルネの動揺をよそに言葉は続いた。
「ただしそれは、守備兵と衛兵隊に限った話だ。戦闘要員でない一般市民については、戦前と変わらぬ生活を保証する。収奪も差別も禁ずる。それこそがフレリエールの王としての、民を守る責務だと考えている」
ルネは、気付けば拍手をしていた。
会議室に落胆と困惑が満ちる。重苦しい空気を払うように、ルネは手を叩き続けた。
エティエンヌは、憑き物が落ちたように薄く笑っていた。
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