森の街ベルフォレ攻略戦
翌日、ヴァロワ王家の軍勢はリヴィエルトンを発った。次の攻略目標は、森の街「ベルフォレ」であった。
ベルフォレ近郊に張られた陣中で、ルネとエティエンヌは作り置きしていたコカトリスの
エティエンヌの食事量は劇的に増えてはいなかったが、以前よりは食べてくれるようになった。なにより喜ばしかったのは、魔法料理に対する緊張が表情から抜けたことだった。完食しなければ、という気負いが解消されたのだろう。
できればこのまま、自身の能力や人格への自信もついてくれればとルネは思う。だが、次の戦がエティエンヌの心情をどう変えるか、予想はできない。
勝てるとは思う。マナの使いどころさえ間違わなければ。
ただ今回のマナ――すなわち「王の力」のもたらす結果が、エティエンヌの内に眠る相反する感情へどう作用するか、ルネにはまったく予測ができない。慈愛の情と力への渇望が、真逆の方向に暴れ出す可能性もある。
この戦が、栄光と歓喜に満ちた勝利とならないことは、既にわかっていた。
◆
森の街ベルフォレは、王都へ向かう街道の要衝にある。
東方からの街道と、南北を走る別の街道がここで合流する。広葉樹の森を切り開いて作られた城塞都市は、物流の要衝でありつつ、東西南北の大門が閉ざされれば鉄壁の要塞と化す。難攻不落の都市ではあるが、ここさえ抜ければ、王都ブリアンティスまでの間に大きな障壁はない。重要な一戦なのは誰の目にも明らかだった。
決戦の日。
朝日と共にベルフォレへ向かった使者は、陽がまだ東の山々を離れないうちに戻ってきた。エティエンヌは本陣の天幕の中で、差し出された書簡の封蝋を細い指で割った。
「ベルフォレ市長より回答を受領した。かの者らは、我が慈悲深き降伏勧告を拒否し、無為なる抗戦を行うとの由。従って我は、ベルフォレ市長に対する宣戦をここに布告する!」
諸将の歓声が上がる。伝令が辞去してしばらく後、先遣隊がベルフォレ東門へ進軍を開始した旨の連絡が入ってきた。
報告を受けるエティエンヌの表情が暗い。ルネは、鎧をまとった彼の背中を強く叩いた。
「これから勝ちに行くって時に、どんよりしてんじゃねえよ」
「……ですが」
言いたいことは分かる。今発った先遣隊は囮だ。敵を倒すのが目的でなく、むしろ倒されるための部隊だ。
事実上彼らには、死にに行けと命じたようなものだ。罪の意識があるのは理解できる。
エティエンヌは、やはり父親と似ていないと感じる。ヴィクトールは、勝利のためなら多少の犠牲も厭わなかった。傍で見ていて恐ろしくなるほどに。
「あいつらの戦い、活きるかどうかは俺たち次第だ。活かす気があるなら腹くくれ」
何度か軽く、肩を叩いてやる。エティエンヌはぎこちなく笑った。
ほどなく幾人もの伝令が、戦況を伝えに駆け込んできた。
「先遣隊、ベルフォレ東門にて敵守城部隊と交戦中。敵投石部隊・長弓部隊による損害多数」
「攻城用投石器、二基損傷。破城槌、一基中破。部隊長より、攻城作戦の継続判断が要請されております」
予定通りの展開だった。
攻城戦は、普通に攻めれば攻撃側が圧倒的に不利。あえて強行突破を仕掛けるなら、少なくともそう見せかけているなら、必然の損失だ。
「いかがなさいますかな。エティエンヌ殿下」
本陣の将軍たちが、総指揮官たる王子を一斉に見つめる。
「できれば、自軍の損害は最小限に留めたい。先遣隊に退却を――」
「そう、うまくいきますかな」
ひとりの将が口を挟んだ。
「開戦から、まださほど時間は経っておりません。今の時点で退却を始めれば、敵は計略の存在を疑うでしょう。そうなればすべては水の泡です」
「いましばらく待てと?」
「いいえ。むしろ、兵力を追加投入すべきでしょう」
エティエンヌが物凄い形相で、将をにらみつけた。
「さらに犠牲を重ねよと?」
「初期攻撃が激しければ激しいほど、敵はそれを真正と思い込みます。兵の犠牲はやむを得ぬ対価。作戦の成否がかかっている以上、いま手を緩める理由はありますまい」
何か言おうとするエティエンヌを、続く言葉が遮った。
「ヴィクトール陛下であれば、必要な犠牲をためらうことはなかったでしょうな」
エティエンヌが言葉を呑み込んだ。
集まる視線の温度が、一気に冷えるのをルネは感じた。場の全員が、この王子を品定めしているように見えた。自らの意思で動く王権の保持者か、あるいは操りやすい傀儡なのか、と。
「……追加兵力の投入を」
エティエンヌの表情が、険しい。
「追加部隊は先遣隊と合流し、ベルフォレ東門への攻撃に参加せよ。撤退を指示するまでの間、攻撃の手を緩めることのなきよう」
伝令が四人、駆け出していく。
単体で勝ち目のない攻城戦を、どこまで続ければいいのか――すべてはエティエンヌの意思次第。兵の命を種銭にした大博打、どこで切り上げるかを委ねられた総大将は、険しい表情で伝令の背を見送った。
◆
伝令が矢継ぎ早に駆け込んでくる。
「破城槌、完全に破壊されました。部隊の損害も甚大です」
「攻城用投石器、三基破壊。運用可能数、残り一基となっております」
前線がはっきりと壊滅状態に陥っている。さすがに潮時だろう。
エティエンヌを見遣れば、憂いに満ちた横顔からいくつも溜息が漏れている。天頂の太陽は、そろそろ西に傾き始める頃合だ。だが総大将たる王子は、暗い表情で溜息を漏らすばかりで、新たな命令を発しようとしない。
「殿下、ご決断を」
口々に上がる諸将の言葉に、ようやくエティエンヌは顔を上げた。何かを払うように数度首を振り、諸将を見回す。切れ長の目は細められ、覗く瞳は力強くも憂いに満ちていた。
形良い唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「犠牲は、もう十分か」
将のひとりが進み出た。
「むしろ過剰なほどでしょう。いまや敵にも味方にも、我らが前線部隊の勇戦を疑う者はおりますまい」
「そうか」
沈痛な顔でひとつ頷いた後、エティエンヌは勢いよく椅子から立ち上がった。
「全攻城部隊に、ベルフォレ東門からの撤退を命じる」
憂い含みの、しかし凛とした声だった。どこか憑き物が落ちたような響きもあった。
「同時に、別働部隊の進軍を開始する。残存全部隊、東門へ展開せよ!」
諸将が深々と一礼し、天幕を辞去していく。いくつもの背を見送りつつ、エティエンヌは疲れた表情で溜息をついた。
兵力の意図的な犠牲が、エティエンヌに強い心痛をもたらしたことは、ルネにも容易に想像ができた。鶏一羽さえ殺せない男が、己が命令で多くの人間を死に追いやってしまったのだから。
「行くぜ、エティエンヌ。これまでの何もかもを、無駄にしねえためにな」
手甲で覆われた手を上から握ってやれば、端正な横顔がほんの少し笑った。
この笑み、どこまで持つか――不安を抱えながらも、ルネは甲冑姿の王子と共に前線へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます