戦端と茶会

 三日後。

 夜明けと共に王都へ向かったヴァロワ王家の使者は、陽が東の山から離れきるよりも早く帰ってきた。先方の返書は、ほとんど即時に用意されたようだ。ならば内容は明らかだ。

 最寄り街中央庁舎の大ホールで、エティエンヌは書状の封を開けた。


「王都ブリアンティスを不当に占拠する貴族連合軍は、我々の寛大なる退去勧告を拒否。無為なる抗戦を通告してきた。従って我は、貴族連合盟主に対する宣戦をここに布告する」


 背筋に緊張が走る。いまだ貴族連合は王国西部を広く支配しており、王都を奪還しても戦は終わらない。だが東部地域がほぼ王家の支配下に入った今、中央部に位置する王都が手中に戻れば、勢いは大きく王家側に傾くはずだ。この戦いで流れが決まる。


「全将兵に告ぐ、戦闘準備を整えよ。現在より我々は王都の貴族連合軍と交戦状態に入った。いかなる不測の事態にも対応できるよう、備えを整えよ」


 諸将が敬礼し、次々と辞去していく。

 作戦はこの三日間に打ち合わせた。あとはこちらの読み通りにさえなれば。

 ルネはホールを辞去し、厨房へ向かった。今日も狐火葵のギモーヴを作らねばならない。今回の切り札は「その時」が来るまで作り続ける必要がある。

 だが戦術的な意味以上に、王子の喜ぶ顔が脳裏を離れない。


「あまり無理はすんなよ」


 独り言が漏れる。

 父の幻影に縋ることをやめれば、身の内の重荷はそれだけ増す。「父ならどうしたか」「父に倣えばどうなるか」、それらの逃げ道はすべて塞がるのだから。すべてのものごとを自分の頭と心とだけで判断するなら、心労はどうしても増える。

 甘味が、多少なりとも戦時の癒しとなってくれればいいが。

 願いつつルネは、ギヨームから受け取った狐火葵の根を煎じ始めた。



   ◆



 昼下がりのバルコニーから見える景色は、不気味なほどに昨日までと同じだ。ハーブティーを酌み交わしつつ、ルネとエティエンヌは眼下の景色を眺めた。


「変わらないな」

「ああ。怖いくらいに動きがねえな、双方」


 宣戦布告から半日。ヴァロワ王家軍と、王都の貴族連合軍との間には、いまだ一切の戦闘が起きていない。王家軍は駐屯地である街から動かず、貴族連合軍も城壁外に出撃してこない。王都城壁の上に兵士たちは見えるが、隣町からでは芥子粒ほどの大きさだ。目を凝らさなければ見えない。

 とはいえ、ルネたちが動かないのは作戦の内ではあった。


「あちらさん、様子見で出撃してくるかと思ってたがな」

「それだけ慎重を期しているのだろう。だからこそ私たちが鍵になる」

「だな。あとは、あちらさんがどれだけ乗ってくれるか」


 傍らの机の上には、昨日までと同じく狐火葵のギモーヴが皿に盛られている。ルネは山の上からひとつを摘まみ、手中のティーカップに落とした。水面に粉砂糖がぱっと散る。


「ルネ?」


 エティエンヌが咎めるような声を発した。


「ああそうか、この食べ方を見るのは初めてか……ギモーヴはな、温かい飲み物で溶かしてやっても美味いんだぜ。このハーブティーも狐火葵だからな。同じ草同士、相性はぴったりのはずだ」


 にやりと笑い、ギモーヴ入りの茶を飲み干す。

 思った通り、表面が緩んだギモーヴから、狐火葵の酸味と砂糖の甘味が強く溶けだしている。両者がハーブティーのほのかな香りの中に広がり、別々に飲み食いするのとはまた違った趣がある。

 エティエンヌが怪訝な顔で、摘まんだギモーヴを眺めている。交戦中の軍隊の総大将とは思えない、無防備で素直な表情だ。なにやら、無垢な若者に悪い遊びを教えているようで愉しい。


「まあやってみな。溶かし加減は好みでいいぜ。なんなら全部溶かしちまっても、それはそれで美味い」


 白い指から、薄黄色の塊が落とされた。ティーカップに浮く菓子を見つめるまなざしが、あまりにも真剣で可愛い。

 しばらく無言のまま、時が過ぎた。

 塊が半分ほど溶けたところで、エティエンヌはカップを取り、やたらに緊張した面持ちで口へ運んだ。が、すぐに表情はほころんだ。


「確かに……美味しい。溶けかけたギモーヴが、甘くてとろとろしていて、こう――」


 言いつつエティエンヌは、ポットからハーブティーを注ぎ足した。そして今度は二つ、ギモーヴを投入する。

 味については饒舌なエティエンヌが、今は言葉を忘れている。無言の絶賛が、料理人としてはたまらなく嬉しい。

 同時に、少しばかり胸の内が重くもあった。このティータイムの目的を、エティエンヌもルネも忘れてはいない。これは、ただ楽しむためだけの茶会ではないのだ。

 ルネは少しばかりの心苦しさを覚えながら、ギモーヴ入りハーブティーを飲み続けるエティエンヌを、じっと眺め続けていた。



   ◆



 陽が山に隠れれば、秋の平原は急速に闇に落ちていく。西の空から赤味がすっかり消え、星々のまたたきが天を満たした頃、ルネとエティエンヌは覆い付きのランタンを手に街を出た。

 衛兵数人に守られつつ、ランタンの火と月明かりを頼りに街道を進む。王都東門を視界に捉えたところで、一行は歩を止めた。


「準備、いいか」


 エティエンヌは無言で、両の掌を門へ向けて掲げた。ルネも、倣う。

 瞑目し、身の内に貯めたマナを呼び起こす。内臓の底から震えがくるような、冷たい気配だ。元が、あの温かいハーブティーやギモーヴだとは信じられないくらいに。


「はぁあぁ、っっ……!」


 気迫と共に、マナを解放する。

 ぞっとするような冷気と共に、白い霧が立ち籠めた。霧は凝集し、無数の人の形をとった。

 青白い肌に白い髪、冷たい鉄の鎧兜。一切の生気が感じられない人影が、数百体現れた。剣と槍とを一斉に掲げ、門へ向けて行進していく。

 ルネとエティエンヌは頷き合った。


「退くぞ」

「ああ」


 街道を引き返す一行の背後で、慌ただしい騒ぎ声が遠く聞こえた。振り向けば、物見櫓には灯りが点き、人影へ向けて矢が降り注いでいた。貫かれた影が、煙のようにかき消える。

 あれは、狐火葵のマナで生み出された幻影だ。かの神聖植物は、狐火や人魂、幽鬼や亡霊の出る沼に育つ。植物が幽鬼を生んでいるのか、幽鬼のいる所に植物が育つのか、因果関係はわからない。確かなのは、亡霊めいた幻を生み出す力が植物に宿っていることだ。

 幻影は、実体のある物に触れられれば消える。戦力としては役に立たない。だが、干戈を直接交えるだけが戦いではない。使いようはいくらでもあるのだ。

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