川の街リヴィエルトン攻略戦

 川の街リヴィエルトンは、大河ヴィラマールの中洲に位置する交通の要衝だ。街の東西に掛かる「大いなる橋」は文字通りの巨大な石橋で、両岸の人や物は大部分がここを通して行き来する。また南北には港があり、大河を往来する船の停泊所となっている。ルネは軍略や経済に詳しくはないが、ここを押さえれば進軍ルートにも物流にも大きな影響がありそうだとは容易に想像がついた。

 近郊の丘に張られた陣中で、ルネは兜の紐を締め直した。彼が直接戦場に出るのは、即位直後のヴィクトールに伴われ、反乱制圧に飛び回っていた頃以来だった。


「緊張していますか?」


 武者震いするルネに、エティエンヌが声をかけてきた。だが表向き平静な王子様は、よく見れば指や足先をしきりに動かしている。戦慣れはしていなさそうだ。

 古来からのしきたりとして、降伏勧告文書を持った使者が夜明けと共にリヴィエルトンへ向かった。攻撃側が書面を送り、防御側が拒否の書面を返し、そこではじめて戦が始まる。形骸化した無駄な手続きだとルネは思うが、やらないと史書に最低最悪の卑怯者として名が残り、子々孫々に至るまで不名誉があるらしい。高貴なる人々の戦争は、街角の喧嘩とはまったく別の何かなのだと感じる。

 ともあれエティエンヌ率いる全軍は、張り詰めた空気の中、完全武装でリヴィエルトンからの使者を待っている。東の空に、日は既に高い。


「別に緊張はしてねえよ。心配はしてるがな」


 誰の、とは、あえて言わないでおく。

 エティエンヌが何か言いかけた時、陣の入口がざわめいた。通された黒服の使者二人が、鎧兜姿の王子へうやうやしく書簡を差し出した。細く白い指が、赤い封蝋を割る。


「リヴィエルトン市長より回答を受領した。反逆者の軍勢は、我らの慈悲深き降伏勧告を拒否し、無為なる抗戦を通告してきた」


 型通りの内容を告げる声に、隠しきれない震えがある。

 今からこれで大丈夫か――不安ばかりが増す。


「従って我らはここに、リヴィエルトン市長に対する宣戦を布告する。総員、部隊を展開せよ!」


 陣に集う将兵が、一斉に敬礼し散開する。

 高まる興奮の中、中心の一人だけが取り残されているようにルネには見えた。



   ◆




 リヴィエルトンは東西の橋で対岸と繋がり、橋同士は広い街路でまっすぐに結ばれている。南北の港も街路で結ばれ、十字に交差する二本の大通りを中心に市街が発展している。交点の十字路では、大ホールを備えた石造りの中央庁舎が街の象徴となっている。敵の総司令部はそこであろうと推測された。

 中央庁舎へ至るには、橋もしくは港を突破せねばならない。エティエンヌ率いる王家軍が十分な軍船を持っていないことは、味方にも敵にも広く知られているから、必然的に進軍ルートは一つに限定される。

 すなわちリヴィエルトン東門。「大いなる橋」東岸側からの入口で、激しい戦闘が始まっていた。


 白服のヴァロワ王家軍と、黒服の貴族連合部隊とが、橋の上で押し合っている。優勢なのはどう見ても黒の側で、城壁の長弓部隊と連携しつつ、白い者たちを大河へ叩き落としていく。

 エティエンヌは大河の河畔で立ち尽しつつ、落ちていく兵たちを凝視していた。青い目は、やはりわずかに震えていた。

 ルネは相変わらず不安だった。この王子様、理解しているのだろうか。戦という名の殺し合い、いちど出れば勝つしか道はないのだとは。いまさら怖気づいてなければいいが。

 空元気を声に籠める。


「いくぜ王子様。そろそろ頃合だ」


 エティエンヌの背を強く叩く。金属鎧に少し響いたかもしれない。

 答えは返ってこない。落ちていく白い兵士たちを、川面があげる水しぶきを、青い瞳で見つめたまま動かない。


「ド派手に勝つんだろ。ぐずぐずしてる暇はねえぞ」


 事前作戦を思い出せ、との意を籠めた。が、なおも視線はそのままだ。


「遅れりゃ遅れるほど、死人が増えるぞ」


 肩がわずかに動いた。我に返ったようだ。

 双眸が、ルネの目を正面から見据えてくる。怯えの色はない。いままでの震えは、恐怖のためではなかったようだ。

 ルネはふと、霊山での出会いを思い出した。あの時エティエンヌに、襲ってくる飛竜を恐れる様子はなかった。世間の評判に反して、この「惰弱」の王子様、意外に胆力はあるのだろうか。


「いきましょうか。総員、突入準備を」


 背後で、鎧兜の動く音が重なって鳴る。

 ルネは両の掌を、眼前の大河へ向けて掲げた。視線の向こうにはリヴィエルトンの南岸――港が見える。今も船が何隻か停まっている。

 横目でちらりと大橋を見る。戦闘は依然激しく、リヴィエルトン側の意識は完全に橋へと向いている。機は整った。

 ルネは、身に満ちるマナを掌へ集中させた。

 全身の血が冷える。このまま氷漬けになりそうな感覚さえ、ある。

 だが、今、凍るのは己が身ではない。


「はぁあああぁ、っ……!」


 裂帛の気合と共に、マナを吐く。

 空気が白く染まった。ぴしぴしと微細な音が鳴り、真冬の朝のような冷気が肌を刺す。

 目の前に、太くまっすぐな白線が描かれた。大人三人ほどが余裕をもって駆けられる幅の、白い道。大河を横切って伸び、先は南岸の港湾へ到達している。


「行け、溶ける前に渡り切れ! 敵が気付く前に!」


 力の限り叫べば、兵たちは列をなして氷の道を進み始めた。

 経験上、強度は十分のはずだ。長くは持たないはずだから、急ぐ必要はあるが。

 かつて北方地帯の制圧戦で使った作戦だった。氷のマナを含む幻獣を現地調達し、氷の道を作り、ヴィクトールと共に川向こうの要塞を裏から叩いた。氷雪白鳥スノースワンは良質の氷マナを多く含み、今回の用途にはうってつけだった。敵側は、船を持たない王家軍が港から来るとは予測していないだろう。

 すべての別働部隊が進軍開始したのを見計らい、ルネとエティエンヌも最後についていく。


「手筈は覚えてるよな。頼むぜ」


 ルネの氷マナは既に尽きた。人が渡れる程度に大河を凍らせるには、氷雪白鳥の豊かなマナを三日分、すべて吐き出す必要があった。突入後の魔法はエティエンヌ頼りだ。

 表面に少々水気が現れ、滑りやすくなった氷の道を、ふたりは足早に渡った。



   ◆



 読み通り、港にほぼ敵兵はいなかった。兵力は東門方面に集中しているらしく、市街にもほとんど衛兵は見えない。

 もぬけの殻の市街地で、エティエンヌは作戦通りに力を解放した。


「はぁぁ、あぁっ……!」


 エティエンヌの深呼吸と共に、周囲の空気が急激に冷えていく。かざされた掌から、一閃の白い光が放たれ、広い街路の中央で弾けた。

 高い氷壁が、みるみるうちに築かれる。大人の背丈の倍ほどもある白く分厚い壁が、街路を完全に塞いだ。

 いまや東門方面の部隊は、東西街道を戻ることができなくなった。街道をひとたび外れれば、リヴィエルトンの裏路地は複雑怪奇で進軍には適さない。これで氷が融けるまでの間、中心市街地攻略のための時間が稼げた。

 エティエンヌ一行は踵を返し、味方部隊の後を追って中央庁舎方面へ向かった。



   ◆



 着いてみれば、中央庁舎での戦闘は終わったばかりだった。わずかな衛兵は既に倒され、正面玄関の豪奢な木彫り扉が開け放たれている。

 中へ入り、言葉を失った。


「これは……」


 エティエンヌがうめく。

 正面玄関すぐの大ホールには、民間人がぎっしりと身を寄せ合っていた。着のみ着のままの女子供や老人や病人が、侵入者を見つめて震えていた。

 ここまで攻め込まれはしないと踏んで、避難所にしていたのか。それとも民間人を盾にするつもりだったのか。いずれにせよ、中央庁舎が敵本拠との読みは完全に外れてしまった。


「階上、無人の模様です。室内は整頓されており、直前まで人がいたような形跡はございません」


 敵上層部は事前に逃れていたようだ。だがどこへ。

 唇を噛む一行を、いくつもの怯えた視線が射てくる。幼子を抱いて震える母が、力なくへたり込む老爺が、病人が、冷え切った無気力な目をずらり並べていた。

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