氷雪白鳥のコンフィ

 四日後、ルネはエティエンヌと夕食の卓を共にした。王子の傍には、ジャックが毒見役として控えている。席にはその三人だけだ。

 毒見の待ち時間を終え、エティエンヌが目の前の皿に手をつけた。色白の頬にわずかに朱が差し、青い目は期待に輝いている。そうだろう、味は既に知っているはずだから。

 深めの皿の上で、純白の肉と黄金色に輝く芋とが、薄金色のたっぷりの脂に浸かっている。脂と香草が混じったえもいわれぬ匂いが、部屋に満ちている。


氷雪白鳥スノースワン金枝芋きんしいものコンフィ、だ。もうわかってるとは思うがな」


 三日前、ルネが半日をかけて調理したものだ。以来、二人は三食こればかりを食べている。

 氷雪白鳥。幻獣の一種で、遥か北方の凍土にだけ棲むという「白鳥の王」だ。白鳥は普通、季節毎に大陸を渡り住処を変えるが、氷雪白鳥は常に、氷が浮く厳寒の湖を優雅に泳いでいるという。

 北方の獣の例に漏れず、氷雪白鳥は脂肪が多く、少し炙っただけでも滴る脂が匂い立つ。脂には特有の芳香があり、調理法次第で他では得られない風味を醸し出す。当然ながら高級食材で、重さあたりの値は銀華芋の数倍はする。

 一方で金枝芋は、神聖植物としては比較的ありふれたものだ。荒地に育ち、見た目はじゃがいもに似ているが、皮は金塊のように黄金に輝く。飾り気のない甘味と、口に入れた瞬間やわらかく崩れる食感から、他の高級食材の付け合わせとして人気があり、神聖植物にしては流通量も多い。銀華芋とはよく並び称されるが、銀華は滑らかさがペーストやスープに向くのに対し、金枝の方は形のままで焼いたり揚げたりするのに良い。

 かつて、王位奪取のクーデターを決行せんとするヴィクトールへ、ルネは輪切りにして焼いた金枝芋を供した。それが、彼が「公式に」初めて作った魔法料理となった。

 ともあれ、氷雪白鳥も金枝芋も食味は絶品だ。現状で問題にすべきは味ではないが、美味に越したことはない。

 発注の翌日には届けられた一揃いの食材を、ルネは三日分の油漬け込みコンフィに仕立てた。


「相変わらず素晴らしい味です」


 一口目をゆっくりと咀嚼し飲み込むと、エティエンヌは感嘆の声を漏らした。

 まあそうだろう、とルネは内心で頷く。ギヨームが用立てた食材はどれも上質な品だった。メインの魔法食材のみならず、ニンニクや各種香草、岩塩までも。これでまずいものができてしまうなら、料理人の名はすぐにでも返上すべきだろう。

 エティエンヌはさらに食べ進め、うっとりと目尻を下げた。


「ここまで美味な鳥の肉は初めてです。噛むたびににじみ出る、香りの強い濃い脂……一方で、肉には心地良い歯ごたえもある。脂が染みた金枝芋も、旨味と甘味を増しています。良質の幻獣肉と神聖植物、さらには技術を持つ料理人が揃わなければ、この味は出せないのでしょうね」

「お褒め、痛み入るぜ」


 毎食毎食この調子だった。四十数年料理人を務めているルネにとって、賞賛を受ける機会は従来から多かった。それでも褒められて悪い気はしない。

 だが、今は別の問題がある。


「そこまで美味いなら、せめてもうちょっと食ってくれていいんだぜ?」


 エティエンヌの手は止まっていた。皿には、まだ三分の一ほどの肉と芋が残ったままだ。


「これ以上は……食べ切れませんので」


 エティエンヌは、わずかに目を伏せ首を振った。

 料理を供して、ルネは初めて知った。この王子様、異様に食が細い。並の成人男子の半分くらいしか食べない。大食漢だったヴィクトールと比べれば、三分の一くらいと思われた。

 地位の割に痩せている理由は判ったが、魔法を扱う者としては致命的だ。戦場で魔法をどれだけ使えるかは、事前に取り込んだマナの量で決まる。つまり食い貯めた食事の量だ。食べられなければ、魔法の威力や回数はそれだけ制限される。

 何もかも「神の料理人」頼りに見えたこの王子、魔法を扱うのは自分自身であって、そのためには己がたくさん食べる必要がある、とは事前に認識していたのだろうか。マナを貯めるのも魔法を振るうのも、ルネにできるのは準備まで。実行するのはエティエンヌ自身だ。

 言いたいことは色々あった。だが説教されて食が進む人間はいない。ルネは一言だけ釘を刺すにとどめた。


「ま、いいけどよ。戦場でマナが切れて痛い目見るのはあんただぞ」

「努力はしているのですが……これ以上は戻してしまいそうですので」

「王子にも事情はおありなのです」


 横からジャックが口を挟む。


「気にされるほど、かえって喉を通らなくなるかもしれません。どうかご容赦を」


 しかたなく、ルネは残りの皿を取った。


「しょうがねえな……戦を前に、マナを無駄にするわけにもいかねえ。残りはもらうぞ」


 毎食、続いてきたやりとりだった。

 ルネはコンフィの残りを口に運んだ。エティエンヌの言葉通り風味は絶品だった。ナッツを思わせる香ばしい脂、適度な歯ごたえのもも肉、旨味をたっぷり吸った金枝芋。毒見の後で冷めているのが残念だが、それでも十二分に美味だ。じっくり噛んで飲み込めば、身体にマナが満ちるのを感じる。


「明日ですね」

「ああ」


 どちらからともなく頷き合う。

 特殊なマナは、長く体に留めておけない。持ってせいぜい三日、その後は抜けていく。だから実質、貯められるのは三食を三日分、つまり九食までだ。

 氷雪白鳥スノースワンと金枝芋のコンフィ、三日食べ続けた。貯められるだけのマナは貯めた。エティエンヌに関しては十分とは言い難いだろうが、これ以上は待てない。

 空にした皿を重ねながら、ルネはただただ不安だった。

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