火蜥蜴の炙り肉
翌日、一行は隣町モンタリアーヌへ移動した。何かしらの伝言が事前に回っていたようで、食料の備蓄に
「第一印象を、最初の皿で可能なかぎり強めねばなりません。父が得意としたように」
仮面のような無表情でエティエンヌが言う。切れ長の目はやはり力を欠き、疲労の色も回復していない。当初ルネは、力のない表情を山歩き疲れと推測していたが、彼は普段からこうなのかもしれない。
「極限まで華やかな炎をお願いします。父が即位の折、一目で群衆を虜にしたのと同等以上に」
そりゃ無理だぞと、内心だけでルネはひとりごちた。ヴィクトールが当時見せた炎は、魔法が長く失われていた世だったからこそ強烈な衝撃だった。この神経質そうな若造が今同じことをやっても、同じ迫力が出るわけはない。
だが、それを指摘してもどうにもならなそうだ。また怒り出して顔を真っ赤にするだけだろう。言われた仕事だけを無難にこなすしかない。とてつもなく気が重いが。
「華やかな炎はいいけどよ……この手の演出を活かすには多少のハッタリも必要だ。弁舌の腕とか、本人の見た目とかな。そこら辺の準備はできてるのか、エティエンヌさんよ」
魔法の炎だけでなんとかなると思うな、との皮肉をこめたつもりだった。
「父はどのようにしていましたか。いちばんよくご存知なのは、ずっと傍にいらしたルネ様、あなたでしょう」
「そりゃそうなんだが、人間、向き不向きってものはあるぜ」
弁が立つ偉丈夫だったヴィクトールと同じことを、身長はあっても肉がない陰気青年がやったところで、同じ結果になるわけがない。という当たり前のことを、どう言えば理解してくれるのか。
「私が王に向かないと言いたいのですか。あなたは黙って、私の依頼だけをこなしてください。父と同じように、してくださればいいのです」
エティエンヌのこめかみが、ぴくぴくと動いている。案の定また苛立ち始めたようだ。
「あーあー、わかったよ。ヴィクトールと同じようにすればいいんだな。承知した」
胸の奥の痛みから目を逸らしつつ、ルネは用意された厨房へ向かった。
山積みの
(父と同じように、してくださればいいのです)
評判最悪の王子様よ。逆らう者みな焼き払う、恐ろしい悪魔になりはてたいのか、あんたも。
用意された火蜥蜴肉を前に、ルネの手は動かなかった。そろそろ血抜きの処理を始めなければ、明日には間に合わない。この肉は癖が強く、十分な血抜きを施さなければ食べられたものではないのに。
不意に、ひとつの案が浮かんだ。
策というほど上等なものではない。ただ、「同じ」という言葉が糸口になった。父と同じで良いのなら、嘘にはならないはずだ。
少し肩の荷が下りた気分で、ルネは寝所へ向かった。
翌日ルネは、できあがった火蜥蜴料理をエティエンヌに供した。
白磁の皿に乗った、一山の赤黒い焼肉。塩胡椒以外の味付けはしていない。今回に関しては、する意味もなかっただろう。
エティエンヌの表情は読みづらかったが、わずかに微笑んでいるように見えた。一方で傍らの従者ジャックは、常のように愛想良い笑顔を浮かべている。
ルネは一礼して料理の説明を始めた。この後の事態を考えると、気は重かった。
「火蜥蜴の炙り肉。ヴィクトールが最も好んだ魔法料理だ。『炎竜王』の名の元になった赤い炎も、これが由来だ」
「殿下のご要望通りですね、ありがとうございます。では、まずは私が毒見をいたしますね」
「って、ジャック、おまえが食うのか!?」
「殿下が口にされる物は、すべて私が毒見をしておりますので」
ルネは内心うろたえた。毒見を挟むとかいう話は聞いていない。
だが相手が王族なら、当然考えてしかるべきだった。ルネの料理に毒見を一切通さなかったヴィクトールは、特異な例外だったのだ。ルネは何も言えず、ただジャックを見守るしかできなかった。
ジャックははじめ、いつもの微笑みを浮かべつつ肉片を口へ運んだ。だが二、三度咀嚼したところで、口を押さえて激しく目をしばたたかせた。
ジャックの視線が泳ぐ。飲み込むべきなのか、激しく迷っているように見える。
「どうした、ジャック?」
「こ、これ……は」
どうにか飲み込んだジャックが、激しく咳き込みながら言う。
「とても、人間の食物とは思えない味です……口に入れた瞬間、生臭さが口いっぱいに広がり、その後も得体の知れない臭いが重なって……血の臭い、鉄の臭い、その他名状しがたい悪臭がいくつも」
予想通りの反応だった。
背を震わす従者を、エティエンヌは相変わらず表情の読めない顔で見下ろしている。ジャックが、絞り出すような声で主人に告げた。
「これは……食べてはいけません。とても食べられる味ではございません」
無表情のまま、エティエンヌは残りの皿に視線を落とした。
「私は、父と同じものを依頼しました。これと同じものを父も食べたのですか?」
「ああ。確かにな」
ルネは即答した。この点に関してだけは間違いない。ヴィクトールは過去、確実に一度、血抜き処理をしていない火蜥蜴の炙り肉を食べたことがある。ルネにとって強い痛みとなった記憶と共に。
ぎろりとにらんでやると、エティエンヌは小さく、しかし何度も頷いた。
「そうですか、父も。であれば、いただかない理由はありませんね」
「殿下!」
悲鳴のようなジャックの声に、エティエンヌは反応しない。無表情のまま、山盛りの炙り肉を二つの皿に分けた。
「毒見の待ち時間が終わり次第、こちらは私がいただきます。そして、こちらの半分は」
皿の一方が、ルネへ向けて押し出された。
「こちらはルネ様がどうぞ。父は即位の折、『神の料理人』と並び、二人で聖なる炎を披露したと聞き及んでいます」
背筋から血の気が引く。己の苦し紛れが、まさか自分に返ってくるとは。
「いやいや、俺が火を出す必要はねえだろ」
「父に倣いたいのですよ。二つの炎が並んだ方が、見た目にも印象が強くなるでしょう。それとも、ご自身がお作りの料理を、自ら食べられない理由がおありですか?」
表情のない双眸で見つめられると、断りようがない。「神の一皿を食べてよいのは、この世に二人だけ――すなわち、私と君だ」かつてヴィクトールから聞いた言葉が、不意にルネの脳裏に蘇った。
結局ルネとエティエンヌは、二人向き合って血抜きなしの火蜥蜴炙り肉を食べた。
味は、ジャックが形容した通りのひどさだった。
四苦八苦しながら飲み込むルネを、エティエンヌは冷ややかに見守った。王子は時折眉間に皺を寄せつつ、無言で肉を口に運んでいた。何も感じていないのか、と錯覚するほどの平静さだった。しかし、よく見れば額に脂汗が浮かんでいる。
「ありがとうございました、ルネ様。『神の料理人』のご助力、感謝いたします」
最後にそう言い、エティエンヌは深く頭を下げた。本気なのか皮肉なのか、はかりかねた。
「王子直々の感謝、痛み入るぜ」
当たり障りなく返すと、エティエンヌはナプキンで口を拭いながら、空の皿に目を落とした。
「火蜥蜴は火山地帯に生息すると聞きます。溶岩の熱を喰らい、硫黄を寝床に、気ままに寝て暮らしていると。穏やかに眠る生き物を、無理に捕らえて殺して肉を得たのですから――」
形良い青い目が、わずかに伏せられた。
「――その命も、溶岩を踏み越え捕らえてきた者の労力も、無駄にせず済んでよかったですよ。無論、調理してくださったあなた様の尽力も」
わずかにうつむいたエティエンヌの顔に、どきりとした。
憂いを帯びた表情ではあった。だがこれまでまとっていた陰鬱さが、影を潜めている。伏し目がちの瞳に、憂愁に翳る口元に、慈愛とも呼ぶべき何かの色がある。こいつはこんな顔もできたのかと、ルネは思わず息を呑んだ。
同時に、胸の奥がずきりと痛む。若干の良心の呵責を感じる。
少しばかり疑念も沸いた。王の器もない、人柄も良くないと悪い噂だらけ、事実これまでは言葉の通りにしか見えなかったこの第五王子様は、本当に世間で言われる通りの人物なのだろうか。
世間の人間たちは、そしてルネは、このヴィクトールの末息子について、なにか重大なことを見落としているのかもしれなかった。
◆
同日の午後、集った配下の軍勢を前に、ルネとエティエンヌは魔法の炎を披露した。
二人がそれぞれに炎の輪を作ると、感嘆の声は確かに上がった。だがやはり、ヴィクトール即位宣言時のような熱気はない。それでもエティエンヌは、満足そうな笑みをわずかに浮かべ、炎の輪越しに全軍に手を振っていた。
戻って休んでいると、ジャックが訪ねてきた。
「ありがとうございましたルネ様。これで、殿下も少し自信をつけてくださると良いのですが」
反応に迷っていると、ジャックは勝手に話を続けた。
「殿下は決して、父君や世の人々の言うような
ジャックの言葉にどれほどの真実が含まれているのか、会ったばかりのルネにはわからない。
ふと、食料雑貨店の親父の言葉を思い出す。「父君からの覚えもめでたく」などとも皮肉を言われていたが、ヴィクトールとエティエンヌの間には何かがあったのか。
気にはなるが、不用意に触れてよいことにも思えない。ルネは無言のまま、従者の言葉を聞き流した。
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