追憶2

聖炎の王

 貧民街での出会いから約半年後、ヴィクトールは本当に王になった。

 電撃的なクーデターだった。ヴィクトールの手勢は宵闇に紛れ、衛兵詰所を、軍の中枢部を、王城を、あっという間に占拠した。

 出陣直前、ルネはヴィクトールに一皿の料理を作った。皮が金色に輝く芋を、オリーブ油とニンニクで焼いたものだった。輪切りの芋をフライパンで焼いただけの簡単な料理ではあったが、調理器具を扱い慣れない当時のルネには大仕事だった。包丁を持つ手つきはおぼつかなく、不揃いな芋には少なからぬ焦げがついた。それでも上質なオリーブ油とニンニクの香りは、調理者の拙い技量をある程度覆い隠してくれた。

 ヴィクトールは黒い焦げ目を削ぎさえせず、一皿を満面の笑顔で食べ終えた。そしてルネに伝えた。


「これは『金枝芋』という神聖植物でね。比較的手に入りやすく、それでいて強い守護の力を持つ。君がくれたマナがあるかぎり、誰も私を傷つけることはできないだろう」


 夜中、王城の陥落を報せに来た伝令が興奮気味に語った。城に攻め入ったヴィクトールは、身を包む黄金の光で槍や矢をすべて弾き返したと。場の皆が沸き返る中、ルネだけが理由を知っていた。

 報せを聞き終え、ルネは指導役の宮廷料理人と共に厨房へ戻った。翌日のためにやるべきことは、まだ終わっていなかった。


 次の朝、ルネはヴィクトールに頼まれていた「火蜥蜴サラマンダーの肉」を王城へ持って行った。火蜥蜴は、幻獣肉としては手に入りやすいものの、癖が強くてそのまま食べるのは難しい。だから前夜、勝利の報せと同時に、大量の牛乳で血抜きをしておいたのだ。

 下処理済の肉を厨房へ持ち込み、大きく立派なコンロで炙った。指導役の料理人に、火の強さや裏返す頃合を何度も注意されつつ、ルネはひたすら肉を焼いた。

 焼き上がった肉を食堂へ持ち込めば、ヴィクトールは既にテーブルで待っていた。大皿を置き、一礼して辞去しようとすると止められた。空の取り皿は、よく見れば二枚あった。


「ルネ、君も食べるんだ。君こそが『神の料理人』なのだからね。神の一皿を食べてよいのは、この世に二人だけ――すなわち、私と君だ」


 熱い肉を半分ずつ分け合った。塩胡椒以外に味をつけていない赤身肉は、筋張っていて固かった。味を感じる余裕はなかった。ルネの心臓はひどく鳴っていた。

 食べ終えたルネはヴィクトールに連れられ、王城のバルコニーに出た。見下ろす庭園には大勢の市民が集まっていた。ヴィクトールは手を振り、声を張りあげた。


「フレリエールの民よ。第四王子ヴィクトール・ド・ヴァロワ、ここに王位の継承を宣言する。前王の悪政に苦しんだ市民たちよ、私は諸君らにより良き生活を保証する。そして我が継承の正統性を疑う者たちよ、私はここに証立てる、この玉座は神々の信託によってもたらされた権威あるものであると。なぜなら――」


 赤い光がひらめいた。

 ヴィクトールを囲うように、赤い炎の輪が燃え盛っていた。群衆がどよめいた。


「――天は我が元へ、失われた『神の料理人』を再び遣わした!」


 目で促され、ルネは一歩前へ進み出た。眼下に広がる頭、頭、頭……気持ち悪くなるほどの視線が、一斉に己へと注がれていた。


「彼こそ、神聖なるいにしえの力を受け継ぎし、『神の料理人』ルネ・ブランシャール!」


 名字込みで呼ばれるのが、どうにも慣れなかった。ないと格好がつかないと言われ、幼い頃世話になった孤児院の先生から勝手に借りた、いい加減極まりない姓だった。

 ヴィクトールが小声で囁いた。


「さあ。君も、同じようにするんだ」


 ルネは掌に力を籠め、目の前に円を描いた。赤い光がひらめき、炎の輪がもうひとつ目の前に現れた。

 民衆の興奮が、高まる。

 ヴィクトールは左手でルネの肩を抱き、高らかに宣言した。


「天上の神々と、『神の料理人』の名において、私は約束する。従う者には、前王よりも良き治世を。そして反逆する者には、この聖なる炎での断罪を!」


 二つの炎の輪の向こう、群衆がさらに沸き立つ。

 ヴィクトールが右手を高く掲げた。掌から生まれた炎が、幾筋も天へと噴き出す。赤い筋が青い空を貫くたび、群衆は祝祭の花火を見るように湧き立った。

 そして、歓声と熱狂が最高潮に達した時、それは現れた。

 炎が飛んだ先に、別の炎のかけらが見えた。はじめ残り火に見えたそれは、見る間に大きくなり、堂々たる翼と尾をなびかせながら、ゆっくりと上空を旋回した。


「……大いなる不死鳥フェニックス


 衛兵の誰かがつぶやいた。

 不死鳥。幻獣の中でも特に力が強いとされ、辺境の霊山にだけ住まうと言われる炎の鳥だ。中でも「大いなる不死鳥」と呼ばれる一羽は、何度も生まれ変わりながら永遠の時を生きるという。

 大いなる不死鳥は、普段人里に姿を見せない。だが人の世に優れた王が現れた時、人々の歓喜に応えて現れることがある――と、伝承されていた。


「民たちよ、見よ!」


 ヴィクトールが空を見上げ、高らかに叫ぶ。


「大いなる不死鳥が、我らの前途を祝して現れた! 神聖なる鳥も、フレリエールの未来を祝福しているぞ!」


 階下から大歓声がとどろく。

 群衆が、何度もヴィクトールの名を呼ぶ。王城を震わすほどに重なり響く己が名を浴びながら、ヴィクトールは悠然と笑っていた。誇りに満ちた微笑を浮かべながら、ゆったりと手を振っていた。

 ルネの肩を抱く掌に、不意に力が籠った。群衆の声にかき消されそうになりながら、しかし確かに、ヴィクトールは言った。


「頼んだぞ。ルネよ、我が『王冠』よ」


 当時の胸の高鳴りを、今でさえルネは鮮やかに思い出せる。

 あの時、燃える炎は確かに希望の光だった。

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