命の代価

「これまで重ね重ねの非礼、どうかお許しください。あなた様の力が、我々にはどうしても必要なのです」


 膝を折り、深く頭を下げたエティエンヌが言う。

 長いまっすぐな金髪が、後ろ頭で一本にまとめられている。髪を留める銀のバックルに、王国を統べるヴァロワ家の紋章が大きく刻まれていた。王族に連なる人間か――と考えかけて、ルネは不意に思い出した。


「あんた、ヴィクトールの末の息子だな? 俺が『死んだ』後の子がいなけりゃ、だが」


 顔が上げられた。表情には相変わらず疲れの色が濃い。鼻筋の通った悪くない顔だが、目つきや表情に力強さがない。高貴な人間は、普通もう少しどっしりとしているものだが。


「間違いございません。私はエティエンヌ・ド・ヴァロワ、炎竜王ヴィクトールの第五王子にして後継者」


 ひとまず記憶は正しかったようだ。ルネがかつて仕えた相手――炎竜王ヴィクトールに子は七人いた。王子が五人と王女が二人。末の王子の名がエティエンヌだった。ルネの「死」の当時、彼は四つか五つであったから、印象が薄かったのだろう。

 だが、ひとつ気にかかることがあった。


「後継者、ってのはどういうことだ? 上の四人はどうした?」


 跡目争い、が真っ先に頭に浮かんだ。五男が勝手に跡継ぎを名乗り、権威付けのために「神の料理人」の協力を求めているとしたら、そんな身勝手に付き合う理由はない。

 だが、答えは予想外だった。


「死にました」

「四人全員が、か?」

「はい。父が四年前に崩じて以降、不測の事態が次々と起き……まず王太子だった長兄が、戴冠式へ向かうパレードの最中、暗殺者に弩で射られ命を落としました。ほどなく次兄も何者かによって毒殺。その後家臣たちは、三兄派と四兄派に別れて相争いました。ですが身内で争う間に、西部の貴族たちが連合軍を結成し、王都へ攻め寄せてきたのです。三兄と四兄は共に捕らえられ、貴族たちに処刑されました。現在、王都は奴らの支配下にあります」


 話が長いが、要は王家が滅びかかっているようだ。

 だが、それがどうした。もう山の外には関わらないと決めたのだ。


「ま、しょうがねえな。王家に統治の力がなくなれば、もっとましな誰かが取って代わるのは当たり前のことだ。あんたには酷な話かもしれねえが、フレリエールの国民にとっては違うだろうよ」

「貴族連合軍は、王都を含めた占領地で苛烈な物資の徴発を繰り返しております。各地に検問所を設け、過大な通行税を徴収するなど悪政の限りを――」

「関係ねえよ、俺には」


 これ見よがしに笑う。


「政治とか権力争いとか、もうたくさんだ。厄介事の片棒を担がされるのもごめんだ。この山にいれば、権力者のごたごたなんざ無縁でいられるしな」


 食料雑貨店での取引が、ちらちら頭に過るのを追い払う。

 最近の物価の値上がり、山暮らしと無縁とは言い切れない。だがいざとなれば、香辛料もオリーブ油も諦められる。霊山だけに籠って出てこない生活も覚悟の上。かつての地獄に連れ戻されるくらいなら、獣に近い暮らしの方がよほどましだ。


「報酬ははずみます。私に出せるものは、なんでも提供いたします」


 話の方向性が変わった。周辺情勢で説き伏せるのは諦めたのか。

 だがルネにとって、それはさらに関心のないことだ。


「ありがたいな。じゃ、少なくとも『不老長寿』は頼むぜ」


 エティエンヌが肩を震わせた。


「そ、それは――」

「なんでも提供するんだろ。だったら俺が失う物は、少なくとも補填してもらわなきゃ割に合わねえ……思い出してみな、俺が何のために霊山へ遣わされたのか」


 横から、従者のジャックが口を挟む。


「『神の料理人』様は、本当に不老不死を獲得なされたのですか?」

「見ての通りだ。殺されれば死ぬだろうから、不死ではないけどな」


 ルネは腕を曲げ、力こぶを作ってみせた。若く艶のある筋肉が力強く盛り上がる。場の全員が、呆気にとられた風に太い腕を見つめた。


「マナに満ちた幻獣、神聖植物。俺はこの地の食物を食らい続けて、若さと永遠の命を得た……だが、霊山から離れてマナを失えば、俺は普通に老いて死ぬ。冗談じゃねえな」


 エティエンヌが無言でうつむく。ルネは更にたたみかけた。


「ってことだ、諦めてくれ。手放す物より良い物をくれる、ってんなら話は別だがな……あんた、永遠の命より良い物を俺に出せるのか?」


 まずないだろうとルネは読んだ。金、権力、賞賛……王族の者たちが出せるのは、死ねば無価値の物ばかり。なくならないのは「後の世まで伝わる名声」くらいだろうが、そんなものに興味はかけらもない。


「出せないならとっとと帰ってくれ。俺はもう――」

「出せますよ」


 突然エティエンヌが顔を上げた。思い詰めた顔で立ち上がり、ちらりとジャックに目配せをする。

 いぶかる間もなく羽交い絞めにされた。

 なにしやがる――と叫ぶ前に、喉に剣の切っ先が突きつけられた。鈍く光る刀身の向こう、エティエンヌが細めた目でにらんでくる。


「明日の命、はいかがですか」


 表情が無いのが、不気味極まりない。


「殺されれば死ぬだろうとは、さきほどご自身でおっしゃいましたね。明日の朝日を見たいとは思いませんか」

「そうなれば、あんたらの欲する『神の料理人』はこの世にいなくなるぞ?」

「残念ですが仕方ありません。生存が確認された以上、敵に身柄を渡すわけにはいきませんから」


 刀身が動き、今度は頬に押し当てられる。鉄の冷たさに肌が粟立った。


「『神の料理人』および彼がもたらす魔法こそ、父の力と権威の象徴。敵と協力されれば、あまりにも致命的です。協力が叶わぬならば、今のうちに滅ぼして禍根を断たねばなりません」

「非礼を詫びた、その舌の根も乾かぬうちに……かよ」


 こいつら本気だ――ルネの背筋に震えが走った。冗談抜きに殺しに来ている。


「殿下、自ら処断されますか? お望みでしたら、手を汚す役はこのジャックめが引き受けますが」


 エティエンヌが考え込む。だがどう見ても「誰が殺すか」段階の迷いだ。「殺すか殺さないか」、では既にない。

 この状況で、できる対処はひとつだけだ。ルネは重い口を開いた。


「……わかった。しょうがねえ。協力してやるよ王子様」


 やりすごす。

 本物の殺意を前に、可能な唯一の対処だ。

 これまで何度も、神狼や大霊鳥の殺意をやりすごしてきた。少し前にも飛竜の殺意をしのいだばかりだ。

 いったんは協力を申し出て、事態が落ち着いた頃、辞めるなり逃げるなりして霊山に戻る。目の前の相手に対し、他にとりうる道はなさそうだった。

 返事を聞くと、エティエンヌはすぐに剣を収め、元のように膝をついた。


「感謝します、偉大なる『神の料理人』よ……玉座も王都も失った我らにとって、あなたがもたらす王者の力が、唯一の希望の光」


 羽交い絞めを解いたジャックが、前に回って同様に跪く。兵士たちも倣って頭を垂れる。

 周りに並ぶ頭、頭、頭。居心地が悪くて仕方ない。

 また、あの地獄へ戻らねばならないのか。美しい霊山からも、若さと永遠の命からも引き剥がされて。

 いたたまれなくなって頭上に目を遣れば、天井の穴からは、暮れかけの青味がかった空が覗いていた。寒々しい星の光が、奇妙に虚しかった。

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