銀華芋のポタージュ風スープ

 一歩後ずさる。すると兵士も一緒に動いた。逃がさないつもりか。


「『神の料理人』ルネ・ブランシャール。マナに溢れた幻獣や神聖植物を彼が調理すれば、食した者に魔法の力を授ける神秘の一皿が出来上がる……名までは知らずとも、フレリエールの民なら聞いたことはあるだろう。『神の一皿は勝利を約す』と」


 よく知っている。前の王に仕え、求められるまま魔法の皿を作り続けた宮廷料理人。

 おかげで前王は魔法の力を得て、「神に選ばれし王」を自分で名乗って、絶大な権勢を振るった。そして数十年の治世の果て、最後は不老不死を求め、料理人を霊山に派遣した。だが結末は。


「そいつ、十年以上前に霊山で死んだ爺さんだろ? 不老不死の料理を作れ、って王様の命令で来たはいいが、三日もしねえうちに神狼に喰われたって話だ」

「確かに、その報告は王室の記録にも残っていた。霊山エスカルデにて、引き裂かれ血に汚れたルネの着衣が発見されたと。衣服には黒神狼の体毛が大量に付着しており、獣に襲われたと推測される、とあった」

「なんだ、わかってんじゃねえか。ならとっとと――」


 帰れ、と言いかけた時、黒髪の男が一人進み出てきた。白の軍服にかっちりと身を包み、こちらをにらみつけている。童顔で人好きのする顔立ちが、状況のせいで逆に空恐ろしい。


「あなたの名は存じ上げませんが」


 黒髪男はにこやかに微笑みつつ、凄みをきかせた低い声で言った。


「さきほどからの物言い、貴人に対していささか礼を失しております。こちらのお方は――」

「構わん、ジャック。無用の諍いを起こすな」


 金髪男の制止に、黒髪男ジャックは深く頭を下げた。


「申し訳ございません。エティエンヌ殿下」

「肝要なのは、神の料理人に関する情報だ。ここは儀礼の場ではない」


 ジャックはどうやら従者らしい。エティエンヌの名には聞き覚えがあるが、にわかに思い出せない。

 だが考えている暇はない。今はこの場を切り抜けなければ。


「なんでもいいが、大昔に死んだ爺さんの消息なんざ知らねえよ。死人の行方なら冥王様にでも問い合わせてくれ」

「生存説があるのだ。霊山の麓でルネらしき人物を目撃したとする、いくつかの記録がある」

「万が一そうだとしても、生きてりゃ七十近いんだろ? あんたらもここまで来たなら思い知ったはずだ。衰えた足腰で生きられる場所じゃねえよ、この山は……そのうち衰弱して死んだだろうよ」

「そのとおり。ゆえに我々は、助力する何者かの存在を推測した。事実、麓で調査したところ、霊山に住むひとりの若い男が浮かび上がった。その者は食料雑貨店に霊山の食材を卸し、対価として生活必需品を得ているという」


 このエティエンヌ殿下、なにがなんでもルネが生きてることにしたいらしい。常識的にありえない、とは考えないのか。だがそれではこちらが困る。


「それで後をつけてきたわけか。だが見ての通り俺は一人暮らしだ。確かめてみな、ベッドも食器も一人分しかねえよ。この小屋で年寄りと二人暮らしは、さすがに無理がある」

「どうあっても否定する気か」

「否定もなにも事実だからな。死人を追いかけるのは勝手だが、生きてる人間を巻き込むのは勘弁してくれ」

「仕方がない。手荒な真似はしたくなかったのだが」


 エティエンヌが目配せすると、両脇の兵士が腕を捕らえてきた。手首に枷がはめられた。


「フレリエールの王権において、おまえを尋問する。『神の料理人』について、知っている情報をすべて吐くまで、解放はされないと思え」

「無茶言うな!」


 知らないものは吐きようがない――叫ぼうとした瞬間、辺りに甲高い獣の叫びがこだました。

 いや、獣じゃない。轟音とも呼ぶべき重々しさ、震えるほどの威圧感、こいつは竜族だ。

 目の前の連中が何をやらかしたか、直感的に察した。

 断続的な咆哮が、急速に近づいてくる。


「全員中に入れ! 戸を閉めろ!!」


 叫べば、一同が中に入ってきた。扉が閉まったのを見届け、連中をにらみつければ、兵士どもは呆然と扉を見つつ立ち尽くしている。竜族には、初めて遭うのか。

 ひとつ確かめておきたいことがあった。


「おまえら、来る途中で黒い岩を見たか。俺の背丈の倍くらいの」

「ああ、ありましたね」


 ジャックが答えた。


「そこ、ちゃんと迂回したか」

「迂回?」


 童顔の従者は首を傾げた。

 これは、最悪の事態がありえる。


「人の隠れ家がないか、ひととおり調査はしましたが」

「馬鹿野郎! すぐ傍に飛竜ワイバーンの巣があんだよ!! 下手に人の臭いを残したら――」


 言葉を遮るように、特大の咆哮が響き渡った。

 小屋の壁が震える。

 屋根のあたりで何かが軋る。重いものが叩きつけられる音がする。


「――こういうことになる」


 状況と鳴き声から判断して、間違いなく飛竜だ。おそらくは黒岩に棲んでる奴だ。

 室内の連中を、窺う。

 兵士どもはなすすべなく視線を泳がせている。

 エティエンヌは口を結び、異音のする天井を悔しげに見上げている。

 ジャックはエティエンヌを庇うように、己が腰の剣に手をかけている。

 誰一人、打開の策はなさそうだ。


「しかたねえな」


 自分の身も守れない奴が霊山へ入るな、と説教したい。が、今言っても意味はない。

 唯一の策、使ってしまえば色々終わりだ。が、この場をどうにかしなければ、全員飛竜に裂かれて終わりだ。

 力の限りに叫ぶ。


「俺の枷を外せ! ここの全員、生きて帰りたけりゃなあ!」


 飛竜の雄叫びの中、全力で声を張りあげる。

 だが誰も動かない。兵士どもは当惑しているばかりだ。


「死にてえのか、おまえら!」


 ようやくジャックが動いた。震える兵士の手から鍵を取り、枷の鍵穴に差し入れる。


「本当に、殿下をお救いいただけるのですね?」

「当たり前だ! 早くしろ!!」


 ようやく枷が床に落ちた。かまどへ駆け寄り、脇へ置いたままの椀を手に取る。

 とろみのついたスープを、一息に飲み干した。

 オリーブ油と胡椒の香。続いて、圧倒的な旨味とこくが口中を満たす。澱粉質の甘い香りを後に残し、濃厚なスープが喉へ、胃へ、とろとろと流れ下っていく。

 せっかくの御馳走、できればじっくり味わいたかったが。


「あなた、何を――」


 叫ぶジャックを無視し、目を伏せる。両手を胃の辺りに当てる。

 スープに残る温かみが、胃に溜まっている。口に残ったまろやかな後味が、身体を満たす熱い何かと混じり合い、異質なものに変化していく。力と呼ぶべき何かに。

 そろそろ頃合か――と思った瞬間、あばら家の屋根が弾けた。板が落ち、天井の破れ目から、緑の鱗に包まれた竜の顔が覗く。琥珀色の瞳は怒りに燃え、牙の隙間からしゅうしゅうと荒い息が漏れている。ひっ、と、兵士が声を上げるのが聞こえた。

 ぎらつく双眸へ両手をかざす。


「悪かった」


 身体に満ちる力を、掌に集中させ――吐き出す。

 白銀の光が散った。

 銀の砂、あるいは星屑。そう呼ぶのがふさわしい無数の細かな銀光が、やわらかな筋を描き、怒れる飛竜へと流れていく。


「馬鹿な人間どもが、騒がしちまったな。すまねえ」


 さらに光を送る。

 舞う輝きが、もやのように飛竜を包む。琥珀色の眼から、怒りの色が急速に消えていく。

 小屋への攻撃は完全に止んでいた。人間たちへの関心も、既になくなっているようだった。


「ねぐらに戻ってくれ。もう、変なことはしねえからよ」


 穏やかな声で一声鳴き、飛竜は飛び去っていった。

 あとには穴の開いた天井と、向こう側に覗く橙色の空と、呆気にとられた闖入者どもが残された。


「いま見たものは……魔法?」


 エティエンヌが呆然と呟く。


「銀華芋の力だ。鎮静のマナを含む神聖植物は黄玉茸とか色々あるが、中でも銀華芋の根茎は特に強力だ。竜族でさえ鎮められるくらいに、な」


 答えてやれば尊大な金髪男は、正面からまじまじとこちらの顔を見つめてきた。

 皮肉を込め、続く言葉を投げつける。


「あんたら命拾いしたな。俺の晩飯が銀華芋のスープじゃなかったら、いまごろ全員飛竜の爪で八つ裂きだぞ」

「もしや……お弟子様でしたか」


 諦め半分に首を振る。


「『神の料理人』に弟子はいねえよ。この力は、修行でどうにかなるもんじゃねえ」

「しかし、それでは……弟子でもないのに魔法の料理を作る、あなた様はいったい」

「もう、察しはついてんだろ」


 これ見よがしに、大きな溜息をつく。

 なにもかも台無しだ。あの時、裂いた服に黒神狼の血と毛をつけて逃げたことも、十年以上にわたって霊山に身を隠したことも、全部無駄になってしまった。


、ルネ・ブランシャールだ」


 場の全員が息を呑み、次の瞬間一斉に膝を折った。

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