第40話 上書き
目の前に運ばれた焦げ跡のない綺麗な色をしたウインナーに俺はかぶりつく。さくっと小気味よい音が鳴る。
パリッ、パリッ、と音を立てながら、ウインナーを少しずつ、小さくしていく。
「んっ……」
最後に優美のくちびるごとウインナーを奪い、ごくんと飲み下す。
「おいしい?」
「うん。おいしい」
「よかった。って言っても、作ったのはママなんだけどね」
くすりと微笑み、優美は俺のお弁当箱を見やる。
「ミートボール食べたいな」
「いいよ」
ミートボールを舌ですくって口に含み、舌先にソースを絡めて優美の口に運ぶ。
「あ~ん」
舌の上を転がして優美の口へ。
「……ごくん。慎哉くん、口開けて」
「まだ弁当が残ってる。まずは食べきろう」
以前葉月としたときのように、行為に没頭して弁当の中身をぶちまけるわけにはいかない。透子ちゃんに申し訳ないから。
「ミートボール、まだ食べきってない。慎哉くんの口のなかにあるソースがまだ残ってるよ」
と、優美は俺の口内に舌を潜入させてくる。
「んじゅるっ、んっ……あっ、ほっぺの裏にもついてる。いただきます。……んぢゅるっ、れろれろ」
俺の口のなかを執拗に舐め回してくる。くちゅくちゅ唾液が絡まる音が響く。
「はぁはぁ……慎哉くん、んちゅぅ、んむぅ、あちゅ……慎哉くんっ……ちゅぷちゅぱっ……!」
俺の頬を掴んで引き寄せ、優美は何度もキスを繰り返す。
もう、ミートボールの風味なんて残っていない。味わい慣れた優美の唾液の味だけが、俺の口内を満たしている。
「……だめだ、優美。これ以上されたら……」
「して?」
くちびるとくちびるのあいだに透明な橋をかけて、優美は微笑んだ。
「……っ!」
俺を誘いかけるような妖艶な微笑みに――俺は屈した。
「あっ……! はは、やっぱり慎哉くんえっちだ」
「優美が可愛すぎるのが悪い」
一度顔を離して席を立ち、向かいに座る優美の手首を掴んで机の上に押し倒す。
「んあっ……!」
胸を揉みながら、鎖骨を這うようにゆっくりと舐める。
「……い、いいよ。もっと舐めて? 慎哉くんの好きにしていいんだよ?」
「優美……」
「好きにしてほしい、な?」
期待に満ちた湿った瞳を向けられて、俺はますます昂る。
「んふぅっ……!」
鎖骨から首筋に。首筋から耳に。
不思議だ。どこも違った味がする。
優美の汗。体臭。そのどれもが極上で、俺はいつまでも優美を堪能していたくなる。
「やぁっ、そんなとこなめちゃ……あ、あぁっ、ん、んん~っ!」
けど、これでは俺の空腹は満たせても優美の空腹は満たせない。
弁当箱のおかずを口に運んで細かく咀嚼し、優美のなかに運ぶ。
「おいしい?」
「……うん、さいこう」
とろけるような笑顔を見せる。
優美が喜んでいるので、同じ作業を繰り返す。
優美が喉が渇いたと言ったら唾液を送り、食べづらそうにしていたら舌で分解するか、奥に押してあげるかして、食事の手助けをする。
「んちゅるぅ~、んじゅるるっ、あっ……もっとちょうだい」
「なにを?」
「……お水」
「わかった」
「んむぅ、んぢゅるるっ、ぢゅるぢゅぶ、ふぅ……んぷっ、れろれろっ……はは、おいしい」
押し倒した優美に、俺は食事を与え続ける。
今の優美は、俺の援助なしに食事することができないお子様だ。
だから、だらしなく口から涎を垂らしてしまうのも仕方ない。
舌でそっと拭き取ってあげる。おかずを咀嚼すればまた唾液があふれる。同じように拭き取ってあげる。
それを何度か繰り返すと、弁当はなくなっていた。
「ごちそうさまでした」
しっかりと食後の合掌ができてお利口さんな優美の頭を撫でる。
「えらいな優美は」
「えへへ~」
うれしそうだ。
ただ、この食べさせあいっこ、ひとつ大きな欠点がある。
それは汗と唾液で制服がびしょびしょになってしまうことだ。
「これじゃ授業出られないね」
ブラジャーはさることがら、生肌までしっかりとカッターシャツ越しに見えている。優美の臀部の下は、汗やらパンツの隙間から漏れ出た液体やらでべとべとだ。
「テスト前なのに困ったな。優美は赤点常習犯なのに」
「まだ常習犯じゃない。予備軍だもん」
くちびるを尖らせて反論してくるが、平均四十点以下は立派に常習犯だと思う。
「俺の家で勉強しようか」
「え」
優美の顔から感情が抜け落ちた。
「……いやぁ~でも、この服装じゃ教室戻れないし……」
おろおろ優美は目を彷徨わせている。
進学校に通っているのに、優美は勉強するのが嫌いな子なのだ。こういう子ってけっこういる。
「荷物は俺が取ってくるよ。ほかに問題は?」
「……ご褒美があるならがんばる」
葉月が勇気を出してクラスメイトに話しかけるたびに俺がキスというご褒美を与えていたから、そんな提案をしてくるのだろう。このことも隠さず優美に話してある。
「うん。いいよ。勉強がんばったらご褒美をあげる」
「今したい」
誰もえっちなご褒美とはいってないのに、優美はスカートを持ちあげて、扇情的な脚線美を見せつけてくる。
てかてかと光る汗の粒や、むわっと漂う優美の匂いが、俺の理性を削ぎ落そうとしてくる。
「……教師にバレたら一発退学だぞ?」
「してもしなくても、そこまで大差ないよ」
正論だった。
ここまで来たら、していることとそこまで大差はない。
「退学処分されても、わたしはいいんだけどね」
なんでもないことのように優美は言った。
「慎哉くんといっしょなら、自分のことなんてどうだっていいし」
「――そんなこと言っちゃダメだ」
汗で額に張りついた前髪をかき分けて、まっすぐに優美の目を見つめる。
「俺は優美に幸せになってほしい。だから自分はどうでもいいなんて言わないでよ」
きゅっと、優美の右手に指を絡ませる。
「ふたりで幸せになろう。俺に優美を幸せにさせてほしい」
「慎哉くん……」
顔を赤らめて、優美がつーと俺から目を逸らす。
「……ちょっとだけやる気になったかも」
「なら今日からテストが終わるまで、放課後は俺といっしょに勉強ね」
「え、まってまって。今日以降もするとは一言も言ってないよっ!?」
「残念。もう決定事項だから」
額にそっとくちづける。
「勉強がんばって、同じ大学に行こう。そしたらずっといっしょにいられる」
「あ……」
俺たちは高校二年生だ。
あまり実感はないけれど、その瞬間は……俺たちの将来を大きく左右する瞬間は、ゆっくりと俺たちの背後に迫っている。
「ずっといっしょにしよう、俺たち」
「……うん」
絡めた手に優美が力を込める。
「慎哉くんは、わたしを見捨てたりしないよね?」
「するわけないだろ。今、ずっといっしょにいようって言ったばかりだし」
「……わたし、すごいおバカさんだよ? 慎哉くんと同じ大学なんて目指せるのかな?」
「大丈夫、俺が徹頭徹尾サポートするから」
「そっか。……なら安心かなぁ」
優美は安心しきった微笑みを浮かべる。
「優美……」
その笑顔は、俺のよく知る優美の笑顔で。
俺の愛しい優美は、まだ優美のなかに残っているんだと確認できて。
「……泣いてるの?」
「え?」
自分が涙を流していると自覚するよりも早く、優美に抱き寄せられる。
「泣き止むまで抱き締めててあげるね。よしよし」
「……ごめんな優美」
「いいよ。全部全部、許してあげる。わたしのほうこそごめんね」
「優美が謝ることなんてなにもないよ……」
「むしろ謝ることばかりだよ。……ごめんね、これくらいしか力になってあげられなくて」
透子ちゃん以外の前で泣くのは、はじめてのことだった。
だから、泣いてるって、自覚できなかった。
「うぐっ……ごめん、ごめんっ……」
「いいよ、わたしが全部許すよ。だから泣かないで」
「うぇぐ……うぅ……」
涙は止まらない。感情は揺らぎつづける。
「大丈夫だよ。わたしは絶対慎哉くんから離れたりしない。だから大丈夫。わたしはずっと味方だから」
頭を優しく撫でられる。緩やかな心音が耳朶を打つ。
……心地いい。
この瞬間が堪らなく心地いい。
この安らぎにいつまでも浸りたいと、そう切実に思ってしまう。
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