第38話 再燃する恋

 とはいっても、そっか、優美は俺と別れたくないのか、と、言葉を額面通りに受け取って冷静を保っているわけではない。


 今、優美は嫌だって言ったのか? 

 俺と別れたくないって言ったのか?


 俺は優美の目の前で葉月に浮気した。葉月を愛していると言った。


 そんな最低な俺に、優美は彼氏のままでいてほしいって言ってるのか?


 優美は微笑んでいる。

 なにを考えてるのか、俺にはさっぱりわからない。


「もう一度だけ、チャンスをくれないかな」

「チャンス?」


 優美はうなずく。


「わたしね、考えたんだ。どうして慎哉くんがあんな酷いことしたんだろうって。それで気づいたんだ。わたしがダメな彼女だから、慎哉くんは誘惑に負けちゃったんだって」


 優美は椅子から立ち上がり、俺の太ももの上に跨ってきた。

 そして、俺の首に両腕を絡めて短くキスしてくる。


「慎哉くん、わたしに何回も愛してるって言ってくれたよね? あの言葉は嘘じゃないよね?」


 もちろん嘘偽りのない気持ちだ。

 俺は優美を愛している。今もその気持ちは変わらない。


「うん。ほんとだよ」


 けど、ここは心を鬼にして「嘘だよ」って言う場面だったんだと思う。

 そうすれば、優美を傷つけることができた。優美に嫌悪されることができた。


 ――そこまで理解していながら、俺は本音を紡ぐことを選んだ。


「なら言って。愛してるって」

「愛してるよ優美」


 ……なにしてんだよ俺。


「うん。わたしも愛してる」


 ……なんで優美に夢中になってるんだよ。

 

 俺は、優美を抱き寄せてくちびるを重ねる。


「んっ……!」


 懐かしい優美の感触だ。葉月よりも肉厚なくちびるは、何度味わっても飽きがこない。


「んちゅ、ちゅっ、ちゅっ……はむぅ、んちゅぅ……」

 

 鳥が木をつつくように、何度も短いキスを繰り返して優美を堪能する。


 愛しい優美。俺だけの優美。

 熾火のように胸の奥底で佇んでいた優美への想いが、懐かしい感触と甘美な刺激と共に湧き上がってくる。


「酷いことしてごめん。つらかったよな」

「ううん、悪いのはわたしの方だよ。ごめんね。満足させてあげられなくて」


 優美は申し訳なさそうに眉根を寄せる。

 優美の頭を撫でて俺はいう。


「そんなことないよ。優美はいつも俺を満足させてくれてた」

「ならどうして辻さんとえっちしてたの?」

「葉月を愛してるからだよ」


 自分で言っておきながらどうかしてると思う。

 けど、それが本音だから。俺は、優美も葉月も愛してしまっているから。


 優美は不機嫌そうにむくれている。


「これからはわたしだけ愛して」

「……」


 できない。

 なぜなら、葉月は俺がいないとひとりぼっちになってしまうから。


 そう思ったけど、今の葉月には富田さんという友人がいる。

 今日のお昼もいっしょに昼食をとっていた。葉月ではなく、富田さんの方から誘っていた。


 今の葉月に、俺は不可欠の存在ではない。むしろ俺がいない方がうまくいくのかもしれない。


 そう考えれば、今、俺が選ぶべきなのは、葉月ではなく優美なのではないだろうか。


「わたしだけ愛してよ」


 優美は言った。


「慎哉くんの望んだことは、なんでもとはいかないかもだけど、できる限り叶える。慎哉くんだけのわたしになる。だから愛して。わたしだけを見てよ慎哉くんっ」


 必死だった。

 切々と俺に訴える瞳は薄いしずくの膜に覆われ、寄せては返す波のように儚く揺らいでいる。


 優美が悲しんでいる。笑顔が損なわれている。


 突きつけられる現実が、俺の決意を反転させた。


「わかった。優美だけを愛すよ」


 表は葉月で、裏は優美。

 表に表出する想いは葉月に向けるもので、裏に向ける想いは優美に向けるもの。


 その胸のなかにあるコインを、俺はたった今、反転させた。


「わたしが一番?」


 表向きはそうなる。


「あぁ、優美が一番だ」


 葉月には後で別れ話を切り出そう。

 大丈夫、表裏が入れ替わっただけだ。根本的なものはなにも変わっていない。


 ……って、なに考えてんだ俺? 


「ふふっ、やった」


 嫣然と微笑んで俺に口づけ、優美は言った。


「――じゃあ辻さんはいらないね」


 直後、廊下から物音がした。

 ファイルが落ちたような音だった。


「わたしだけいれば、慎哉くんは満足だもんね」


 背筋にぞぞっと怖気が走った。


「わたしだけの慎哉くんだもんね」


 優美が何度も何度もキスしてくる。


「んじゅるるるぅ~、んぷぅ、んちゅぁ、はぁはぁ……ぢゅる、ぢゅるっ、んちゅるる~っ!」


 わざとらしく音を立てて。

 廊下に聞こえるくらいに激しく……


「……ぷはぁ、ま、待って優美! なにもここまでする必要は――んっ!」


 反論をキスで塞がれてしまう。


「……ふぅ、ねぇ慎哉くん、えっちしようよ」


 優美の瞳は完全に据わっている。


「優美……」


 そういうことをするときの顔つきになっている。


「わたしたちがどれだけ本気で愛し合ってるか、ドアの向こうにいるあの子に教えてあげようよ」

「……」


 九月末に行われる生徒会選挙の準備に際して、毎週水曜日の放課後に選挙管理委員はちょっとした集まりに参加しなくてはならない。一時間ほどの集まりらしい。


 そう葉月が言っていた。葉月から聞いた。


 俺たちのクラスの選挙管理委員は――葉月だ。


「いるんでしょ、辻さん。隠れてないでわたしたちを見てよ」


 開くな開くな開くな開くな開くな――


 頑なにそう願うも、俺の祈りが叶うことはなく。


〝ガラガラ〟


 ゆっくり扉が開かれる。


 振り返ると、ひどく悲しげな顔つきをした葉月がいた。


「やっちゃん……」

「……っ!」


 抱き締めたい。慰めてあげたい。

 そんな衝動に駆られて葉月の元に向かおうとするが――できない。


「一番はわたし、なんだよね?」


 優美が、俺の太ももの上に臀部を乗せているから。


「わたしだけいれば、あの子はいらないんだよね?」


 這うように、柔らかな媚肉が俺の太ももを滑る。

 俺との距離をさらに縮めると、優美はスカートを持ち上げた。


「じゃあ、しよっか」


 優美が腰を動かしはじめる。


「ぁぁっ……」


 優美の秘部が、緩慢な動きで布地越しに俺の竿の膨張を促してくる。


「……ぐすん。んぇ、んぇぇ~」

「葉月……」


 葉月が泣いている。


「……優美、んっ、もうわかったから! もう充分だから!」

「んふぅ、んぁ、んんっ……!」

「優美っ」

「はぁはぁ……もっと気持ちよくなろ?」


 まるで俺の声が聞こえていないかのように、優美のグラインドは徐々に激しさを増していく。


「んぁ、んんっ、ふわぁ、ふぁん、あっ、あっ……!」


 優美が熱っぽい声を上げる。そのたびに俺の理性は薄れる。


「やっちゃぁん……やっちゃぁん」


 葉月の泣き声が、泣き顔が、徐々に意識の外に追い出されていく。


「ひぁっ!」


 気づけば俺は、カッターシャツ越しに優美の胸を揉んでいた。


「んぁ……っ、いいよっ、もっとつよくモミモミして」


 優美は乱暴にされるのが好きだ。

 強く胸を握りしめ、舌を口のなかに入れて荒々しく振り回す。


「んん~っ! ……ふぁ、気持ちいい、気持ちいいよ慎哉くんっ!」


 その叫び声が、俺の意識を優美ひとりに固定させた。


「やめてよ鴨川さん!」


 もっと気持ちよくなってほしい。

 カッターシャツの第一ボタンと第二ボタンを外し、ブラジャーの内側の膨らみに直接触れる。


「ふぁっ!? だ、だめ、直接は……んん~っ」

「っ……! や、やっちゃんは、ほんとはそんなことしたくないもんっ」


 佇立した突端を擦りながらのキスに優美は弱い。

 左手で優美が落ちないように肩を支えて、右手で優美の敏感な部位を絶えず愛撫し、優美の舌を吸い上げ続ける。


「んぁ、んぢゅるるぅ、んちゅぁ、んふぅ……ふふ、なんか言ってる」

「全部全部、鴨川さんのせいだ! 鴨川さんが、やっちゃんを狂わせたんだ!」

「慎哉くん、もっと――んむぅっ……!」

「……っ! 返してよ……はーちゃんのやっちゃんを返してよっ!」


 びくびくと身体を痙攣させる優美。舌を抜き出し、優美の息が整うまで優しく抱擁する。


「はぁはぁ……慎哉くん」

「どうしたの?」

「慎哉くんは……さ、わたし、だけの慎哉くん……だよね?」


 優美がちらと葉月に目を向ける。

 あの時と同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

「あぁ、俺は優美だけの彼氏だ」


 葉月に聞こえるように、俺はわざと大きな声で言った。


「あ、あぁ、あぁあああっ……!」


 葉月が力なく膝から崩れ落ちる。


「……」


 けど、これではまだ詰めが甘い。


 肩で息をする優美を抱き締めたまま、俺は葉月を見つめて、はっきりと言った。


「ごめん葉月。俺、優美だけと付き合うことにしたから」


 感情を殺して、思いつく限り最悪な言葉を口にした。


「……やっちゃん」


 葉月の目にじんわり涙が滲んでいく。

 やがて一粒、二粒と小さなしずくが頬を滴り落ちはじめる。


「……ひっぐ、うぁああ、うぇぇん、やっちゃん、やっちゃん……!」

「……」


 目尻から零れる涙を拭い、必死に嗚咽を抑えるその姿は堪らなく痛々しくて。名前を呼ばれるたびに胸が苦しくなって。


「その呼び方、今度からやめてくれないかな? あなたはもう、慎哉くんの特別じゃないんだよ?」

「ああああああぁぁぁぁぁ!」


 葉月をそんな目に遭わせた自分が許せなくて。謝りたくて。


 慰めたいけど、そんな葛藤を飲み込んで俺は傍観に徹する。


 葉月のため。葉月の幸せのため。


 そう言い聞かせて、拳を強く握り締めて、歯を噛み締めて、涙を抑える。


「慎哉くんの特別はわたしだけだから」


 涙を流す葉月に、優美はまだ追い討ちをかける。


「わたしの慎哉くんにもう近づかないで」


 冷め切った表情で優美はいう。


「被害者ぶってるけど、最初に攻撃してきたのはあなたの方だよ」


 葉月の泣き声がより悲愴なものになる。


「あのとき、わたしはふたりのために部屋から出てってあげたよね? 気遣ってあげたんだよ、ふたりのことを。翻ってあなたはどう。ずっとそこに居座って泣いてわたしたちの邪魔をして。……ねぇどっか行ってくれないかな?」


 堪らず俺は優美のくちびるを塞いだ。


「んむぅっ! んじゅるぅ、ちゅぷぁ、んぐっ……けふけふっ。し、慎哉く――んんっ!」


 舌でめちゃくちゃに蹂躙する。優美がえずく。それでも舌を動かし続ける。


「ぷはっ! ……はぁはぁ、い、いきなりどうしたの慎哉くん?」

「……今週号、まだ読んでないよな?」

「へ?」


 ややあって、優美はマンガの話だと理解が追いついたらしい。


「うん。まだ読んでないけど……」

「今から買いに行こう。優美も先週の続き、気になってるだろ?」

「……うん。わかった」


 乱れた制服を整えて鞄を肩にかけ、優美は俺の腕に抱きついてくる。


「じゃあね、辻さん」


 泣き崩れる葉月の前を横切り、俺たちは教室を後にする。


「……」


 徐々にほとぼりが冷めていく。


 理性の綱が切れていないのが救いだった。

 危うく、優美に取り返しのつかないことをしてしまうところだった。


「……優美」

「ん」

「やりすぎだ」

「え~、けどさ~」

「気持ちはわかるよ。だけど……」


 優美が俺の胸倉を掴んで引き寄せ、舌で耳の穴をほじってくる。


「――クズだなぁ、慎哉くん」


 耳を疑った。


「けど、許してあげる。これからわたしが綺麗な彼氏に戻してあげるからね」


 可愛らしい笑みを向けてくる。


「……優美」

「あの子のことなんて一切考えられないくらいわたしに夢中にさせるからね」


 そっと俺の耳に顔を近づけ、優美は言った。


「これまでのこと全部許してあげるから、これからはわたしの言うことなんでも聞いてね?」



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