第34話 安らぎ

 葉月がすぅすぅ寝息を立てている。


 その安心しきった顔を見ながら、俺は最低で最悪の決断が、葉月を救ったのだと自分にいい聞かせる。


 ……そうだ。この選択は間違っていない。正しい選択なんだ。


 葉月の姿が優美と重なって見えるのは、いつかもこうやって優美と隣あって眠ったからだろう。


「……」


 優美とは、まだ一度しかしていない。

 けど、その一度の経験は俺の脳にべっとりとこべりついていて、あの日の情景は今でも鮮明に思い出すことができる。あたたかさと心地よさを覚えている。


 だから比較することもできる。どちらとするその行為が気持ちよかったのか。


「ずっと無理してくれてたんだな」


 結論から言ってしまえば、すべてにおいて優美の方が上だった。

 キスも、それ以外の行為も、優美の方がうまい。体格的に有利とかではなく、優美には元から資質が備わっていたんだと思う。


 葉月からかなりの遅れをとってディープキスを知ったはずなのに、優美は葉月以上に俺を昂らせることができる。だから俺は、葉月に乱暴して強い刺激を求めてしまったのだろう。


 刺激が上書きされるごとに、人間はより強い刺激を求める。本能ってやつには、どう足掻いても抗えない。

 ……だからって、葉月に乱暴したことが正当化されるわけではないんだけど。


 と、優美との経験という比較対象があるおかげで、俺は葉月が無理していたことに気づけた。


「ありがとう葉月」


 思えば、おかしな話だったのだ。

 葉月は、映画のキスシーンですら直視できない初心な女の子だった。にもかかわらず何度も俺にキスしてきたのは、俺を喜ばせるためだったのだろう。


 前に葉月は言っていた。

 ちゅーだって、やっちゃんが喜ぶからがんばってしてるんだよって。


「そんなことしなくたって、葉月は大切で特別なのにさ」


 腕枕しているから右腕は動かせない。左腕でそっと抱き寄せて頭を撫でる。


「……えへへ。くすっぐたいよぉ」


 えっちなことが苦手なのに、葉月は俺のためにずっとがんばってくれていた。


 それが堪らなくうれしくて、申し訳なさで苦しくなって、愛しさがよりいっそう強まって……


 手をつなぐこととキスすること。

 葉月はきっと、これ以上の行為を望んでいない。


「もう、無理はさせないからね」


 だから、今日で最初に最後にしよう。

 葉月は俺が近くにいるだけ満足だろうから。

 そういうことをするのは、俺たちがもっと成長してからでいい。


 葉月が笑顔になれるのなら、今の俺はほかになにもいらない。

 今の俺にとって、なにより大切なのは葉月だ。


「愛してるよ葉月」


 小さな身体を抱き寄せる。


 心は凪いでいた。


○○○


 日が昇ってまもない早朝に、葉月は目を覚ました。


「ん……おはよやっちゃん」

「おはよう葉月」


 身体を起こし、葉月はう~んと背中を伸ばす。


「えへへ、やっちゃんに裸見られてももう全然恥ずかしくないや」


 そう言って照れ臭そうに笑う葉月は、俺のよく知る葉月で。


「今日は学校行けそう?」

「うんっ、やっちゃんが迎えに来てくれたらいくよっ」


 葉月は元気よく答えた。


「……そっか」


 目頭が熱くなった。


「じゃあ、一回家に帰って準備しなきゃね。ちょっとだけ待っててくれる?」

「一時間以内に戻ってこなきゃ、はーちゃん二度寝しちゃうからねっ」


 いつもの葉月だった。

 葉月がいつもの調子になったことが嬉しくて、俺はトイレでこっそり泣いた。


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