第31話 消えない想い出

「じゃあ、行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」

 

 透子ちゃんを送り出して、俺はリビングのソファに腰かける。


 翌日の火曜日。俺は学校を休んで、優美と葉月と話をしに行くことにした。

 ふたりが傷ついているとわかっていながら、ひとりのうのうと日常生活を送ることはできない。


「まずは優美からだな」


 優美との対面は、できることならいつまでも避けつづけたい。

 あんなひどいことをしておきながら、今さらどんな顔をして会えというのだろう。

 こっぴどく罵倒されるだろう。絶縁は必定だろう。優美の涙をもう一度見ることになるかもしれない。


 でも、それで優美が以前の優美に戻ってくれるというのなら。

 その可能性が、ほんのわずかにでもあるというのなら……


「……はじめから覚悟してたことだろ」


 震える指を、動かす。

 メッセージアプリを立ち上げ、ひさしく開いていなかった優美とのトーク画面を開く。


「……懐かしいな」


 履歴を見れば、最後にやりとりしたのは先週の月曜日。

 葉月との関係に気づかれる前日、いっしょに公園で週刊マンガを読んだ日だ。


【どこだって構わないよ。だって、慎哉くんといればどこだって特別な場所だもん】


 俺と話せるだけで満足だから。


 優美は口癖のようにそう言っていた。

 そう言って、いつも笑っていた。


 俺といるとき、優美はいつも笑顔だった。


 画面を下にスクロールし、過去に優美と交わしたやりとりを振り返っていく。


【もうちょっとだけ話そ。大丈夫、電話じゃないからママにもバレないよ】


 日を跨ぐまでと言いながら、一時、二時とだらだらメッセージ交換を続け、結局、優美が寝落ちするまで会話が続いたことがあった。

 

 翌日のほとんどの時間、優美はこくこく舟を漕いでいて、その後ろ姿を見て俺は微笑ましい気分になってたんだっけ。


 そんな優美が堪らなく愛しかった。


【矢地くんは、どんなマンガ読んでるの?】


 付き合いはじめて間もない頃に交わしたやり取りだ。

 この頃の優美はまだ余所余所しくて、はじめて手を繋いだのは、付き合いはじめて一か月が経とうとした頃だった。


 優美は奥手な女の子だ。まさかキスより上のステップに半年と経たずして行けるなんて、あの頃の俺に言ってもたぶん信じないんだろうな。


 奥手な優美も俺は好きだった。


【今日はありがとう。矢地くんのおかげで、なんだか胸が楽になった気がするよ】


 はじめて優美と交わしたやり取りだ。


【友だちって過程を踏み越えていきなり彼氏彼女っていうのはなんだか変な感じだけど、これからよろしくお願いします。こんなわたしだけど、仲良くしてください】


 ここから、俺と優美の物語ははじまった。


「……ひぐっ、優美、優美……っ」


 嗚咽が、涙が、優美を愛しく想う気持ちが、堰を切ったように溢れ出す。


 嫌いだなんて思ったことは一度もない。

 自己保身からはじまった恋人関係だけど、俺は本気で優美に恋している。


 好きなんて言葉では全然言い足りない。

 大好きだ。愛してる。誰にも優美を渡したくない。

 俺だけの優美でいてほしい。ずっと近くにいてほしい。俺の手で幸せにしたい。


 もし葉月が転校して来なかったら、そんな欲求を満たすことができたのだろう。

 けど、現実は残酷だから。……いや、俺がかき乱したから、優美は幸せとは真逆の場所にいる。俺が彼女を不幸にしている。


「ごめん……ごめんな優美」


 画面をタップして、メッセージを送る。


【まだ体調優れない?】


 続けてもう一通。


【俺でよければ看病するよ】


 どの口が言うんだと思う。

 他でもない俺のせいで優美は精神の不調を患っているだろうに、なのに看病ってなんだよ。


 けど、なにもしないで受身に構えるよりはマシだ。

 どちらかが動かない限り、俺たちの物語は永遠に停滞し続ける。完結も打ち切りもないまま、永遠に休載期間が続くマンガのように。


 なにもしないのは楽でいい。傷つかない。時間が勝手に解決してくれるかもしれない。そういうことが現実では多々ある。

 けど、そんな可能性に縋ったって俺たちのあいだに横たわる根本的な問題は解決されない。向き合わない限り、俺たちの問題が解消されることはない。


 だから、面と向かって優美に言わなければいけない。


 ――俺は葉月と付き合うって。


 優美のレスポンスは早い。いつもなら一分と経たずして返事をしてくれる。

 けど、画面にはいつまで経っても既読の文字が躍らない。


 十秒、三十秒、一分、三分……


「……そう、だよな」


 乾いた笑みが漏れた。


「なに期待してたんだろ俺」


 優美とのトーク画面を閉じて、葉月とのトーク画面を開く。


【今から家行ってもいい?】


 返事はすぐにきた。


【うん、いいよ】


 スマホと財布をショルダーバッグに入れて、早速葉月の家に向かうことにする。


「このタイミングで優美から電話がかかってきたら最悪だな」


 なんて最悪の事態を想像して苦笑しながら、玄関に鍵をかける。


 葉月の最寄り駅に着いてからスマホを確認しても、優美に送ったメッセージは既読になっていなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る